sieve017 守るべき仲間、家族

月の衛星軌道上には二つのコロニー群がある。

一つが月の影。地球から見れば常に月の真裏にある、L2コロニー群。

もう一つが、月の表。地球から見れば常に月の前にある、L1コロニー群。

僕たちイスカンダル社の保安学校のコロニーは、L2コロニー群のひとつだった。


L2コロニーは地球からは観測しづらく、攻撃もされづらい。だから、軍事的に重要な拠点などは、月の裏に置かれるか、その上空の、ここ、L2コロニー群に置かれる。中でも学校は子供の成長に重力が必要なので、珍しくまるまる全部が遠心重力区画だった。多くのコロニーは出産や、運動、特別な研究などといった、無重力化で行うことが難しいもの用に、特別に遠心重力区画を造る。その方が回転させるエリアが減るし、空という余分なスペースも作らないですむ。経済的で効率的だ。

だから、この学校は贅沢な場所と言えた。天井が高くて、普通のコロニーでは味わえない開放感があるし。コロニーの外の反射板経由で間接的ではあるが、それでも太陽光というのは独特の温かみがあって、体が浄化されるような感じがする。

そういうこともあって、大小はあれど、遠心重力が好きという人が多かった。


ただ、今日この場でアンケートをするなら、きっとそうはならなかっただろう。


僕たちは保安学校中等部の屋外スペースにて、30人、横二列で並んでいた。

間はお互いに動いても当たらないぐらいの距離で、全員がピシリと姿勢を正して起立していた。そう、今日は体力訓練の日だった。

将来はパイロットといえど、基本的な体力は求められるようで。

定期的にこうして体を鍛える訓練が行われる。今日がその日だった。


「よし! 次の腕立て伏せが最後だ。本日は校長のヘクター中佐も見学されている。各々、いつも通り全力を尽くして終わろう!」

指導教官の声が大きく響き渡る。

「「アイ・サーッ!」」

僕たち生徒が、それに負けないような声で返事を返す。


ちらりと目線だけを横に向ける。屋外スペースの端に、ヘクター中佐の立ち姿が見えた。訓練が始まってからずっと、静かにこっちを見つめて見聞している様子だった。


一方、僕の方はというと、体はもうだいぶとキテいる状態だった。ランニング、シャトルラン、デッドリフトなど。一通りのメニューをこなし、体はもう十分だと言っていた。けれど、これが最後だと、それで終わりだと自分に言い聞かせて立っていた。


「腕立て伏せ150回、用意!」


数字を聞くだけで気持ち悪くなりそうだったが、そういう姿はおくびにも出さず、素早く床に手を着く。手も足も肩幅に開き、腰は体が棒になるように真っすぐ。

そして指導教官の合図を待った。


「始め!」その声を合図に、僕らの地獄が始まった。

「「イチ! ニィ! サン!」」

みんなで掛け声を出して、懸命に体を動かす。


胸が地面に擦れるまでおろし、次は肩甲骨が開き、肩の筋肉が延びるまで持ち上げる。50回ぐらいまではそこそこ楽だったが、そこを越えると既に体が辛いと悲鳴を出し始める。筋繊維ひとつひとつが、痛いと声を出す。だがまだ100回までは体が言うことを聞く。けれど、100回を越えてくると、体はもう声もあげなくなり、筋繊維は硬直を始め、痛いのはもちろん、今度は伸縮すらしなくなってくる。腕、胸、肩、腹筋が全て痙攣して、どれも石のように重く微動だにしなくなってくる、そうなってくるとあとは、心と心臓の問題だ。そして130回ぐらいになったあたりに教官の怒号が響き渡る。その頃にはもう頭もおかしくなって、思考と言う思考ができる余裕もないのだが、指導教官の言葉とあっては、そう言っては居られない。僕は朦朧とする頭で、その声を聞き取ろうとした。


