sieve016 大切なふたつのこと
ここは、どこだ?
僕はまた浜辺にいた。
だが今度は、常夏のリゾートのような浜辺ではなく。
黒くゴツゴツとした、こぶし大の岩が一面に広がる。
少し、険しい浜辺だった。空は曇り空で、少し寒々しい風が吹いていた。
僕の恰好は、上半身は黒いTシャツ一枚。
下はベージュのトレーニングウェアのような格好だった。
どうしてここに来たかを考えてみる。
確か、キー副長と何かをしていて。その後。
―その後は?
そこから先の記憶が、思ったように出てこない。
そもそもキー副長と何をしていたんだったか。
そこから思い出せば、何か、こう、その後の記憶も一緒に出て来そうな気がして、
しばらく思い出そうとしてみるが、全く何も思い出すことはできなかった。
そうこうしているうちに、足がどんどん痛くなってくる。
僕はまたしても素足で立っていた。
石の尖った角が足の裏に食い込む。
何かないかと辺りを見回すと、近くに焦茶色のブーツが落ちていた。
足の痛みをこらえてそのブーツに近づき手に取る、手ごろな石に腰掛けて履いてみた。
不思議とサイズはぴったりだった。
ソールは厚く、くるぶしまで覆うようなシッカリとしたブーツだった。
紐で締めるタイプのものだったので、脱げないようにきっちりと結ぶ。
これで普通に歩ける。
そう思って、何の気なしにもう一度辺りを見回せば。
さきほどは気付かなかったものの、浜辺から海へ突き出す桟橋のような形で、石造りの道があることに気が付いた。それは大小、形もさまざまな石を組み合わせて作られた道だった。
距離は戦闘機を二、三機、横たわらせたぐらいの長さがあり、最後は石壁に囲われた、何か建物のようなものがあった。石壁の上は髪をとくのに使う櫛のようにギザギザしており、誰かがそれに隠れながら外敵を迎え撃つための形にも見える。また石壁の向こうには、赤い瓦が並んだ屋根のようなものや、中で植えられているであろう木々の先っぽが見えた。
その石壁の中には、何か家のようなものがあるようだ。
―あれは誰だ?
先ほどの道の突き当り、石壁とぶつかる部分は門になっており、その門の下に誰かが居るのが見えた。その人影は両手を振って、僕に何か合図を送っている。
呼んでいるのだろうか、僕はとにかく行ってみようと思い。
その家らしきものへの道を歩き始めた。
僕が近づく間も、その人影はずっと手を振っていた。
幾分か歩くと、その人影の姿も、少しづつハッキリしてくる。
紫色の髪を三つ編みにして、小ぶりの丸いメガネを掛けた子供だった。
背丈はちょうど僕と同じぐらい。
恰好も僕と同じように、黒いTシャツに、ベージュのパンツ、焦茶色のブーツだった。もう声を出せば届きそうなぐらいに来ると、顔もよく見えてくる。
垂れ目だが力強いまなざしで、僕が来るのを急き立てているような感じだった。
そして、君は誰? と、そう聞こうと思った矢先。
体から力が抜けて、ストンと落ちていくのを感じた。僕は気付かないうちに足元を踏み外し、海へと転げ落ちそうになっていた。
何かに捕まろうと辺りに手を伸ばしたが、石造りの道には、その道以外なにもなく、僕は海へ吸い込まれていった。
海へ落ちる間際。
先ほどの三つ編みの誰かが、慌てた顔をして、僕に手を差し伸べているのが見えたが、僕の視界はすぐ真っ暗になった。
壁も天井も床も、全部グレーのパネルで囲われた教室で、僕を含めた子供がたくさん集められていた。僕よりも頭一つ大きく、横幅は大人と大差ないほどでっぷりとした奴や、僕の顎が乗りそうなほど背が低いヤツ。少し小突けばコケてしまいそうなぐらい細い体の奴など。見た目も歳もバラバラだった。
僕がちょうど真ん中ぐらいの体格だったから、そして、その僕が10歳だから、みんな8歳~12歳ぐらいだろうか、たぶん。
僕たちはみんな同じ黒いTシャツと、ベージュのパンツを与えられ、焦げ茶色のスニーカーを履かされていた。みんな口を開かず静かだったが、手足は口とは逆に、どこにどうしまっていたらいいか分からない感じで、どうにも不安そうだった。時々誰かが、何か自分の物を落としたりする音、靴を床にこすりつける音が聞こえたりした。
それに正直に言えば、僕もズボンのポケットに隠した両手を震わしていた。
だが、僕の前、最前列に立つそいつは、ピクリとも動かず、まるで石の彫刻か何かのように直立不動だった。
