sieve018 命を天秤にのせる時

シオ・エルドは二段ベッドから身を乗り出し、僕はそこに上がるための梯子の真ん中ぐらいのところに立っていた。

アン・グルージュが二段ベッドのすぐそばに立ち、タブレットの画面を見せてくる。


シオは括った紫色の長髪のはみだしをかきあげつつ、タブレットを覗き込み、そこに書いている文字を読む。

「戦闘機整備計画。次期マルチロール戦闘機 パラディオンについての概要。」


シオは穏やかな垂れ目を細めつつ、一文字ずつ、噛みしめるように読んだ。

そしてその後、シオはその小さな丸メガネの真ん中を軽く持ち上げ、その奥の瞳を細めて訝しんだ。

どこからその資料を手に入れたか分からないが、その資料には透かしで(極秘)と入っていた。中身を読んでみる。戦闘機のスペック表が書いてあったが、重量は黒塗り。搭載エンジンも黒塗り。最大速度も黒塗り。加速度、航続距離、使用兵装、以上、全て黒塗り。ほかの部分も黒塗りがほとんどだった。設計図はなく、デフォルメされたイメージイラストから分かるのは、角ばった形の人型だということだけ。他に読み取れるのは今の戦闘機と同じく、レールガンが主武装なことと、人工筋肉をベースにした四肢、あとは最大サイズが全高 約18m、全長 約10m、全幅 約20m。ということだけだった。普通記載があるはずの発行元も見当たらなかった。


アンは時々、こういう風に、どこからか保安部の機密情報を見せに来る。なにやら兵器マニアらしく、いろんな装備のデータを見つけて読むのが好きらしい。自分の部屋の狭いデスクは戦闘機のフィギュアで埋まっていて、寛容なルームメイトが自分のスペースもアンに使わせてあげているとか。以前、その心優しいルームメイトが間違って彼女のコレクションの戦闘機の頭の部分を捨ててしまった時には、保安学校の外、ごみ処理場まで探しに行くと言って聞かなかったとか。その後、教官に羽交い絞めにされながら、私の頭が無いの! と叫ぶアンの姿だけをみんなが見た。


「このパラディオンって?」シオが言った。表情は依然、訝しんだままだ。

「たぶん、今の戦闘機の後継機種ね。」アンは茶色いポニーテールを揺らし、

真ん丸の大きな両目の片方をつぶると、自慢気に言った。


「うーん。黒塗りばっかり。これ、ほとんど何も書いていないのと同じじゃないか?」僕が言う。シオも頷く。

「そう! そうなのよ。それが大事。」

アンは僕たち二人を軽く指さした。


「今まではこんなことなかった。私、結構良くない事してきてるけど。」

自覚あったのか。僕とシオはさりげなく目を見合わせた。

「でも、こんなこと初めて。」

彼女がタブレットを見つめて、顔をしかめる。

訝しむというより、困惑といった感じだった。


「嫌な予感がするの。」

「考えすぎじゃないか?」僕が言う。


ただ、アンの言いたいことはなんとなく予想がついた。もしこれが本物だとしたら、今までよりも情報統制が遥かに厳しくなっていることになる。それはもちろん素晴らしいことかも知れないが。逆に言えば、それだけの防御策を取っておきたい理由が急に増えたということになる。一体どうして? ということだ。

月が地球を公転している軌道を、月を追いかける形で回るL5ラグランジュポイントにはイスカンダル社のライバル企業、コロンブス社のコロニー群がある。

まえの戦争のあと、月圏の僕たちとは小康状態だが、最近は少し危ないことが増えているとも、確かに聞こえて来てはいた。


「アン、考えすぎだろ。こんなの誰でも作れる。」

シオが指の先で画面をつつきながら言った。


「それはそう。」

しかし、そう言う彼女の表情は、さきほどの困惑をぬぐい切れてはいなかった。


アンはため息をついて、二段ベッドの反対側にある壁にもたれ掛かったあと、近くのデスクにあるイスを引っ張り出してきて腰を下ろした。

そして改めて自分のタブレットを覗き込む。

「あぁ、勘違いならいいんだけど。」


最初にこの部屋に入ってきたときの浮かれっぷりはどこかへ消え去り、

彼女は口を一文字に閉じて座り込んでいた。

シオがベッドに仰向けに横になる。

僕も梯子から降りて、自分のベッドに座る。


「まあ、仮にアンの持って来たそれが本物だったとして。悪い事ばかりじゃない。」

上からシオの声が響く。

「どうして?」アンが座ったまま尋ねた。


「イスカンダルはちゃんと保安部隊としての仕事をしてるってことさ。大切なことは、戦わないことじゃない。みんなが生きて幸せでいられること。それが俺たち保安部隊の仕事だ。戦わずにそれが得られるなら、それが一番だけど。戦わないといけないこともある。その時のためには備えないと。それが彼らの仕事でもあり、俺らの仕事でもある。だから今より良い兵器が必要で、そのパラディオンがそうだっていうなら。その資料は良い話だ。」

