sieve014 猫可愛がり

「ニャーオ」

僕が船長に熱い抱擁をされている時、その後ろ。

診察台の方から鳴き声がした。僕も船長も同時にそちらを見た。


「ニャーオ」

パイロットスーツを上半身だけ脱いだサチコが、

胸の前に白い猫を抱えて、その猫と一緒に目を丸くしてこちらを見ていた。


「年の差があっても応援するニャン。」

小さかったが、そのハンドベルのように優しい声色は、サチコの声だった。


「喋れるのか!? 大丈夫なのか?」

今までほとんど喋らなかったサチコが、普通に喋り出したのに驚いたこともあって、

僕はさっきまでニャット船長に抱かれていたことも忘れて、診察台に飛びついた。


そして恥ずかしそうに猫で体を隠して、目を横にそむける彼女を見た。


「モチロン喋れますよ。」


僕は声のした方を見る。サチコも同じ方向を凝視していた。

変な話だが、猫から声が聞こえた気がした。


「サチコか?」サチコは大きく顔を横に振った。


やはり、サチコの胸に収まる猫から声が聞こえた気がして、

僕はしゃがんで、その白猫と見つめ合った。

すると大人しく抱っこされていた猫が、

すっと両前足を差し出して僕に何かを要求してるようだった。


「か、かわいいな、オイ。」

僕は思わず、自分の顔を猫の顔に近づけていた。

すると猫はそっと身を乗り出して、僕の顔に頬ずりをして来る。コロニーでは稀に飼っている人を見たことがあったが、船にまで乗っているのは見たことがなかった。猫はひとしきり僕の両方のほっぺに頬ずりをした後、僕の耳元にそのかわいい口を近づけてきた。


「ニャット船長を口説くなら、甘いものが一番ニャよ。」

「「喋ったぁ!」」


僕もサチコもびっくりして、サチコに至っては猫を思いっきり放り投げてしまった。瞬時に猫とサチコとで視線を往復させる。猫はおもちゃの回し車のようにクルクルと高速で回転し、明後日の方へ吹っ飛んでいき、サチコの方は上半身があらわになってしまっていた。あたりにある緑色の布を引っ掴んで、サチコのほうへ放り投げた。


「うぉオ。ぅうニ゛ャー!」

白猫はひどい叫び声をあげていた。

回転しているせいか、ドップラー効果のように、強弱をつけて医務室に響き渡っていた。


僕がその猫を助けてやろうと身構えた時、ニャット船長がその猫をキャッチした。


「こら、HERMES。」

船長は白猫の首根っこを掴んでいた。

「また悪さして。その体、没収するわよ。」没収?

「すいません、ニャット船長。」

白猫は、さきほどまでのあからさまに猫を真似たような猫声から、

抑揚のない口調に変わった。

それはどこか聞きなれた。覚えのある喋り方だった。


「私の名前はHERMES。近未来の猫型ロボッ」「こら!」船長が手を上げて、ひっぱたくそぶりを見せると、その白猫は耳をしゅんと下げて目をつぶった。


「シツレイ。私はHERMES。このパスファインダーの汎用サポートAIです。航行・電子・機関。その他、船の内外に関わるシステム全般のコントロールをサポートしています。以後、お見知りおきを。」


ATHENAの船版ということだろうか。ただ、なぜ猫の姿なのかは全く説明されず、僕は釈然としない気持ちだったが、サチコの方は大感激といった感じで、瞳をきらきらさせて、その白猫らしきものを見つめていた。


「つまり、賢い猫なのね。」

誰の気持ちを読んで、何を聞いたらそうなる。


「サチコ、今のは猫じゃないって話な。」


「そう、猫じゃないわー。これは船内監視のための、移動端末ってところね。こんなに出来が良い理由は、私も知らないわー」船長は白猫、もといHERMESの髭を指ではじきながら言った。そして猫を高い高いして、お腹に顔をうずめ、匂いを嗅いだりしていた。


「人間に敵視されず、親しみを持ってもらうための合理的な姿が猫なのです。なにより人型だと、何かと私に関係ない仕事を言い渡されるので。この姿なら寝ていてもみんな可愛がってくれます。」

HERMESはちなみにお腹は太陽の香りです、と補足した。


「あら、私はタヌキは嫌いよ。」

「というか、そんな理由なの?

