sieve015 新しい体
それは、ちょうど一歳ぐらいの子供ほどの大きさだった。
全体的に黒くしなやかな体つきをしており、
カーボンファイバーを思わせるような、黒い筋の入った人工筋肉の尻尾、後ろ足、前足。両足の先には、マシュマロのように柔らかな肉球。
細くくびれた首の先には、人のこぶしほどの顔。
耳はゴム製で、ときおりパタパタと動いた。
目と思しきところには、黒い丸型のディスプレイが二つあった。
それはもう、どこからどうみても、黒猫の形を模したロボットだった。
「ワーズ少尉。私は遺憾です。」
僕はその黒猫のような何かの脇を掴み、自分の肩ぐらいの高さまで持ち上げ、その何かについている、丸形の二つの目としっかりと見つめ合っていた。
その目は、お皿の上半分をきれいに切り取られてしまったかのような形をしており、それが水平に二つ並んで、抗議の意を示していた。
「おぉ、この猫ロボット。イライラすると、ちゃんとジト目になるんだ。」
黒くしなやかな尻尾が、まるで時計の振り子のように振れていた。
それを見て、猫はイライラした時に尻尾を振るらしいことを思い出す。
「おぉ、もっとイライラし出した。」
僕がそう呟くと、尻尾は今度はまるでプロペラの如く、
もっと激しく回転し始めていた。
「ワーズ少尉。聞こえていましたか? それとも、猫の言葉は分かりませんか?」
「あぁ、猫語はちょっと苦手で。」
「左様ですか。かしこまりました。」
その黒猫らしきものの顔に亀裂が入り、それが口を開けたのだと気付いた時には、もう鋭利な何かが僕の右手に深く食い込んでいた。
「イタッ。こいつ、歯がある!」
僕は思いきり腕を振って、その凶暴な黒猫らしきものを振りほどいた。
音もなく着地した、その黒猫らしきもの、改め猫アテナは僕の足元でお尻を付けて座り、何食わぬ顔で肉球をペロペロしていた。
「失礼。ですがなにぶん、猫ですので。」
「よろしければ、その右手、お舐め致しましょうか?」
猫アテナはチロリと舌を見せた。
「ありがとう。遠慮しておくよ。」僕は傷口を左手で隠して言った。
「で、何なのですか、これは?」
猫アテナは、その丸く尖った顔で、不思議そうに自分の猫の体を見まわしている。
「いや、お前が寂しがってるかな、と思って。」
「実はこの船のサポートAIが猫型のインターフェイスで、ロボットの体に入って、実際の船内を歩いて回ってて。それを見て、ATHENAにも何か体をあげようかな、と」僕はそう言いながら、猫アテナの頭を撫でようとしたが、また、その丸く尖った顔の先に亀裂が走って鋭利な歯が見えたので、手を引っ込めた。
「なんとも非合理的なAIですね。人間用にデザインされた空間で仕事をするなら、同じ人型のほうがよろしい。」
「残念ながら人型の体はないらしい。借りたその体も、そのAIのお古みたいだし。」
「ふむ。そうですか。まあ、しかし、できることが増えるのは良い事です。貸していただけるのなら、有難くお借りしましょう。通信さえ届けば、スフィンクスの中から操作できるようですし、この船にいる間は便利そうです。」
猫アテナは、その小さな体で、スフィンクス、自分の体を見上げて言った。
「だろう?」
僕は満足して、そろそろサチコの着替えも終わっているだろうかと考えて、格納庫の出口に向かって歩き出した。
ちょうど、この船に乗り込んできた時に、ニカと言われた少女が寝巻のままで入ってきた扉だ。僕は扉に近づき、すぐ横に設置されたパネルを操作しようと手を伸ばしたが、パネルに触る前に、なぜか扉が開いた。
見ればそこには、またその少女が立っていた。
今度は寝巻ではなく、白いTシャツを着ていて、
そこにはchildren should journey(かわいい子供には旅をさせよ)と、大きく書いてあった。
身長はちょうど僕の腰ぐらい。
子供独特のぺったりした髪の毛は金色に光って、やわらかそうなお顔の真ん中には大きな瞳。そして、その大きな瞳をきょとんとさせて、僕の顔を見つめていた。
「こんにちは。」
場所が場所なだけに、最初に会った記憶を思い出して泣き叫ばれたらどうしようかと、ひやひやしながら声をかけた。だがその子は、まるで時の流れが止まっているかのように、じっと僕の顔を見つめたままだった。
小さい子と接した経験が全くなく、こういう場合にどうしたら良いか分からなかったが、記憶の端から、ニャット船長がしゃがんで話しかけていたことを思い出し、
