Vtuberの苦悶

きぬま

Vtuberの苦悶

「みんな今日もありがと~!次の配信は来週で~す!バイバ~イ!」


茶丸緑葉(さまるりょくは)はストリーミング専用ソフトを開き配信を終了した。

彼女は株式会社スプレイムに所属しているVtuberだ。


疲れた..


茶丸はデスクトップ画面にSNSのタブを開き、さっそく自分の名前を調べた。

いわゆる『エゴサーチ』というものだ。


『まるりん(茶丸のファン内での愛称)の声で今日も癒されたわぁ~』

『運営さーん、ハヤク新しいまるりんボイス発売してくれ!』

etc..


「ボイスか..スタッフにお願いして収録させてもらおうかな」


そんなことをぼやきながらマウスのホイールをクリクリと下げながら閲覧していると

ある呟きが目に入った。


『最近友達に勧められて茶丸って言うVtuber見たけどぶりっ子すぎてムリw

あれを好きって言ってる友達とはもう縁切るわw』


チっ..


茶丸はその呟きをしていたアカウントを『不快になる呟き』と称しそのSNSを

運営している会社にフィードバックを送り、更にはそのアカウントをブロックした。


「そんなこと書いてる暇があったらもっと有意義なことしろ、ボケが。」


パソコン上に開いていたタブやアプリをすべて閉じて椅子から立ち上がり洗面所へ

向かった。


洗面所の棚には錠剤の入ったボトルケースがいくつも陳列していた。

その中から3種類ほど手に取りそれぞれ2錠ずつ取り出し口の中へ放り込んだ。

蛇口をひねり、手で水をすくい、一気に口にあるモノを胃へと流し込む。

そうすると先ほどまで抑えれなかったイライラも多少は和らぐ。

鏡の自分を見て、髪がボサついていたら手櫛でそれを直す。

髪を整え終わったら必ず洗面台の淵と床には髪の毛が10本以上落ちている。

それを濡れたティッシュなどでかき集め掃除をする。


これら一通りの動きを彼女は配信が終わるといつもやっている。


「あっ..そういえば今日、給料の日か。」


彼女はポケットからスマホを取り出し、給料が振り込まれる銀行の

預金アプリを開いた。


『振込元 【株式会社スプレイム】 90000エン』


まぁ..今月は頑張ったほうか..


昼間なのにカーテンを閉め切っているため茶丸の部屋はパソコンなどの電子機器から放たれる光が光源だった。長いこと掃除をしていないせいか足の裏に何かくっついている感覚があったがもう馴れっこだった。


「家賃50000、光熱費6000、水道代4000、食費20000..今月のお小遣いは10000か..」


マットレスを下に敷いてある薄い布団の上に寝転がりながら預金額を眺める。


「バイトは絶対に嫌だ..」


茶丸にはトラウマがあった。

以前、居酒屋でバイトをしていた時先輩からセクハラにあったのだ。

暫くしてまた新しい仕事にありつけたがそこでは同性からのイジメがあったのだ。


実家にへも帰りたくない。父は真昼間からパチンコや競馬などをして負けて帰ってきた暁には罵声を浴びせられるか殴るかのどっちかだ。母は変な宗教団体に勧誘され、

今では月に50万円以上もつぎ込んでいるらしい。勿論そんな金はどこにもないため母は借金をしている。


「ホント..クソだわ」


ピロン♪


スマホに一件のメッセージ通知が入った。

送り主は亜熊辺亜(あくまべあ)と書いてある。

彼女もまた茶丸と同じ事務所に所属している同期のVtuberである。


『今日ご飯いかない?』


ご飯..どうせまたラーメンだろ


『どこ行くの?』


ダメもとで聞いてみた。


『ラーメン!』


ほらな。


『ゴメン!最近胃もたれヤバいからまた今度誘って!』


文面では申し訳なさそうに言っているが実際にこの文章を書いている茶丸の顔は

あからさまにイラついていた。


スマホを放り投げ、夜でもないのに真っ暗な部屋で寝床で横になって目を閉じる。

暗い部屋でずっと液晶画面を見ているせいか目がゴロゴロする。

いっそのこと今日はもう寝てしまおうかな..


