sieve020 ボーダーライン2

『後ろに付け!』

ディフェンダー1が撃墜されたことを叫んだあと、

次に発した言葉はそれだった。


ディフェンダー1が居ない以上、自分が指揮官だ。


―みんなを守らないと。


そう、みんなを守らないと。

ただその言葉だけが頭の中で反響し、思考を埋め尽くしていた。

何か協力しないと!

何かで優位を取らないと!


何か何かと、自分と周りを守ってくれる何かを探すが、

頭は真っ白で、具体的な案が何も浮かんでこなかった。


僕は宙返りを頂点で止め、地球に背を向ける形で、今まで来た進路を逆に進んでいた。先ほどまであった下方向へのGは消え、今度は背中と後頭部がシートに食い込む。とにかく速力を失いたくない一心で、両エンジンの出力は最大のままにしていた。だがロケットエンジンの燃料は見る見る減っていく。もう一度、努めて冷静になって、レーダーとスクリーンから敵の位置を読み取る。


敵の三機編隊は僕たちより遅れており、宙返りで追いかけてきた形で左後方、斜め下にいることを確認する。


そして僕の右後ろ、少し距離を空けたところについて来ている味方機を確認する。

多分、シオだ。


『ダイブだ!』

シオの声が僕の耳をつんざく。


それが良いか悪いかを考えることはなく、シオを信じることにした。

僕は速力を維持したまま、下方へ向かうように推力偏向ノズルを調整した。

頭から飛び込むように下降していく。途端に頭が重くなり、首がつぶれそうになる。お尻の肉もつぶれて、骨とシートがぶつかる。次第に視界が黒くにじみ始めていた。つまりそれは、心臓が血を脳に送り切れてないということだった。


―もう少し。

これがシオの言ったダイブ、逆宙返りだ。


最初の宙返りの時、真横の延長線上にいたはずの敵編隊は、僕から見て下方に居た。それはつまり回転半径がこっちより大きいということだった。

その差で優位を取れるはずだ。そう思った。


地球を背にし、すべての推力を使って潜るように急下降していく。頭が真下になり、一回転して地球が見えそうになったところで、頭を引き起こし、背中を再度地球に向ける。慣性を活かして、進路はそのまま、姿勢だけを変える。

まるで無限に飛び降り続けているような感覚だ。

先ほどまで下半身に溜まっていた血流が、今度は上半身に流れ込み、体を圧迫する。

Gの向きが上方向に移動し、先ほどまでつぶれそうだった首が今度は伸び切り、頭がもげそうになる。起こした上体に続いて、両足を体で抱え込むように前に持って来る。推力の向きが前方に変わり、落下状態だったのが、徐々にバック走のような状態になる。僅かなデブリが後方から視界の端に現れては、遥か彼方へと吸い込まれていくが、障害物を避けたりする動きはサポートAIに任せ、僕は右腕のレールガンを構えていた。逆宙返りを始める前まで左後方にいたはずの敵編隊は僕らの回転半径に追いつけず、全周スクリーンの頭上から少しづつ、背中を晒しながら、僕らの目線の高さに降りてくる。こちらが上方を取っているような形となっているようだった。しかし敵機もすぐにうつ伏せから仰向けに姿勢を変え、レールガンを撃ち始めていた。敵編隊の中で何かが瞬くたびに、光の粒が僕らの周囲に降り注ぐ。

そんな中で僕の肉体は、すでに被弾して戦闘機が炎上しているんじゃないと思うほどに熱を帯びていた。心臓はけたたましく拍動し、その音が頭いっぱいに広がり。胸は張り裂けそうで、喉には血が上って来ている。それでも耐えて、じっとレールガンの狙いを敵の編隊の中央の機体に合わせる。トリガーは頭の中のイメージで引くものだが、あまりの恐怖心からか、実際の右手も痙攣していた。