背中しか見えないが、紫色の髪を三つ編みにしていたから、もしや気弱な女子が、立ったまま失神してしまったのかも知れないと心配になった。
僕は震える右手を、もう震えようも無いほどにギュッと握ってから、ポケットから引き抜き、そいつの背中を小突いた。
すると、そいつは何事も無く振り向いて、僕を笑った。
小ぶりなメガネで垂れ目をしていて、可愛らしい顔つきではあったが、雰囲気で男だと分かった。僕は心配して損したという気持ちと共に、余裕しゃくしゃく、といった感じで僕をあざ笑ったのに頭に来て。もう一回、今度は横腹を小突いてやろうと、そうしたら気が晴れるかもしれないと、そう思って手を伸ばした時。
急に教室の扉が開いたので、僕は手を引っ込めた。
そいつは僕が手を出そうとしたことも、まるで気付いていなかったかのように、事も無げに正面に向き直った。
僕もそいつも、周りの子供も、みんな一緒に、その開いた扉のほうを見つめた。
すぐに周りの子供がざわつく、僕もその人を見て、ぎょっとした。
そこに立っていたのは大の付く大男だった。軍服のような分厚い黒い服だったから、本当の体付きはよく分からなかったけれど、それでもずいぶん大柄に見えた。けれど、一番怖かったのは、その大男の顔が、真っ白の仮面のようなものだったからだ。横顔もなにか黒い機械のような物が覆っており、生身が見えず、仮面を着けているというより、白い仮面が黒い機械の体にはめられているような、そんな感じがした。
「こんにちは。皆さん。」
その仮面の大男は、一言そう挨拶した。
声はちゃんと人間の声だった。
落ち着いた男の人の声で、僕はあまり分からなかったが、父親がいれば、たぶんこんな声だったのかもしれないと思うほどに、優しい声だった。
他の子供たちも怖さは少し和らいだが、それでもみんな押し黙り、何も答えられないでいた。
そんな中、一人だけ返事の声がした。「こんにちは。」
その声は、恐怖というより、困惑気味な声だったが、ハッキリと聞こえる声だった。
「偉い子ですね。キミは正しいことをしました。名前は?」
男はその巨大な手を、同じぐらいに巨大な膝に付き、
できる限りその子供と同じ目線になろうとしていた。
「シオ・エルド」
自分の名前をそう言ったのは、僕の前に背中を向けて立つ、そいつ。
さっきの紫髪の三つ編み頭だった。
「シオ・エルド。カッコいい名前ですね。ちゃんと覚えておきます。」
その仮面の大男は、右手をそっと、紫髪の三つ編み頭の肩におき、やさしくゆっくりと撫でた。僕はなんとなく嫌な気持ちになって、そいつが何か粗相をしないかと思って見つめていたが、特に何も起こらなかった。
「さて、皆さん。私はこの保安学校の校長先生をしている。
ヘクター・ウェルトダルリー少佐です。」
仮面の大男が背筋を伸ばして言う。
「いいですか。こんにちは、と、そう挨拶をされたら。相手がたとえどんな人であっても、初めて会う人であっても。まずはこんにちは。そう返しましょう。いいですね?」その男は太い右手の人差し指を、そっと天井に向けて言った。
「分かったら、大きな声でハイ。」
「「はい、こんにちは。」」
タイミングは少しばらばらだったが、僕も含めてみんなで挨拶を言った。
「よろしい。偉い子ですね。」
男は天井に向けていた指を、まるでそこに透明な鐘でもあるかのように弾いた。
「さて、お話をする前に。私も、それ以外の先生も、この学校にいる人はみな、正しいことが好きです。正しい事には価値があります。」
「そこで、さきほどのシオ・エルド君の、知らない人にも挨拶できたという、正しい行動に対して、報いておきましょう。今日が最初ですからね。簡単なことでも報いておきます。いいですか、最初だからですよ。」
子供たちが、先ほどまでとは違う雰囲気で少しざわざわしていた。
『報いる』という言葉の意味があまり分からない奴でも、
何かご褒美がありそうだぞ、ということは察していたようだった。
「そうですね、今日のお昼ご飯にはクリームブリュレを付けましょう。卵と砂糖を使って、そこに牛乳と生クリーム。そしてバニラオイルを一滴加えてオーブンへ。食べる前に表面を火であぶって、テカテカのパリパリにした、とっておきのクリームブリュレを。」
おぉ。とか、やった。という声が聞こえてくる。
僕も気付けば、ほんの少しだけジャンプしていた
お母さんと食べた記憶が蘇ってくる。
香ばしくてパリッとした表面で、中は甘々のカスタード。
