4
「……魔力のない世界」
3日ごとの逢瀬の度、甘い時間を過ごすようになって3か月。マナは、自分の身の上をソーマに打ち明けた。
そもそも本来、この世界に存在しないはずの、魔力のない人間。魔女と畏れられる程の、人体への知識。マナに特殊な事情があるのは、誰の目にも明らかだ。それでも、話しながらマナは、内容のあまりの突飛さに、恋人ですらこの話を信じてくれないのではないかと、不安を募らせていた。
彼女の話を聞くソーマの目には、あまり見たことのない、いっそ鋭いと言ってよいほどの光があった。
「不思議な、声」
彼がマナの話の終わりに発したのは、その一言だけだった。
「ええ。他にはない響きの声。ここに飛ばされた時と、あなたと初めて森の奥で会う直前、その2回しか、聞いたことがないの」
「……そうか……」
彼はふいに、伏せていた目を上げて、マナをまっすぐに見つめた。
「話してくれて、ありがとう。……俺も、君に、話さなくてはならないことがある。でもそれは、自分の力でカタを付けてからにしたい。恥ずかしい話だが、何年も俺はそこから、逃げ回っていた。でも、もう、終わりにする」
マナの額に軽く唇を落とすと、ソーマは立ち上がった。
「これからしばらく、留守にする。1週間か、ひと月かかるか……とにかく、必ずここに戻って来るから、俺のことを、待っていて欲しい」
彼が「森の番人」と呼ばれる、隣国との国境の森を警備する役割を担った魔術師であることは、マナはすでに知らされていた。あの日の彼は、隣国が差し向けた人工的に強化された魔獣と交戦し、罠にはめられたのだった。
でも、マナは早い内から、彼ほどの魔術師が辺境勤めを続けるのには、何かわけがあるのだろうと思っていた。ソーマの時々ひどくぼんやりした様子は、何かに深く傷ついて、ここで休息をとっていることを窺わせた。
マナは微笑む。
「分かった。……待ってるね」
いつものように、去っていく恋人の背中を見送る。
でも、マナがこの小屋の扉から彼を見送ったのは、それが最後だった。
*
ソーマが旅立った翌週、マナの住む森は突然、焼き払われた。
その日、真夜中に焦げ臭いにおいで目を覚ましたマナは、即座に土の壁に覆われた。
「ちょ、モンテス、周りが見えなっ」
『しばらく、じっとしてな』
土の壁ごと、ふわりと身体が浮き上がる気配がする。
『森はもうだめだわ。火が届かないところまで、運ぶよ』
風の精の声は、常になく沈んでいた。
しばらくして土の壁がボロボロと崩れ落ち、風を感じる。マナは、森のはるか上空にいた。
目の前には、信じられない光景が広がっていた。
森は炎に包まれ、地平は見渡す限り、火の海と化していた。マナの小屋も、すでに炎に飲まれ
「……どうして。いったい何が」
呆然とつぶやくマナに、土の精、モンテスの声が応える。
「魔力と、土の油の力の混じった炎だな。大方、人間どもの大げんかだろ。これだけ燃えちまうと、森は何百年かは、生き返らねえな」
「……」
マナは唇をかみしめ、燃え上がり崩れ落ちていく森を見つめていた。
炎の奥から、おびただしい人間と、何かの獣の群れが、流れ出してくるのが見える。
どこかに魔力で、通路を作っているようだった。
(私の知っている街の人たちとは、顔立ちも服装も違う。おそらく、隣国の……兵士たち)
街は、無事だろうか。そして、ソーマは。
マナは目を閉じる。今、自分が、為すべきこと。
「レイラ。一番近くの、治療所まで、運んで」
マナの身体が上空高く舞い上がる。みるみる遠くなっていく炎に包まれた森を、マナはじっと見つめ続ける。
(さよなら、『魔の森の魔女』。さよなら、私とソーマの、休息の場所)
*
王国歴203年に起こったその軍事衝突は、ロズワルド王国では「魔の森の変」と呼ばれる。隣国アサーラ皇国とロズワルド王国は、数年来国境線を巡り小規模な衝突を繰り返していたが、その年の秋、アサーラ皇国は突如として魔力と火力を持って国境の森を焼き払い、大規模な侵攻行動へ打って出た。
後年行われた、双方の軍事記録や書簡を基とした歴史検証によれば、直前に行われた小競り合いにより、ロズワルド王国の魔術師の双璧の一人、第3王子シャウムが死亡したとの誤情報を、アサーラ皇国が信じたことが、突然の強引な軍事行動の背景にあったという。
実際には、第3王子シャウムは死亡してはおらず、しかも数年の隠遁を解き王都に帰還した直後であった。直ちに王都より派遣された、ロズワルド王国の魔術師の双璧『二頭の鬼神』率いる魔術師団により、アサーラ皇国の侵攻軍は完膚なきまでに叩きのめされ、広大な『魔の森』の跡地は、ロズワルド王国一国のものとなった。ここに200年来不変であった両国の国境線が、あらたに引き直されることとなったのである。
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