sieve019 ボーダーライン

『ディフェンダー1。ロスト!』

誰かが言ったその言葉の意味を、僕ら三人はすぐには理解できなかった。






初めての出撃は警戒任務のはずだった。

指揮官であるディフェンダー1に引率された、ひよっこの僕たち三人は、月軌道上を月に遅れて回るL5コロニーとの間のエリア、いわゆる第一警戒宙域の監視の任務に出撃した。L5群コロニーと、その奥に連なるL3コロニー群は、どちらもコロンブス社の勢力圏だ。それらとの境目である、この第一警戒宙域はいうなれば最前線となる。僕らの最初の任務の場所はそこだった。隊長機であるディフェンダー1を先頭に、真っ黒の角ばった戦闘機、パラディオンが四機編隊を組んでいた。


僕がディフェンダー2。

シオ・エルドがディフェンダー3。

アン・グルージュがディフェンダー4だった。


順番はくじ引きで決めた。本来なら階級や経験順に小さい数字になるが、僕たちは初等部と中等部で三年間づつ一緒だったし、その後のパイロット育成過程の二年間も、ずっと一緒だった。だから今回は公平にくじ引きに託すことになった。

隊長はあまり規律にうるさくないらしく、どうせ誰がやっても変わらんと、苦笑いではあったが、そう言って許可してくれた。


そして結果は僕が当たりクジを引き二番機となり、隊長機のすぐ右後ろの席を確保。シオ・エルドが三番機で、僕のさらに右後ろ。そしてアン・グルージュがどん尻、シオの右後ろに付く形で四番機となった。


三人で何かするたび、ハズレくじを引くのはいつもアンだった。

初等部の頃は授業中に席を立っては怒られ、中等部では戦闘機のフィギュアコレクションを無くしたと騒いでは怒られ。パイロット育成課程では、そのメカオタクさが功を奏して、シミレーション戦闘で学年一位の成績を取ったこともあるが、けれどやっぱりその回数よりも多く素行不良の反省文を書かされていた。

いやこう思い返してみると、ハズレくじというより、ただの自業自得だったかもしれない。


シオはそれとは正反対で、誰かに怒られているところを見た記憶がない。いつもちゃっかりして、しれっといい成績を取っているタイプだった。アンが何か騒ぐたびに、状況を客観視していて、次にどういう流れになるか考え、巻き込まれるまえに安全な立ち位置を取る。これだけ言うとすごくずる賢い奴だが、さりげなく助け船を出してくれたり、友達からの好感度を調整するのが上手いやつだった。もっともアンはシオのそういうところに納得がいってないらしく

― 納得もなにも無いと思うが ―

ときおり噛みついては鋭く反撃されていた。

そして、僕はいつもそれを眺めていた。で、いつのまにか僕にも火の粉が降りかかっていて、僕はそれに気付かずに巻き込まれてしまう、そういう関係だった。この日の初出撃も、僕たちは緊張感を保ちつつ、どちらかというと和気あいあいとした雰囲気だった。




僕たちは月軌道上、L5コロニーと月の真ん中ほどの場所を、地球へ針路を向け、ちょうど軌道を横切るような形で四機編隊を組んでいた。スクリーン越し、眼前には5センチほどの大きさの地球がある。そして左を見れば煌々と輝く太陽がある。大きさは数センチほどだろうが、あまりに強い光を放つのでライトをこちらに向けられているような感じだ。星の輪郭さえも見えはしない。スクリーンの光量調整が無ければ、目もくらむような光のはずだ。また方向としては、ちょうどL5コロニーもほぼ同じで、スクリーン上を白く塗りつぶす太陽の光の中に、きっと敵コロニーもある。つまり、敵が来るとしたらその方向だった。


(心臓の音がとまらないわ! 死んじゃいそう!)