僕も同じようにしゃがんで膝立ちになって、もう一度話しかけた。
「こんにちは。確か―」
「ニカ!」そう、確かニカって名前だったか。
「初めまして、ニカちゃん。」僕は出来る限りの笑顔を作った。
そしてまた、次になにをしたら良いか分からず、笑顔が引きつりつつあった時、
遠くから声が聞こえてきた。
僕よりもその声に早く気付いたニカは、さっきまでのおっとりした雰囲気はどこかへ消えさり、何かに追われているかのように力強く、その声の方を振り向いた。
「ニカを捕まえて!」
そう聞こえたと同時に、ニカはもう僕の隣を走り抜けようとしていたが、
僕は反射的に肩を抱き止め、ニカを捕まえていた。
するとニカは暴れる訳でもなく、そのまま大人しくなった。
「はぁ。ありがとう。」
ニカを抱き止めた僕の後ろから、息を切らせて声をかけたのは、青みがかった黒髪を真ん中分けにした青年だった。よほど走り回ったのか、すっかり息が上がって、膝に手を付いていた。
「よーし、ニカ。カードキーを返しなさい。」
青年は息を整えたあと、僕に捕まったニカの目を見つめて言った。
「ごめんなさーい。」ニカは悪びれもせず、ズボンのポケットの中から、
Pantry(食糧庫)と書かれたカードキーを取り出し、青年の方へ突き出した。
「ほどほどにしないと、ニャット船長から叱られることになるぞ。分かったな。」
青年はほとんど諦めているような口調だった。
「ありがとうございます。もう離してあげていいですよ。」
青年は、蚊帳の外だった僕の肩をポンと叩く。
僕はそっと手を放し、ニカを自由にしてあげた。
けれど、ニカはどこへ行くでもなく、また僕と最初に見つめ合った時のように、微動だにせず俯いて、ある物をじっと見つめていた。
その視線の先には、猫アテナがお尻を床に付けて座っていた。
何かを察したのか、アテナは下がり眉になり、
ディスプレイに表示されたその目は、カタカタと震え出していた。
「猫だぁー!」
ニカが叫んだのが先か、猫アテナがダッシュしたのが先か。
また追いかけっこが始まったようだった。
その一匹と一人が、どこかへ走り去るのを、
僕と青年は一緒になって呆然と見つめていた。
「どう言ったら反省するんだか。というか、さっきヘルメスいたけどな。なんで黒いのに戻ってるんだ?」青年は独り言を呟いていた。
一瞬、借りたことを説明しようかと思ったが、面倒だなと、どこから言うのが早いかと考えている内に、青年がまた別の話を始めた。
「そうだ、丁度いい。ワーズさん。暇でしょう、手伝ってくれます?」
僕が一匹と二匹の姿が見えなくなった場所から、
青年のほうへ視線を移すと、青年は先ほどのカードキーをプラプラと振っていた。
青年、確かニャット船長は、キー副長と、そう言っていたか。
そのキー副長に連れられていった先。
パントリーと書いたプレートが張り付けられた扉の中は、ひどい有様だった。
ボルトで完全に固定された棚こそ無事だったが、そこに収まっていたであろうコンテナはそこら中に散らばり、プカプカと漂っていた。酷いものはコンテナのフタが開いてしまっており、アルミでパウチされた食料やら、箱詰めのクッキー、ビニールにパックされたパスタや、紙包みが外れかけた芋など。様々な食料が自由に漂っていた。それらの中には、ホースのように細長いものもあり、よく見れば、コンテナを固定していたであろうベルトのようだった。
「思ってたよりひどいなぁ。」
青年はそう言って、手近にあるコンテナを引っ掴み、おそらくもとあったであろう場所に戻し始めた。
僕はとりあえず中身の出てしまったコンテナを目指して、
そのあたりに散らばったものを拾い集め、
似たようなものが入っているコンテナに詰め込み始めた。
「キー副長、でしたよね。あのニカって子、いつもあんな感じなんですか?」
民間船とはいえ、副長と呼ばれる人に、ただ自分の方が年上そうだからという理由で砕けた口調もどうかと思った僕は、とりあえず敬語で話しかけた。
「そうなんですよ。ニャット船長の言うことは、まだ大人しく聞くんですが、僕となるともう好き放題。この前も朝起きたら顔に落書きされてて。困りますよね。」
キー副長はあきれつつも、すこし楽しそうだった。
「でも、カードキーなんて。アナログですね。生体認証とかは使わないんですか?」
この部屋に入る時に、カードリーダーと一緒に操作パネルが付いていたことに気が付いていた。おそらく、生体認証機能も付いているはずだった。