じゃあ、いつも悪戯するのはなんでよ?」


「それは趣味です。」

船長がまた「コラ。」というと、HERMESはまた耳を下げて体を小さくした。


「まあ、ほどほどにしなさいよぉ。さあ、戦闘の後の艦内チェック。

まだ終わってないんでしょ、続けて来て。」

ニャット船長はHERMESの体をそっと床に下ろすと、HERMESは無重力の中、器用に床を蹴り壁を蹴り、どこかへ飛んでいった。


角を曲がって姿が見えなくなると、HERMESの猫声と誰かの悲鳴が聞こえた。

船長の言ったのはこういうことか、と思った。


「さて、まずは服ね。」

ニャット船長は、サチコの体を見て言った。

サチコはずっと緑の布を抱いて、体を隠していた。


「ミコスのとこへ連れてってあげるわ。彼女の服なら着れるでしょ。」

そして僕の方を見て、貴方はどうする、と続けた。

「いつ何が起きるか分かりません。このままで結構です。」

「そう。もし必要なら、副長のキーに聞いてみるといいわ。」


「じゃあ、こっちよ。」

船長がサチコを手招きして、通路を進んでいく。

僕もその後ろを付いていった。


「いや、貴方は来ちゃだめよ。」

「え?」

「淑女の着替えを覗き見ようなんて、そんなのダメよー。」

「いや、別にそういうつもりじゃ。」

別に行く先もないし、彼女もさっきまであんな状態だったし、と説明しみても。


「それは問題ないわー。医者が言うんだから、間違いないわ。」

船長は手のひらでストップのジェスチャーをした。

するとサチコは笑って、一緒に手のひらを僕に向けて、ストップとポーズをしてくる。僕は仕方なく、近くの手すりをつかんで止まった。サチコはその広げた手のひらを横に振って、さようならーといった感じで遠ざかっていく。


彼女たちを見送ると、僕はすっかり手持ち無沙汰になってしまっていた。

「ATHENAのところでも行くか。」

特に何をしたらいいかも思いつかず、

スフィンクスの中で待機するぐらいの選択肢しか、浮かんでこなかった。






サチコは鏡の前に立っていた。

ニャット船長にミコスの部屋に連れて来られた彼女は、

ミコスが服をひっきりなしに持ってきては、彼女の体にあててはまたクローゼットに戻すというのをずっと眺めていた。


「なんか私の服が似合わない感じなのよね。なんでだろう。」

「ワタシ、白っぽい服が多いのよね。

貴方が着ると、なんかすごい儚げな感じになっちゃう。」


サチコの真っ白で艶やかな髪は、胸まで届きそうなロングヘアーだったが、耳より後ろの部分はバッサリと切られていて、そしてのこった髪はそれぞれの耳の前で髪留めでまとめて、胸元に太く垂らしてあるような髪型だった。


ミコスは後ろからサチコの肩をつかみ、鏡越しに自分との違いを見つけ出そうとしていた。「やっぱり髪の色かな?」

ミコスは、自分の赤いおかっぱの前髪に指を絡めると、そのゆるいクセ毛のカールを手で弄んだ。


「髪の毛触っても良い?」ミコスがサチコに尋ねた。

「うん。いいよ。」では、とミコスは指でそっと髪を手にした。


「うーん。なんか、すごい真っ白できれいー。つやつやしてるし。」

ミコスは、自分の髪の毛と触り比べていた。


「なんだろうな。パイロットスーツのヘルメットが良くないのかな。それともナイトキャップとかしっかりしてる感じかな?」

ミコスは、自分の髪を触りながら、鏡越しにサチコに答えを求めた。


「ナイトキャップ?はよく知らないけど、寝るときに被るってこと?」

「知らないなら違うか。」


「うーん。というか、髪型も面白い髪型してるのね。あんまり見たことない。」

ミコスは、サチコの髪の耳より後ろの、ショートカットにされた部分を撫でたあと、人差し指と親指でわっかを作り、サチコの耳元から胸元まで伸びる太い髪束が、一体どれぐらい太いか確かめようとしていた。


「これ? これはお父さんがこれが良いって言ってくれて。」

「お父さんが、へぇ。なんて名前なの。この髪型?」

「ビーナスバングス。女神の前髪って言うんだって。」

「女神の前髪?」

「そう。幸運の女神には実は前髪しかなくて。出会ってすぐは掴めるけど、一度通り過ぎて追いかけても、掴むところが無くて幸運を逃してしまうんだって。」

サチコは楽しそうに言った。


「うーん。ワタシだったら前髪を掴んでくるやつに幸運は渡さないけど。」

「だよね。私もそう思う。」サチコは顔をしかめて言った。


「そもそも前髪というより。もみあげ?」

「でも可愛くていいんじゃないかな。ちょっと待ってて。」

ミコスはまたクローゼットへ飛んで行った。

サチコは他人である自分のコーディネートを、

まるで自分のことのように楽しむミコスを見て、微笑んだ。


「青いデニム生地のシャツ。これ、どうかな?

私が着ると悪ぶってる感じがですぎちゃって。」


ミコスがその服をサチコの体にあてて確かめる。

「うん。ワタシが着るよりいい感じかも。儚い感じが抑えられてて、アクティブな感じがしていいね。」

サチコも頷いた。

「じゃあこれを貸してください。」

サチコは服を胸に抱くと、ミコスに丁寧に頭を下げた。

「いいよ、いいよ。むしろ貰って。ワタシそれ着ないから。」

「ミコスさん、ありがとう。」

「どういたしまして。」

ミコスもサチコを真似て、頭を下げた。

「下は、なにかそれに合いそうな白いパンツを探すね。」

ミコスはそう言うと、またクローゼットをひっくり返し始めた。






格納庫に着くと、僕はスフィンクスへ近づき、そのコックピットを開けた。

「おっと、ワーズ少尉。これはお久しぶりです。私のことなんてすっかり忘れているものだと思っておりましたが。」

「それとも何かお忘れ物をお探しですか? 優しさ? 思いやり? 感謝の気持ち? それとも私の電源ボタンですか?」

ATHENAは、ほんの少しの間に驚くほどやさぐれていた。

「まあ、そう言うな。」

「良いものを持って来たんだ。

その減らず口も、少しは可愛くなりそうな、良いものをな。」

「はて? どういうことですか?」

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