狙いは、機体中央、コックピットだ。

その一点だけを狙って、断続的にイメージでトリガーを引く。


―当たる前に当たってくれ。


辺り一帯に光の粒が降り注ぎ続ける中、僕は自分の弾が外れるたびに必死に狙いを修正し、発射するということを繰り返した。


―頼む。


レーダーから消えた隊長のことも、どこかへ吹っ飛んでいったアンのことも忘れて、死にたくないという一心で引き金を引いていた。そして隊長機と思しき機体のコックピットのど真ん中に、何か当たったと手応えを感じたと同時に。僕の視界は急回転を起こしていた。左側からの太陽の光を感じながら、地球のような青い点がスクリーンの下から上に通り過ぎたと思ったら、また下から現れて上へ消えていく。それが1秒のうちに何回も起こった。胴体と腰が引き千切れてしまいそうな遠心力を感じつつも、僕は必死に四肢のスラスターを調整するが、上手くいかない。右足の感覚が消えていて、どうやら足が無くなっているようだった。気付くと回転は先ほどまでの縦回転ではなくなり、きりもみ回転をおこしている様子だった。太陽の光も、地球の点も、あらゆる方向からバラバラに現れては消えていく。それでもなんとかしようとするが、次第に右足以外の感触も上手く感じられなくなってくる。視界が暗くなり意識が遠のいているような、あるいはもう意識は一度失っていて、目が覚めかけているような、不思議な感覚に陥っていた。まずいと、僕は手を振り回し、何かに捕まろうとした。結局、その手は何も掴むことなかったが、気付けば僕は誰かのパラディオンに抱かれていた。


『大丈夫か! 生きてるか!?』

僕の機体を抱き止めたそれは、シオのパラディオンだった。


『生きてるよね?』

僕は自分が生きているかどうか、なんと答えたら良いか分からなかった。


『あぁ生きてる! 良かった!』

シオは声を張り上げ、なにやら心底喜んでいる様子だった。


僕はとにかく状況が把握したくて、ハッキリしない視界で頑張ってレーダーを探した。敵の光点は二つに減り、こちらから遠ざかっているように見えた。太陽のほうへ消えていくところから、きっと自分たちの戦闘艦か、あるいはL5コロニーへ帰投するのだろうと思った。


『奴らは撤退したぞ。もう射程圏外だ。』


『そうか。なら、アンを、アンを。』

レーダーの光点を探す。

アンと思しき光点は僕らから離れつつあったが、それは月の方向へ動いていた。


『そうだな。すぐ行こう。』


僕はシオの戦闘機に捕まり、一緒にその光点を追いかけた。

光学センサーを使うまでもなく、少しずつ機体の状態も見えてくる。

アンのパラディオンは胴体と右手足しか残っておらず、半身だけのような状態だった。

そして、そのぼろぼろの機体は漫然と宙を回り続けていた。


『とにかく止めないと。』

シオは冷静に呟いた。

『やさしくな!』 

僕はシオの機体から一度手を放し、そう言った。

その方がアンを安全に止められると思った。


シオは出来る限りアンに衝撃を与えないよう、両手を使い優しく抱きしめるように、その機体の回転を止めた。そして機体の状況がより鮮明に見えるようになった。何かが左側から衝突したように見える。左腕も左足ももぎ取られたように無くなっており、頭部は首だけが辛うじて残っていた。だが残っていた胴体も損傷は激しかった。特にコックピットに通じる扉の部分は一部裂けていて、そこから球体スクリーンが火花を散らしているのが見えた。


『急がないと。』

僕はまたシオの機体の左足を掴むと、自分の機体のコックピットを開けた。

そしてシートのロックを外すと、全周スクリーンの背後の部分へ飛んで行った。

そこのパネルをすこし押すと、パネルが開き小さなウィンチが出てくる。


―こんなもの出してる暇ないのに!