シオの表情は伺い知れなかったが、その言葉以上でも以下でもなく、

そのままの意味だろうと思った。

「それに。」シオは言葉を溜めた。


「それに、たぶんアンが好きそうな見た目だし。」シオは笑っていた。

僕はアンの方を見る。

アンは喜びとも苦しみともつかない苦悶の表情を浮かべていた。

「だからなおさら嫌なのよ。見てこの可愛いイラスト。角ばり方がすごく気持ちよさそう。これ実機もこうなのかな。」

アンはベッドに座り込む僕の方へタブレットを見せて、

タブレットの中のイメージイラストを、その細い指で撫でていた。


「でももう機密を覗き見るのはやめるわ。」

ふいに彼女はタブレットの画面を消して言った。

「あぁ、そうした方がいいね。」

僕は同意した。いまさらながら、スパイ扱いされたら、ただ逮捕で済むはずもない。


そして、三人の間に沈黙が漂う。

シオもアンも、そして僕も、考えていることは同じだと思った。


「アンは、実際に保安部隊に配属されたらどうする?」

僕が沈黙を破った。みんなに一度聞いてみたいと思っていたことだった。もちろん、どうするも何もないのは、分かったうえで。

この保安学校に売り飛ばされた。あるいは送り出された。あるいは入学した。どう表現しても良いが、とにかく、僕らに選択肢というものはない。僕らも二年と少し後には中等部、そしてその後のパイロット育成課程を卒業して、その時が必ずやってくる。それをどう待つか、僕はまだ心積もりができないでいた。


僕の問い掛けに対して、二人は沈黙したままだったが、少し経ってからアンが口を開いた。

「分からない。」

そう一言言った後、けれど、と続けた。

「ワタシは死にたくない。それだけは言える、と思う。」

イスに腰掛けているアンは、目線を少しだけ泳がせ、最後は膝上に置いた自分の両手の平に落ち着けた。彼女はまるでその手平が本のページか何かかのように、それを見つめていた。

「戦闘機は可愛いし、カッコいいし、好きだけど。でもその中で死ぬのは嫌。最期は、普通に歳を取って、普通にベッドの上がいい。」


「コハクはどうなの?」

アンが手のひらを閉じ、ゆっくりと僕の方を見ながら言った。


「僕は―」問い掛けをしたものの、自分の返事は考えてはいなかった。

実際に保安部隊に配属されたらどうするか?


なんとなく、死、それ自体は怖くない気がする。これが無知なのか、無謀なのか、あるいは純粋さなのか。自分では分からない。けれど、心当たりはなんとなくある。懐かしい母の言葉だ。たくさんの人の命と幸せを守れる人間になりなさい。そう言って送り出されたことを思い出す。母との最期の会話は、僕を手放す謝罪でもなければ、僕自身の幸せを祈る言葉でもなかった。それを憎く思ったことは不思議とない。それは自分が捨てられたと思いたくないだけだから、なのかも知れない。でも、今はその言葉通りの自分でありたいと思う。

僕は自分のその素直な気持ちを言葉にした。


「なんか私がちっちゃい人間みたい。」

アンが少し俯いて、小声で言った。

「ちっちゃくなんてないだろ?」

すかさずシオがそう言った。少し珍しいなと思った。


シオは自分のことを優れた兵士と自認している。そして、こう言うと酷い話に聞こえるかもしれないが、自分の命を惜しむようなヤツがいたら、貶めることこそなくても慰めたりはしない奴だった。