パラディオンの全球スクリーンのコックピットの中、太ももの間から伸びるアームにくっ付いたディスプレイに、文字が表示された。


―そりゃ止まらないだろうな。


アンは興奮が止まない様子だった。目の前に広がる景色か、実戦仕様の本格的なパラディオンに乗っているからかは分からないが、とにかくよほど気分が高揚しているようだった。その理由には、たぶん初めての出撃への緊張もあるだろう。僕自身も、心臓の高鳴りを抑えるのに苦労していた。


(ほどほどにな。)


僕は自分のパラディオンのメッセージ機能とニューラルリンクを接続し、返事を送信した。サポートAIもレーダーや光学監視をしているとはいえ、ここの宙域はいつ敵であるコロンブス社の戦闘機が来てもおかしくないエリアだ。というより、もう直にやってくるハズだ。僕たちが第一警戒宙域と呼ぶように、彼らもこのエリアを警戒宙域に指定して、僕らイスカンダル社の戦闘機が近づけば飛んでくるようになっている。そしてお互いの戦闘機の進路を平行させて、お互いにこのエリアが自分の領宙域であることを主張し合い、ある程度経てば片方が基地に帰り、そしてもう片方も帰る。隊長はこのことを、宇宙大戦が終わった23年前からずっと続いている日常で、じきに慣れると、そう言った。


(ごめん。了解。)

アンからのその返信と、レーダーに三つの光点が現れたのは同時だった。


『ディフェンダー各機。こちらディフェンダー1。コンタクトだ。』

緊張が走る。ほかの二人の様子は分からないが、

考えていることはきっと一緒だと思った。

―実戦だ。


『各機、レーダーは見てるな。敵の小隊とコンタクトだ。』

隊長が繰り返した。


レーダーの左端から現れた光点は三つあり、小さな三角を形作っていた。そして少しずつ、ゆっくりとこちらに近づき、次第に針路をカーブさせ、最終的には僕たちの針路と並行したコースを取ってきていた。

僕は機体の頭をそちらに向けて、光学センサーをズームする。

センサーが映し出した先には、隕石のような茶色く焦げたカラーリングの戦闘機が三機、青紫色のプラズマイオンの尾を引きながら近づく姿が、はっきりと映っていた。

―これが僕たちの敵。

コロンブス社の新型戦闘機、エルシッドだ。実際に見るのは初めてだった。パラディオンとは違い、丸みを帯びた四肢は、人工筋肉の見た目がそのまま反映されていた。右手には僕たちのパラディオンと同じくレールガンを携え、左手は空。おそらくプラズマセイバーを備え付けてあるだろう。パラディオンと同様に核分裂炉を搭載し、電力を推進力に変えるプラズマエンジンと、推進剤を消費するロケットエンジンを搭載しているはずだ。だが今は、僕たちと同じようにプラズマエンジンだけを使っているようだった。そうやって敵機を観察している内に、敵機と目が合う。僕たちのパラディオンと同じように、光学センサーが頭部にあった。丸みを帯びた頭部の中心に、巨大な一つ目のような大型レンズが、じっとこちらを見ているのが分かる。敵編隊三機の大型レンズが、すべて自分にフォーカスされているような気がしてきて、背中から太ももにかけて、体が熱を帯び、緊張で汗が噴き出すのを感じた。パイロットスーツの中の温度が急上昇する。


『各機、敵機を見ているか?』

心を読んだようにディフェンダー1の通信が入る。

『『はい』』

三人の返事が揃う。


『睨めっこをしてるのか?』

『ええ、嫌な感じです。』僕が正直に答えた。

『そうか、負けそうになったらバトンタッチしろ、

俺が代わりに睨みつけてやるから。』

緊張で笑っていいのかも分からなかったが、気付くと自分の口角があがり、少し笑みがこぼれていることに気が付いた。


『じゃあ、いやらしい目で見られるときはどうしたらいいですかー?』

最後尾のディフェンダー4、アンが言った。


『ディフェンダー4か。すまんが、俺も最初はそういう目で見てたから許してやってくれ。』隊長が申し訳なさそうに言う。僕は笑った。

『いいか、各機、見られているからって怯える必要はない。恐々なのは相手も一緒だ。お前たちと同じか、それ以上に怯えている。自分たちの堂々さを見せつけてやれ。いいか?』

『『了解』』

三人全員で返事をした。


すると体の前のディスプレイにアンからメッセージが届く。

(いい隊長に当たった気がする!)