すると今度はスマホに着信がきた。

マナーモードにしてあるがバイブ音がうるさく今か今かと鳴りやむのを待ったが

一向に鳴りやむ気配がない。布団から身体を起こし、先ほどよりもイライラしながら床の上にあるスマホを拾って電話に出た。


「もしもし?茶丸緑葉さんですか?」


は?誰?てか..なんで活動名?


「誰ですか?」


「やっぱり!茶丸さんの声だ!あの実は俺も茶丸さんと同じようなVtuberやってまして、あの良かったらでいいんで俺とコラボさせてもらえませんか?!」


「あの..そういうのは事務所を通してもらってもよろしいでしょうか?

あと、なんで私の電話番号知ってるんですか?」


「え~、そんなこと言わずにお願いしますよぉ~」


「無理なものは無理です。」


「それならこちらも相応な態度をとらせてもらいますね。」


「は?」


「あなたの電話番号を掲示板で晒しまぁ~す。さよぉ~ならぁ~」


ブツっ


「ちょ!もしもし?!」


は?は?は?意味が分からない!

とりあえずマネージャーに電話しないと..


茶丸は急いで電話帳に登録してある自分のマネージャーに連絡を取った。


はやく出て!ハヤク!


「もしもし、吉川です。」


「あっ!吉川さん、茶丸です!あの、ヤバいんです!」


「ど、どうかされました?」


「なんか変な人に私の電話番号知られてコラボしないと掲示板で拡散するって言われたんです!」


「それ本当ですか?」


「だからマジですって!」


「わ、分かりました。とりあえずその相手の電話番号を私にも教えてください。

このことは私から運営に伝えておきますので茶丸さんはもうその電話番号や

知らない番号の着信には出ないようにしてくださいね。」


「ありがとうございます..」


数十分に及ぶマネージャーとの通話を終えると茶丸はその場でうずくまってしまった。


「..んで..なんでなんだよ!!」


スマホを思いっきり床に投げつけた。

壊れたスマホケースの破片が部屋中に飛び散った。

床のフローリング材にも僅かな凹みが生じた。

どうせこれを直すにもお金がかかる。


正直、茶丸は電話番号を晒されることはそこまで苦痛ではなかった。

ただ、なぜそのような災難が『自分に』降りかかってくるのかが分からなかった。

先ほどの呟きもそうだ。自分以外にも声の癖が強い配信者などがいるのにもかかわらずなんで自分を標的にするのだろうか。


分からない..


実家だってそうだ。

何で自分はあんな人たちのところで生まれて育たないといけなかったのだろう。

なぜ父はやっていた仕事を辞めてギャンブル依存してしまったのだろう..

なぜ母はよくわからない集団の一員となって大金を浪費するのだろう..


わからない..


元々、配信業には興味はなかった。

前のバイト先でのセクハラやイジメがあり、そこを辞めて次の職を探している時に

たまたまVtuberのオーディションをやっていることを知りエントリーしたら運よく

採用された。今まで自分の身に起きてきたことを思えば誹謗中傷や多少のネット上

での迷惑行為は許容できるものだと最初は思っていた。

しかし、『不幸』というのはつくづく形を変えて襲ってくるんだ、

形を変えるだけでその量は変わらないんだ。


「全部クソだ..」


◇◇◇


茶丸のマネージャーである吉川は今回の事態に対応するために上司のいる部屋へ

急いで向かった。


コンコン


しかし、吉川がドアをノックしても返事がなかった。


あれ?


「長間川さんなら今日はいませんよ。」


たまたまそこを通りかかった男性スタッフが吉川に告げた。


「えっ?!そうなんですか?」


「来年にうちの会社が出展するイベントの代表会議があると言って、

今朝京都に行かれましたよ。」


「困ったな..」


「あのー、僕でよかったらお力添えしましょうか?」


「本当ですか?凄く助かります!