「ワーズ! 腕立て伏せなんだぞ! 腕を立てろ! 立てろ!」


怒号を受けていのは自分だった。

気付かないうちに体は地面に突っ伏して、腰だけがプルプルと震えながらギリギリ浮いているような状態だった。


「腕を立てろ! 立てるんだ!」

なんとか手のひらを床に付き、脇を広げ、体を持ち上げようとするも。思うようにはいかなかった。まるで何かでくっ付いているかのように、床から胸が離れてくれない。いつもならなんて事の無い1Gの重力が、ここに来て僕の全身を掴み、決して離さまいとしている気がした。


「おい、お前ら。ワーズがもうだめだぞ。どうする? それでいいのか? 弱いヤツはクズだ。守るべきものを守れはしない! 諦めるヤツもクズだ。守るどころか、自分の命すらドブに捨てる! だが、忘れるな! 一番のクズは仲間を見捨てるヤツだ!」

「そういうやつは、敵からも逃げる。家族、友達、恋人。誰の命も幸せも守れない。そんな奴はこの宇宙に必要ない!」


「どうだ!」

「「アイ・サーッ!」」


「返事だけか!」

「「ノー・サーッ!」」


朦朧とする意識を振り絞り、なんとか腕を立たせようと思っても、結局じたばたしてしまうだけの中で、僕の耳に入ってきたのは、仲間のみんながマーチを歌う声だった。


「「名前を名乗れと人は言う イスカンダルか ヘラクレスか」」

「「ヘクトルか アキレスか」」

「「世界の英雄数いれど お前に並ぶ者はない」」

「「だからお前の名を言えよ」」


僕は頑張って口を開こうと、喉を震わせるが、上手く声がでない。


「「名前を名乗れと人は言う イスカンダルか ヘラクレスか」」

「「ヘクトルか アキレスか」」

「「世界の英雄数いれど お前に並ぶ者はない」」

「「だからお前の名を言えよ」」


「ワーズッ」声を振り絞り、自分の名前を口にする。

先ほどまで目もほとんど閉じてしまってたが、

今は目が飛び出るかというほど力を入れて、見開く。


「「ワーズ。そうだ、それがお前の名 お前に比するヤツは居ない」」

「「時代遅れの英雄たちは知りもしない お前がどれほど強いかを」」

「「恐れも 弱さも お前の体にありはしない」」

「「だからお前の名を言えよ」」


「ワーズッ!」歌が響くほど、なぜか周りが温かくなり、手足、胸、腹筋どの筋肉も自由に動くような、そんな感覚が満ちてくる。先ほどまで全身が石のようだったのが、今度は火のように熱量が生まれてくる。


「いいぞぉ! そうだ。」指導教官の声が聞こえる。


「ワーズ」

「「ワーズッ!」」

「ワーズッ」

「「ワーズッ!」」

「ワーズッ!」

自分で声を出すほど、そして仲間が自分の名前を呼べば呼ぶほど、空っぽだったはずの力が、体の底から湧いてきていた。





体力訓練の後にシャワーを浴びた僕は、みんなと一緒に食堂で晩御飯を食べた。

そして今はルームメイトのシオ・エルドと一緒に、部屋に戻っている最中だった。

二人ともお決まりの黒いTシャツにベージュのパンツ姿。

ただ、シオ・エルドは、その紫髪の長髪を頭の後ろでくくったような、少しまどろっこしいスタイルだった。コンタクト嫌いで、昔から変わらない小ぶりな丸メガネなことも含めて、もう少し全体的にさっぱりしたほうがお風呂でもなんでも、楽で手間もかからないのにと思っていたが、本人が気に入っている様子なので何も言わないでいた。

自分たちの部屋の前に着いたので、扉を押し開けて中に入る。

僕は真っ先に自分のベッドに突っ伏した。

「し、しぬー。」


保安学校の宿舎の部屋は、二人部屋で、二段ベッドがぎりぎり収まるぐらいの大きさだった。僕は下のベッド、そして上はシオだった。


「全く、こっちのセリフだよ。歌ってる方がきついんだ。」

シオはそう愚痴りながら、自分のベッドへ梯子を上っていく。「ごめんごめん。」


何もいつも僕が励まされる側なわけじゃない。だからシオの気持ちはよく分かった。それに今日はたまたま僕だったが、今のところのワーストはアン・グルージュだったはずだ。僕はワーストランク外、多分。