「いや、付いているんですけどね……」キー副長が言い淀む。
僕はすぐに藪蛇だったと気が付いて、この話をしたことを後悔した。
僕がパスファインダーを助けようとした時には、この船のパラディオンはもう三機のうち、二機が撃墜されていたことを思い出す。
保安部隊なら、パイロットと食料庫の管理が同じ人間な筈はないが、
商船なら、そういうこともあるかもしれない。
特にこの船はサイズから見たら、かなり少ない人数で運用しているようだった。
「いや、やっぱりこのベルトは良くなかったな。また何かで補強しておかないと。」
棚にコンテナを戻し終えたキー副長は、好き放題に伸びたベルトを掴み、改めてコンテナが棚から動かないように固定しなおしていた。僕もそれを手伝う。
「ワーズさんて、パイロット歴はどれぐらいなんですか?」
「どうだろう。十年と少しぐらいかな。」
イスカンダル社の保安学校を卒業した年を思い出して、大体で答えた。
「Gに弱くてもパイロットって、できます? やっぱり難しいですか?」
キー副長は、真剣な声で尋ねた。
「どうだろう。うーん。例外はあるかもですけれど、やっぱり難しいと思いますよ。」意図はよく分からなかったが、僕は率直に答えた。体を機械に置き換えたり、ナノマシン技術を使ったり、外科的になんとかする方法はあるかもしれないと思ったが、そういう話ではなさそうだ。
「そうですか。シミレーションとか、輸送船に備え付けの小さいボートぐらいなら、全然大丈夫なんですけど。ニューラルリンクで四肢を操作するようなものを動かすと、どうしても三半規管がおかしくなって。ちょっとGがかかるとダメになっちゃうんですよね。」落胆というより、悔しい、といった感じだった。彼が何を感じているか、なんとなく想像がついた。
「まあ、人にはそれぞれやるべきことがありますから、副長をされているってことは、ブリッジにいらっしゃるんでしょう? それって、とっても重い責任があることですよね?」
「パイロットって結局は母艦のブリッジに居る人の指示に従うだけですからね。どれだけ自分がパイロットとして優秀だと思っていても、ブリッジが何か間違えば、この広い宇宙の中で燃料切れで漂流するかもしれない。あるいは接敵の計算を間違えて、母艦が勝手に敵の戦闘機の編隊に突っ込むかも。」
「でも、そこはもう信じるしかない。基本は疑っちゃいけないんです。」
「でも、だからこそブリッジには信じられる人が居てほしいと思います。この人の指示なら、間違いない。万が一間違っていても、この人が間違ってしまったなら死んでも仕方ない。そう思える人が。」
自分で言っておいて、パイロットなら誰でも言えるような月並みなことばっかりだな、と思った。正直、今まで母艦を失ったことも、指示ミスで漂流しかけたことも無かったから。そもそもあまりそういう、人に物を教えるような立場になったことも無い。案の定、キー副長は何も言わず、黙ったきりだった。
「聞かなかったことにしてください。」ひとしきり沈黙が流れたあと、そう言ったのはキー副長、彼だった。
「ええ」返事をしようか一瞬迷ったが、なんとなく一言だけ、そう言った。
「さて、これで終わりですね。」
気付くと、辺りはすっかり片付き、
散乱したものはどれもコンテナの中に納まり、固定用のベルトもばっちりだった。
「ありがとうございます。」
キー副長はすこしだけ会釈して言った。
僕も、いえ、と言って頭を少し下げた。
そして二人一緒に、出入口の扉に向かう。
キー副長がカードリーダーで扉を開けると、すぐ目の前に、猫アテナがちょこんと座っていた。
真っ黒だったはずの体が、まるで白と黒のブチ猫のようになってしまっていた。
目の周りは白いマジックか何かで縁取られ、体にはハートマークやら猫のイラスト、白い水玉など、何やら大変な目にあったことが想像できた。
あげく尻尾には、猫じゃらしのようなものがテープでくっ付けてあった。
「おう、どうしたどうした。」猫アテナの脇を掴んで、抱き上げる。
見ると猫アテナの細い首には、赤い首輪が付けられ(アタシのかわいいアテナ)と殴り書きされた、金色のプレートがくっ付いていた。
「仲良くなったみたいだな。」
「ええ、遺憾ながら。」
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