私、茶丸緑葉のマネージャーを務めている吉川と申します。」


「イベントスタッフの佐々木です。こちらこそよろしくお願いします。

早速なんですが、何があったんですか?」


「あの実は..」


吉川は佐々木に茶丸が置かれている状況を事細かに説明した。


「本当ですかそれ?!脅迫みたいなもんじゃないですか!」


「はい..なので一刻も早く社長に報告しないといけないと思って」


「誰か長間川さんの連絡先知ってる人いないんですかね?」


「私、一応知ってるんですけど..社長が電話に出たこと一度もないんですよ。」


「そうですか..では、とりあえず僕は色んな掲示板で茶丸さんの電話番号のような

書き込みがあったらすぐ通報できるようにしらみつぶしに捜します。

掲示板の運営にも協力してもらえるようお願いしてみますね。」


「ありがとうございます。私は今から直接彼女の自宅に訪ねてきます。」


「茶丸さんのですか?」


「はい。彼女は少し精神面で不安定なところがあると言ってました。

なので私が今できることは彼女に寄り添ってあげることぐらいです。」


「そうですか。でしたら何か動きがあったら連絡しますので吉川さんの連絡先を教えて頂いてもよろしいでしょうか?」


「分かりました。」


吉川は自分の連絡先を佐々木に教えた後すぐに出かける準備をして事務所を

飛び出した。最寄駅まで全力疾走し階段を駆け上がり改札を通ってホームで

電車を待った。


茶丸さん、どうか『変なこと』だけはしないでください!


吉川は心の中でそう強く願った。

というのも以前、茶丸が配信でうっかり口を滑らせてしまい失言してしまった際に

特定のグループからの誹謗中傷に耐え切れず両腕の至る箇所にリストカットをしたのだ。企画面談の時たまたま服の袖の影からチラッと見えたのを吉川が目撃し彼女から話を聞いたのだ。


吉川は茶丸に直接連絡をしようとも思ったが、こんな状況下で電話がかかってきたら

いくら味方だろうと彼女はまともに会話してくれるのだろうかとも思えた。

その時、ちょうどホームに電車が来ることを告げるアナウンスが鳴った。


『3番ホームに列車が参ります。

危ないですので黄色い線の内側にお立ちください。』


目の前に止まった電車のドアが開くとまだ降りている人が僅かにいたのにもかかわらず吉川は割り込んで入ってしまった。そのくらい焦っているのであろう。

電車がゆっくり動き出したのを確認し、乾燥しきっていた唇を少し舌で湿らせた。


◇◇◇


気分転換がてら茶丸は風呂場でシャワーを浴びていた。

安っぽいシャワーヘッドから出るお湯はいつもぬるかった。

浴槽はほとんど使っていないためピンク色の水垢が至る所に見え、

排水溝には抜け落ちた髪の毛が詰って水をせき止めていた。

顔の高さあたりに小さい鏡は常に曇って使い物にならなかった。


いやなことも全部流れて言っちゃえばいいのに..


そんなことを思いながら顔にシャワーヘッドから放射状に出るぬるま湯を

被る。こうしている間は外気からの音を遮断でき自分だけの空間を作り上げる

ことができる。


暫くして茶丸は風呂からでてきた。

大きめのバスタオルで身体を拭いて小さめのタオルを頭に巻いた。

隣接する洗面所にしか換気扇がないため風呂場のドアは基本開けっぱなしだ。


「オレンジジュース飲も..」


まだ乾ききっていない足の裏には先ほどよりも小さなゴミがへばりついてくる感覚が

あった。さすがの茶丸もこれには不快感を覚えた。


「コロコロする奴どこやったっけ?冷蔵庫の横かな?」


かかとを浮かせつま先だけで移動して何とか冷蔵庫前までたどり着いた。

冷蔵庫の横を見てみるとホコリの被った粘着カーペットクリーナーが雑に

置いてあった。


「うわっ..汚な..」


そう言いつつも手に取りホコリのついた部分をペリペリとはがしまだ使っていない

粘着性のある部分を床に押し当てた。何回かコロコロする作業を繰り返してどのくらいゴミがついてるのか確認しようとしたが部屋が暗すぎて把握のしようがなかった。


「別にいいか」


無心に部屋のあらゆる箇所でコロコロしていると先ほど自分が投げて飛び散った

スマホケースの欠片もくっついてきた。その近くにスマホもあった。

拾い上げて電源をつけてみたが幸いにも画面には傷一つ付いていなかった。

しかし、何件かの不在着信履歴が表示された。


ッチ..しつこい奴だな..


そう思っているとまた見知らぬ電話番号から着信が入ってきた。

吉川には絶対に出るなと言われたが戦闘態勢に入っていた茶丸は

とっくにそのようなことは忘れていた。

青い『受話器を取るボタン』を力を込めてタップし電話に出た。


「あの、警察にあなたのこと伝えますね。警察署で自分のやったこと振り返ってみてください。まぁ、きっと馬鹿らしくて死にたくなるでしょうけど!」


「お、おぅ..悪いが多分そのセリフを言う相手間違ってるぞ、茶丸。」


あれ..?この声どこかで..