「もう一歩も動きたくないな。」

突っ伏した体を頑張って回転させ仰向けになると、上のベッドの裏側を見ながら言った。

「じゃあコハクのブーツくれよ。僕のやつヘタって来ちゃって。」

シオがそう言うと同時に、二段ベッドの上からでかいブーツが降ってくる。

びっくりして手でガードするが、シオが靴紐の先を持っていたようで、

そのブーツは宙ぶらりんになっていた。


「そのブーツにも名前を訊ねてやれば元気になるさ。」

僕はぶらぶらしているブーツを掴み、ブランコのように上のベッドに投げ返した。


「じゃあ名前はコハク・ワーズjrかな。」

僕が何も言えずに黙っていると。部屋の扉が小さくノックされた。


「誰だろう?」そう呟いて、僕は扉に近寄った。

別に就寝時間でもないから、教官でも寮生でも、ノックする必要なんてないはずだった。

「どちらさんですかー?」

僕がそう言って扉に手をかけようとするのと、

その扉がこちら側に勢いよく開いたのは、ほとんど同時だった。

「失礼するわ。」

入ってきたのはアン・グルージュだった。


「「アン?」」シオも僕も驚いた。

シオはアン・グルージュが来たことに。

僕は扉に殴られた右手の指の痛さに。

そもそも、ここは男子宿舎だぞ。


「何よ? 私の顔を忘れちゃった?」

アンは視線のやり場に困る大きい胸と、適当に結んだ茶色いポニーテールを左右にゆさゆさ振って、僕ら二人の間で視線を行ったり来たりさせて言った。


シオが二段ベッドの上から身を乗り出し、顔をしかめて言う。

「いや、ここ男子宿舎だぞ? 教官に見つかったらどうするんだ?」

「大丈夫よ。その時には二人に連れ込まれて胸を揉まれたって言うから。」

こいつ、アホなのか。

お前は無事でも、そうなったら俺たち二人は退学どころか逮捕だ。


「というか、コハクどうしたのよ? さっきからしゃがみ込んで? お腹痛いの? さすってあげようか?」

アンが左手を膝について、僕の背中に触るか触らないかぐらいのところに右手を寄せていた。

「心遣い嬉しいけど。それは、もう三秒前に欲しかったかな。」

「あぁ、ごめん! 私がぶつけちゃったのね、大丈夫、見せて?」

アンは心配そうな顔して、僕の手を掴もうとした。

「いや、いいよ。大丈夫。ありがとう。」


「で、アンは何しに来たの?」

シオが怪訝そうに言った。


「あら、嫌そう。また優等生ぶるわけ? 私知ってるのよ、あんた、隠れてお母さんと電話してるでしょ。それも規則違反よ。」シオはギョッとする。

保安学校は身寄りがない子供、もしくはそれに似た環境からここに来ている場合が多いが、シオはお金持ちの両親が居て、どっちも健在。親子の中はずっと良く、こんなところにいるのを不思議がられるようなヤツだった。しかも親が心配性なようで、連絡がないと連れ戻されかねないんだとか。まあ、言い訳かも知れないが。


「おー、アン殿。いつまでも居てもいいぞ。なんなら朝まででも。」

シオは大袈裟な身振りで自分の布団を持ち上げて言った。

「アタシに指一本でも触れたら、ほんとに連れ込まれたって言うから。」

アンは、シオの顔目掛けて指をさし、顔をしかめて言った。


「というか、これよ、これ!」アンは手元に何か持っていた。

それは生徒なら全員に支給されているタブレットだった。

「それならみんな持ってる。」

僕が言った。


「コハクのバカ。中身よ。見て。」

彼女が二段ベッドに近寄り、まずシオの方へタブレットを見せた。

僕は二段ベッドの梯子に少し上って、シオと一緒にタブレットを覗き込んだ。

「「パラディオン?」」

アンが見せたそれには、初めて見る戦闘機の図が書いてあった。

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