僕はそうだな、と返信をした。


そしてそうこうしている内に、敵機の三機編隊と、僕たちの四機編隊の距離は近づき、お互いをレールガンの射程に納め、並進していた。


『こちらはコロンブス治安維持隊、ティソーナ1です。貴機は私たちコロンブス社の領宙域を侵犯しています。ただちに針路を変更してください。』コロンブス社の編隊の隊長と思われる機から、落ち着いた声で通信が入る。


『ティソーナ1。こちらはイスカンダル保安部隊。ディフェンダー1だ。我々は正当な宙域管理権の下に、治安維持のための行動を行っている。』

僕たちの隊長も、敵編隊の隊長と同様に落ち着いていて、淡々とこちらの目的を伝える。


『ディフェンダー1。こちらはコロンブス治安維持隊。繰り返しますが、貴機は私たちの領宙域を侵犯しています。私たちの領宙域を侵犯しています。ただちに、ただちに針路を変更してください。』


通信でお互いの主張を繰り返す間も、編隊同士はある程度の距離をじっと維持しつつ、慎重に並進を続ける。相手の喋り声が聞こえ、不思議と怖さこそ薄れたが、冷静に考えれば異常な光景だと思った。


お互いに実弾を込めたレールガンを携えて、いつでも相手を撃てる距離で威嚇し合う。これがコロニーの中なら、警察が居て管理者がいるはずだが、ここにはいない。僕たちと敵との間に明確なルールは存在しない。それを力の均衡と言えば聞こえはいいが、23年前に始まった宇宙大戦で5年間もの間ぶつかり続けた、力と力、命と命の摩耗の果て。その無情がこのエリアの均衡の正体だ。


そしてその無情を、僕たちは今日までの18年間、平和と呼んで来た。隊長はこのことを至って普通、まるで日常だという感じだったが、僕にはそうは思えなかった。


お互いの生存圏を確保するために、資源を探し、奪い合い、そして得たものを守るために撃ち合う。誰もそんな結果を望んでいるわけではないのに。それとも、湧き上がるこの気持ちにすら慣れて、簡単に人を殺せるようにならなければならないのが、人間だというのか。


作戦中でいっぱいいっぱいのはずの、僕の脳の微かな空きスペースには、そんな無意味と思える問いが湧いては渦巻き、形を変えていつのまにか消える、ということを繰り返していた。


(どうだ? これが今の実戦だ。心臓の音は鳴りやんだか?)

コックピットのディスプレイに急に文字が表示される。

そのメッセージの差出人はディフェンダー1になっていた。

アンの顔が歪むのが想像できて、僕は少し笑った。




『上昇!』

掛け声は突然だった。

何か考える前に、体が勝手にロケットエンジンに最大出力で点火をして、一気に急上昇の姿勢を取る。プラズマエンジンの出力も最大へ。その上昇の掛け声が隊長機のディフェンダー1の声だと気付くのと、左前方に映るそのディフェンダー1の機体が急上昇を始めるのはほぼ同時だった。微かに遅れて自分の機体も上昇を始め、一緒に宙返りへと突入する。遥か前方の地球がスクリーンの下へと瞬く間に消え去り、下方に激しいGが発生する、頭の頂点から足のつま先まで、全身がシートへめり込む。だが不思議と意識ははっきりしていた、


―とにかく隊長機に付いていくんだ。


それだけを考えて左前方の隊長機を見る。

隊長機の機体は、そのもっと奥の太陽の光によって、左半身だけが光輝き、右半身は完全に闇に没していた。僕はその隊長機をずっと視界に収めながら、太陽の光が左から差し込むコックピットで、ただただニューラルリンクに集中し、隊長機に付いていくことだけを考えていた。だが宙返りの頂点ぐらいに差し掛かった時、ずっと見ていたはずの隊長機の姿はなぜか消え、視界は太陽の光だけになっていた。必死に目を動かして視界を動かす、隊長だけが今を生きるためのよすがだと思った。しかしそう思ったその瞬間、コックピットが真っ暗になり闇に没する。が、それは刹那のことで、すぐにコックピットは光に溢れた。


何かが真横を通り過ぎた気がした。

そう思ったところで、通信に誰のかも分からない叫び声が響いた。

スクリーンにあるレーダーを見れば、自分たちの編隊の光点は三つしかなく、なぜか僕が先頭で、その右後ろにもう一つ。それから遅れてあらぬ方向に吹っ飛んでいる点が一つだった。


『ディフェンダー1。ロスト』

また誰かが叫んでいた。そしてその声に合わせて自分の喉が震えているのを感じて、その叫び声は自分が発しているんだと、僕は気付いた。


『ディフェンダー1。ロスト!』

僕はもう一度、先ほどよりも大きな声で、今度は誰かに助けを求めるように叫んだ。

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