「自分の胸に手を当てて考えれば、誰だってそう思う。」

アンは目をつぶり、シオの言ってみたとおり、ゆっくりと自分の胸に手を当ててみていた。


「ちょっと待って、それ心にって意味よね?」

途中でアンが目を見開いて言った。

シオは何も言わなかったが、僕は少し笑ってしまった。

アンはあきれ顔になる。でも、シオらしい優しさだとと思った。


「シオはどうなのよ?」

「俺はさっき言ったとおりさ。みんなが生きて幸せでいられること。

そのために必要な選択をすること。これだけ。」

シオは迷いなく断言した。


「あ。一応言っておくけど。この、みんなってのはコロンブス社のコロニーの人たちとかは含まない。敵の兵士。敵の奥さん、友達、子供、その他。彼らは誰も含まない。一番大事なのは自分の父親、母親。二番目はアン、コハク、それ以外の仲間。三番目はそれ他大勢の普通の人たち。そのみんなを守るために必要なことをする。それが僕が配属されたらすることだ。」

シオの口調は至って淡々としていた。


「でも、コハクにも、アンにも、それを強制はしないよ。大切なものは人それぞれ。立場が違えば、幸福の形は違うと、そう思うから。」

シオは先ほどよりも、いくぶん落ち着いた声で言った。

たぶん僕たちを心配しているんだろうなと思った。シオは迷いは弱さだと思っていて、僕たちのその弱さに、実戦で敵が付け入ってくることを心配しているのだ。


「シオは正しいよ。いつもね。」

「そうかしら? シオはいつもちょっと冷たいわ。」

アンはまた先ほどと同じように、膝の上に両手の平を広げ、それを悲しそうな目で見ていた。


「どうして?」

シオが優しく落ち着いた声で訊ねた。


「ワタシは、死にたくないけど、できれば殺したくもない。この学校は気に入っているけど。」

「ワタシ、戦闘機が好き。目で見るのも、乗るのも、好き。でも、それが人殺しのためのデザインだと思うと悲しくなることもある。逆に、それが自分に向けられることを想像すると、それだけで怖くて怖くて、体が熱くなってくることもある。

でも気付くの、その体の熱さをね、自分が訓練で標的を吹っ飛ばした時とか、アニメで戦闘機が戦っているシーンとか、シューティングゲームの中で敵を殺した時に感じることもあるって。その時ってすごい体が熱くなって、興奮して気持ちよくなってるの。で、それだけじゃなくて、実際の戦場を想像して、敵の戦闘機を華麗に撃墜してる自分の姿が勝手に頭に浮かんでくるの。」

アンは落ち着いていたが、その時の記憶を思い起こしているようだった。


「戦争ってなんなの。」

アンの両目は、まるで今その手に銃を持っているかのように、その手のひらに向けられていた。そして僕は何も言わず、そのアンの姿を見ていた。


「アンは自分が誰かに銃を向けられても、なにもしないのかい?」

シオが言った。

「いいえ。そう、撃ち殺すわ。」

「俺やコハクが向けられていたら。」

「ええ。撃ち殺すわ。」

シオは俺もそうすると言ってから、続けてこう言った。

「それが俺たちに出せる答えだよ。」

アンはシオのいる上のベッドのほうへ、ゆっくりと顔を上げた。

そしてまたゆっくりと、今度は僕の顔を見る。

僕はそっと頷いて見せた。

「ありがとう。」

「そろそろ帰るわ。」アンが静かにそう言って、サッとイスから腰を上げる。そしてタブレットを手に取り、廊下へと繋がる扉を開けた。


「こんばんは。アン・グルージュ。」

扉の目の前には、男にも引けを取らない筋骨隆々な、まるでボディービルダーのようにきれいに肉体が鍛え上げられた女子宿舎の指導教官が立っていた。僕らは目をそらす。そして扉を閉める音が聞こえた。


そっと顔を上げると、アンはあろうことか扉を閉めてしまっており、真っ青な顔で僕らへ助けを求めていた。僕とシオは必至にジェスチャーで扉を開けるように伝える。

アンは顔を白くしたまま、まるでおもちゃの人形のようにカタカタと震えながら、扉の方へ向き直り、改めて扉を開いた。


「こんばんは。アン・グルージュ。」

指導教官は微動だにせず、さきほどと同じように立っていた。

「こんばんは。どうしてこちらに?」

「あなたのルームメイトから捜索願いがありました。彼女、とっても心配していましたよ。アンがまた頭を探してどっかへ行ったって。」

「心優しいルームメイトね?」教官が微笑んだ。

「ええ、とっても。」

「探していた頭は見つかった?」

「ええ、ここに」アンは諦めたように自分の頭を指さした。

「ええ、確かに、中身以外は見つかったようね。」

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