「急に連絡して悪かったな、俺だ。長間川。」


う、ウソぉぉぉぉ!!しゃ、社長??!!


「えっと..これは、その..」


「いや、俺もお前に確認取りたくて電話しただけなんだが..

たまたま3ちゃんねるの掲示板見てたら『Vtuber茶丸緑葉の電話番号開示!』って

スレッドが立ってるの見て、興味本位で電話してみたんだがマジだったんだな。」


「わ、わたし..」


「何も言わなくていい。とりあえず俺の電話番号は登録しておけ。

今回の件を起こした輩は俺が色んなコネ使ってあぶりだしてやるから。」


「大丈夫..なんですか?」


「大丈夫って言ったら嘘になるがお前も犯人を痛ぶってみたいだろ?

奴はお前の個人情報を餌に俺を釣ってくれた。

そのおかげで巨大怪魚の俺は奴をギザギザの歯でミンチにしながら喰えるんだ。

少なからずお前にもそのおこぼれを味わってほしいだけさ。」


この人..社長じゃなかったらマジで近寄りたくない..


「じゃ俺今帰りの新幹線であと20分くらいで東京着くし到着したら

すぐ事務所で犯人捜索するから、それまで自宅待機してろよな~」


「今日は..事務所いなかったんですか?」


「まぁな、来年京都でやるデカいイベントにうちの会社が出れることになって

その代表会議があったんだ。」


「そうなんですか..」


「そんじゃ、電話番号登録しとけよ..」


ブツっと通話が途切れた。

多分、トンネルにでも入ったのであろう。


「...」


茶丸はあまり現状を上手く整理できていなかったがどうやら今の自分には

『幸運の風』が吹きあたっているようだった。

彼女はこの瞬間初めて『襲い掛かる不幸』があるなら『それを跳ね返す幸運』も

存在するということを悟った。


今思えば全部『そう』だったのかもしれない..

バイト先でセクハラをしてきた先輩は後日その行為がバレてクビになり、

イジメをしてきた女性は今は集団からハブられていると聞いた。

自分の中では直接的な『仕返し』ができていなかったからモヤモヤしていたけど

間接的にカウンターでダメージを与えてるじゃないか。


ピーンポーン♪


その時突然、自宅の呼び鈴が鳴った。


「えっ..誰?」


恐る恐る音を立てずに廊下をゆっくり進みドアスコープから外を眺めた。

するとそこには膝に手をつきながら息を切らしている吉川の姿があった。


「吉川さん?!」


茶丸は急いでロックとチェーンを外しドアを開けた。


「あっ!茶丸さん!大丈夫ですか?!」


「な、どうしたんですか?!そんな汗だくになって..」


「ハァハァ..いえ..無事ならよかったです。」


「とりあえず中入ってください。」


「ありがとうございます。」


吉川を中に入れると茶丸は無意識に部屋の電気を付けた。

ほとんど使ったことのない蛍光灯は新品のように眩しく発光していた。


うわっ眩しい..


「茶丸さん、あれから電話はかかってきてないんですか?」


吉川はまだ茶丸のことを心配していた。


「一応、着信は鬼のように来てるんですけど最初のやつと社長からのやつを

除いたら..」


「社長?!今、社長って言いましたか?!」


「えっ、あ、はい。」


「茶丸さん、社長の電話番号知ってたんですか?!」


「いえ..そういうわけでは..」


「じゃあ、どうやったんですか?!」


うっ..凄いグイグイくるなぁ..


「それが..ちょっとカッとなって出てしまった相手がたまたま社長さん

だったんです..」


そう聞くと吉川は眉間にしわを寄せて茶丸を叱った。


「茶丸さん!私言いましたよね?!『電話にはもう出るな』と!

偶然にも電話に出た相手が長間川社長だったからよかったものの、

そうじゃなかったら今頃大変なことになってたかもしれないんですよ!」


「わ、分かってるって..反省してます..」


「ホントにもう!」


吉川はまるで母親のようだった。


「で、長間川社長はなんておっしゃってたんですか?」


「その..犯人をあぶりだすって..」


「あー..」


吉川は何か嫌な予感を感じ取ったのか表情が曇った。


「何か問題でもあるんですか?」


「いや..その..こんな風に言っちゃうのもあれなんですけど、

犯人がかわいそうだなって..」


は?!