急にお昼が待ち遠しくなった。
「さてさて、静粛に。」
ヘクターと名乗った、その仮面の大男が言った。
みんなきれいに静かになる。先ほどまでの恐々とした雰囲気はどこへやら、奴らも僕と同じく、お昼ご飯のデザートのことで頭がいっぱいらしかった。
「ここまでは脱線です。ここからが本当に大切な話です。入学の前に、キミたちにお話ししたいことがあります。」
「この学校を開いているのは、イスカンダル社という大人たちです。ここで貴方たちは二つのことを学ばないといけません。まずは戦う力です。戦争を戦い抜く力です。ここにいる貴方たちは、父親・母親から愛されなかったから、ここにいるわけではありません。そこだけは勘違いしてはいけないですよ。愛されているから、ここにいるのです。ここなら家も、衣服もブリュレも。」
何人かが時計を探して首を少しキョロキョロさせていた。
「この部屋に時計はないですからね、どこを見てもブリュレは早くはやってこないですよ。」みんな少しだけ笑った。
「さて、話の続きです。よく聞いてくださいね。今、私はとても大切な話をしていますよ。」ヘクターと名乗った先生は、両手を大きく広げて言った。
「これから貰うブリュレも父親、母親から貰ったものだと思いましょう。ここで手に入るものはすべて、親から貰ったものだと思ってください。ただ、もちろん本当なら皆、自分の手で貴方たちにあげたかった。でも貧しさ故にできなかった。なぜ、貧しかったか?」
「戦争です。それが原因です。これが全て悪いのです。ですから、貴方たちには戦争を打ち倒す力が必要です。とても強い力が必要です。でも強くなることは大変です。たくさんの我慢と勉強をしないといけません。でも貴方たちなら耐えられます。その為に私たち先生がいる。だから辛いことがあれば、すぐに先生に相談しなさい。私でなくとも、どの先生方も貴方たちを助けてくれます。そして、やがて貴方方は立派な兵士にならねばなりません。それが父親、母親が貴方に願っていることです。」
「いいですか?」
みんなでハイと言った。タイミングはまたばらばらだったが、
「素晴らしい。偉い子です。」
「そして学ばなければならないことはもう一つ。」
「それは正しい力の使い方です。」
「こちらも大事なことです。どんな力も、使い方を間違えてはいけません。貴方方はこれから大きなロボットに乗ります。」誰かがロボット!と言った。
「そうロボットです。でもそれはとても怖いロボットです。君がそのロボットに乗れば、私なんか、ロボットの指一本弾けばどこかへ飛んでいきます。」
ヘクター先生は、さきほどのように右手の指をまた弾いた。今度は教室の外に向かって大袈裟に。
そんなに大きいのに? と誰かが言った。
「そうです。こんな体ちっぽけなものです。皆さんには大きく見えるかもしれませんが、貴方たちがこれからゲットする体に比べたら、大したことはない。」
「そう、とても危険な力なのです。だから、その使い方をしっかり学びましょう。」
「大切なのは命と幸せを守ることです。どちらも守ることです。」
「ここに一緒にいる友達の、命と幸福、それぞれのコロニーに居る父親と母親の、命と幸福。そして、このL2コロニーに住む私たち、先生達や、もっと広く、この宇宙全体、全人類の、命と幸福。これらのために戦うのです。それが正しい力の使い方です。いいですね?」
「はい。」今度は少しそろって、みんなでそう返事をした。
そうしたところで、僕たちの誰かが声を上げた。
「ヘクター先生。お手洗いに行きたいです!」誰かが手を上げているのは分かったが、背が低いのか手のひらの先が少し見えるぐらいだった。
「元気があるのはいいですが、私のことはヘクター少佐と呼びなさい。これからはね。」
「はい、ヘクター少、佐?」
「はい、それが正しい呼び方です。お手洗いはこちらです。みんな少し待っていなさい。」
「ヘクター少佐、その大きな体でトイレに入れるんですか?」誰かが言った。
僕は少しだけ、ひやっとした。あんなすごい体をした大人を相手に、怖いもの知らずなヤツがいるようだった。
「悪い子がいますね。心配ありがとう。でも、貴方たちと一緒で、専用のおまるがあるので安心です。」
ヘクター少佐は笑った。子供たちも笑った。僕も笑った。
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