僕はウィンチから手荒くワイヤーを引っ張り出し、先端にあるフックを自分のパイロットスーツの腰に固定した。そして急いでアンの機体の、その裂けたコックピット目掛けて飛び出した。僕がコックピットに組み付くころにはシオが先に着いていた。

シオは自分のヘルメットを、僕のヘルメットに乱暴にくっ付けた。

「コックピットは開かない! でも隙間から入れそうだ。」

「チャンネル255だ。僕が入る。」


僕はシオの返事を待たずに、短距離通信のチャンネルだけを伝えて、裂け目から中に入ろうと試みる。電装品などが火花を散らしており、燃料などが引火する可能性も頭をよぎったが、今はとにかくアンを助け出したい一心で、恐怖を感じることは無かった。とにかく裂け目に体をねじ込む。パイロットスーツを着ていても、ぎりぎり通れそうだった。なんとか隙間の中で体をよじりつつ、まずはヘルメットをコックピットの中にねじり入れる。そして中の様子を視界に収めた瞬間。僕は思わず顔を背けた。


コックピットの中に機体のパーツが飛び込んでしまったのか、あるいは衝撃で中のパーツが飛び交ったか。全周スクリーンはどこもズタズタに引き裂かれ、あげくシートの左半分は完全になくなっていた。千切れたシートベルトがふらふらと宙を舞っていた。それ以外にも、コックピットにはいろいろなものが漂っては壁にぶつかり、また跳ね返っていた。僕は歯を強く食いしばり、意を決してもう一度中を見渡す。

―とにかく早く出してやらないと。

僕は宙に浮くアンの体を抱き止め、精一杯優しく胸に収めた。

そして短距離通信をシオに繋いだ。

『ダメだ。間に合わなかった。早く出してやりたい。』

僕は声が震えるのを抑えて、できる限り冷静にそう言った。

『そうだな、出してやろう。中から扉を開けられるか?』

『無理だ。裂け目から出す。』

返事はなかったが、意味は伝わったと思った。


『少しづつ出す。いいか?』

『あぁ。ゆっくり出してやれ。』

シオの声は優しかった。

『すまない、すまない。』

僕はただそう繰り返して、アンを少しずつ、できる限り優しく外に出してやった。

『一度じゃ無理だ。往復する。中で待てるか?』

『あぁ、待つよ。待つ。大事にしてやってくれ。』


『アン』

シオを待つ間、僕は残ったアンを抱きしめていた。怖いという気持ちはあった。それはもうアンではなくなってしまったのかも知れないし、生理的な恐怖もあった。だがそれ以上に、そんな気持ちだからと言って、怖いからと言って、今のアンに触れないでいることが酷く悲しいことのように思えた。誰かが辛い思いをしたなら、その体を抱いて、大丈夫だよと、よく頑張ったとそう言ってやらないといけないと思った。

『すまない、すまない。』


『よし良いぞ。』シオが帰って来た。

『これで最後だ。』

僕はアンの最後の体をシオに預けた。そして僕も裂け目から這い出る。

「コハク、大丈夫か?」シオが通信ではなく、

自分のヘルメットを僕のヘルメットにくっつけて言った。

「あぁ。大丈夫。シオは大丈夫か、僕がシオの機体を動かそうか?」

基地までの間、どちらかはアンと一緒にいることになる。

それもまた、ひどく辛いことに思えた。

「やめとけ、やめとけ、そんな大泣きしてるやつに操縦させたら、間違えて太陽に突っ込んじまうよ。」

そこで自分の顔が涙でぐちゃぐちゃになっていることに気が付いた。


「それとも、一緒に居たいか?」

シオが心配そうに訊ねてくれた。一瞬、どうしようかと思ったが。

今の自分の状態を客観視して、止めることにした。

「いや、僕はシオの機体に捕まっておくよ。このあと二人で遭難したんじゃ笑えない。」そう言って、笑みを作った。

「頼む。」

「あぁ、任せとけ。」


僕は自分のヘルメットをシオのヘルメットからゆっくりと離し、自分のパイロットスーツのウィンチを巻き上げ、自分の機体に戻り始めた。

シオも同様に自分の機体に戻る。

そしてその途中でシオから通信が入った。


『隊長はどうする?』

『帰り道まで、ほんの少し、一回りだけしよう。』

レーダーでちゃんと捉えられないということは、アンのパラディオン以上の破損なのは間違いない。見つけることは難しいことのように思えた。それにあまり長居もできない。だが隊長にも誰か知らせるべき人がいるはずだと思った。だから、せめて機体の欠片ひとつでも持って帰れればと、そう考えていた。それぞれ機体に乗り込んだあと、僕はシオの機体を掴んだ。そして、それを確認したシオはゆっくりと機体の加速を始めた。

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