「イヤイヤイヤ!意味分かんない!なんで?!被害者私だよ?!」


「分かってます、そうです。そうなんですけど..」


吉川は言葉を選んでいるようだったが応答を催促する茶丸の様子を見ていると

そんな暇はなかった。


「社長、人脈がそこらの人とは比にならないくらい凄いんですよ。

それに加えて、社長自身が学生時代に海外のホワイトハッカーのバイトを

していたらしくてパソコン一台あればヒト一人の個人情報なんて

数分あれば丸裸にできるって..」


「えぇ..」


「それに今回、もうその犯人は茶丸さんの電話番号を晒してるんですよね?」


「はい..」


「だったら社長は多分、似たようなことを規模を広げてやるような..」


「そ、それって返って私たちが悪者になりませんか?!」


「これはあくまで私の憶測なので..実際に社長がどのように行動するかは

わかりません。」


なんてこった..


茶丸は別の意味でまた自分のことを心配しなくてはならなくなった。


◇◇◇


「さて..」


新幹線から降りた長間川は早歩きで改札を通りタクシー乗り場へと向かった。


例の掲示板のスレはさっき俺が直々に知り合いの管理人に一報入れて強制削除してもらった。そして、そのスレを立てた輩のメールアドレスから逆探知して位置情報の

特定までできた。だが..


手を上げタクシーを呼び止め運転手に早口で行き先を伝えた。


今回の件、元はと言えば全部俺のミスなんだよな..

いつもなんでこんな風になるまで気づけないんだよ!

今回に至ってはあの茶丸だぞ..ックソ!過去の自分をぶん殴りてぇ..


長間川は険しい顔で窓の外を眺めた。


「何かお困りですか?」


タクシーを運転していた中年の男性が話しかけてきた。


「そんなところです。」


「私でよかったらお話お聞きしましょうか?」


中年男性の声は聴いていて落ち着くようなトーンだった。


「僕、部下との付き合い方がイマイチわかってないっぽいんですよ。

別にコミュ症とか人見知りではないんすけど全員に気を配るのが大変で..」


「分かりますよ、その気持ち。」


「え?」


「私もこの仕事を長いことしていますから部下もたくさんいます。

でも、一度も気を配ろうなんて思ったことはありませんよ。」


「それはどういう..」


「言ってみれば部下は全員、弟や妹みたいなモンです。

事務所や勤務時間外などでは敬語とかは使わないでくれと私の方から言って

そういう上下関係の障壁をなくしてるんです。」


確かに、今思えば俺に話しかけてくるとき社員はほとんど全員敬語だ。


「まぁ、いきなり馴れ馴れしくするのも相手が困るだけなので週に一度とかに

ご飯とか一緒に行ってみてはどうでしょうか?そうすればあとは道なりですよ。」


「なるほど..参考になります。」


「お兄さんまだ若そうだからそういうのこれからもたくさんあるだろうけど、

そんな時に助けてくれるのが『その子達』ですから。」


良いこというなこのオッサン..


「ホイ、着きました!スイマセンネちょっと遠回りしちゃって..

この建物でよかったですよね?」


「はい、ありがとうございました。」


「兄ちゃん!頑張れよ!!」


車のドアを閉め切っていても聞こえるくらいの大声でタクシー運転手の男性は

長間川にエールを送った。


首をポキポキ鳴らしながらある建物の中に入り長間川は自分のスマホから

二次元マップのようなものを映しだした。そこには無数の白い点が動いたり

止まっていたりしたが一つだけ赤色にマークされているものがあった。

そしてその点は全く動いていなかった。


「2階か..」


階段を上り、長い廊下の先にあるトイレに長間川は目を付けた。

その廊下の奥からは何やら鈍い音が鳴り響いていた。ゆっくり足音を立てず近づく。

トイレの照明には赤外線センサがついているため人が来れば勝手に電気がつく。

しかし、長間川が立ち入るまで中は半開きの窓から注がれている太陽光だけで

照らされていた。


パチっ


長間川が中に入ると電気がついた。


「誰かいるか?」


一応そう言ってみたが返事はない。


「便所で居留守とはみすぼらしいと思わねぇのか?」


大きなため息をついて五つある個室トイレの中を一つ一つ見て回った。

すると、四番目のドアだけ鍵がかかっている。

ドアをノックしようとした瞬間、鍵がガチャっと開き誰かが倒れ込むように

出てきた。


「お、お前..佐々木か?!」


「長間川..さん..」


「何があったんだ?!」


「知らない男が..急に襲ってきて..これを置いて..」


佐々木が取り出したのはスマートフォン端末だった。

しかし、その拍子に佐々木がガクッと後ろに倒れ便器の中に端末を

落としてしまった。しかも、自動で流れるトイレだったためあっという間に

端末は流れていってしまった。


「あぁ..!!」


佐々木は便器に手を突っ込み端末をつかもうとしたが手遅れだった。


「佐々木、その『知らない男』ってのはどこに行った?」


「そこの窓から雨どいを使って..」


佐々木は自分の頭を押さえながら言った。


「そうか..じゃあ楽勝だな。犯人捜し。」


「え..?」


「窓から下の方見てみろ。」


長間川の言うがままに佐々木は窓から下を見た。


「あっ」


窓から下を覗くとそこには何人もの作業服を着た男性が何やら重機のようなものを

動かしながら仕事をしていた。


「さっきタクシー乗ってたんだけど下水工事中だったから遠回りしなきゃいけなかったんだ。あれだけ人がいれば一人くらいは犯人の目撃者いるだろ。

それに今さっき流れていったスマホもあの人らに土下座すれば戻ってくるかもな。

あのスマホがあれば俺一人で十分に特定できるぞぉ~!」


「...」


「どうしたんだ佐々木?お前を襲った犯人がすぐ見つかるかもしれないんだぞ!」


「..んですか..」


「んあ?」


「最初から俺だってこと分かって言ってんだろ!!」


佐々木は長間川を睨んだ。


「おいおいおい、誤解しないでくれ!えっ、お前がそんなことやるわけ~」


「あんたのそういうトコ本当に嫌いだ。人を痛ぶってなにが楽しい?」


「おい」


長間川は佐々木の胸倉をつかんだ。


「『痛ぶってたのしい?』どの口がいってんだ!!

自分のことを棚に上げて被害者ヅラしてんじゃねぇよ!!」


「ハイハイ、女性を守る姿カッコイイですよ~しゃ・ちょ・う」


「ハハ..そうかい。」


胸倉をつかんでいた手は次に佐々木の喉仏を容赦なくつかんだ。


「俺の姉貴がよぉ元ヤンでな~よく喉潰されかけたんだわ。

意外と痛いだろ?でもな、茶丸はこれの100倍よか苦しんでんぞ。」


「っか..パワハラで..すよ。」


「あ?てめぇなんざとっくにクビだ。」


「じゃ..あ、傷害罪で訴えてやる..」


「知ってるか?バカほど『訴える』って言葉よく使うんだぜ。

それにお前は『名誉棄損』『不法侵入』『侮辱罪』エトセトラだ。

それでもやるってんなら好きにしろ。」


長間川が手を離すと佐々木は何も言わずトイレから走り去っていった。


◇◇◇


数日後、長間川は茶丸と二人きりで面談をすることにした。


「長間川さん、あれから色々ありがとうございます。」


「いや、俺も今回の件で反省することが多々見つかった。例を言うのはこっちだ。」


「あの..長間川さん。」


「ん?なんだ?」


茶丸はもじもじしながら何か言いたげだった。


「大丈夫だ、とりあえず言ってみろ。」


彼女は静かに頷いた。


「私、Vtuberやめようかなって思ってるんです。」


「ほう..」


「で、でも社長とかマネの吉川さんも凄い頼りになるし..一緒にいて楽しいし..

その..」


長間川は茶丸の表情を見て悟った風に言った。


「『社員として』か?」


「え?」


「あれ?違ったか?てっきり『配信者として』じゃなく『社員として』この会社で

働きたいのかなぁ~と思ってるのかと..」


「あっ..はい!そうです!そんな感じです!」


「ん~?本当かぁ?怪しいぞぉ~」


長間川は茶丸の顔をジロジロ見た。


「ん~もう!わかりました正直に言いますから!」


茶丸は大きく深呼吸をしてから言った。


「長間川社長の秘書をやらせてください!!」


「ひしょぉぉぉ??!!」


長間川春真(ながまかわしゅんま)株式会社スプレイム代表。

本日より元Vtuberの秘書を雇うことになりました。























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