sieve011 代償を払いし者たち

その知らせを聞いた男は怒っていた。

その怒りの大きさといえば、

スタンドライト、タブレット、ペン手に取るものすべてを壁や床に投げつけ粉々にし、

イスを窓へ投げつけ粉々にし、机をこれでもかと殴りつけ凹ませても、

それでも収まることはなかった。


男は何かほかに投げられるものはないかと息を荒げながら探し、

机の上に残っていた写真立てを引っ掴んだ。

しかし、すぐにそれが自分の大切な物だということを思い出し、

静かに、ゆっくりと胸に当てた。


すると男の怒りは幾分も和らぎ、平静を取り戻した。


その写真には若かりし頃のその男と奥さん、娘。

そしてその男より少し目上そうな違う男が映っていた。


彼は写真立てを片手に、ひどい有様になった自分の執務室を見渡し、探し物を始めた。

部屋の隅に飛んで行った小さな金庫がそれだった。

その金庫の中から、彼は写真用の小さなハードケースを優しく取り出した。

それを一旦空中に手放し、彼は片手に持っていた写真立てから、

両手を使って丁寧に中に入っていた写真を引き抜き、

さきほどの写真用の小さなハードケースに差し込んだ。


そしてそれを自分の服も胸ポケットに仕舞い込み、部屋の出入り口に向かって歩き出した。

扉を出た先には、顔を真っ青にした彼の部下が立っていた。

「今すぐシャトルの用意だ。ピアリ研究基地に行く。」

男は先ほどの自分の姿など何かの幻だったかのように、

冷静で落ち着いた声で部下に指示を出した。


部下の男はいつも通りのその上司の姿に、そのあまりの変わり様にひどく混乱し、たどたどしくインカムを操作し、震えた声でどこかにシャトルの用意の指示を出した。






ファインダー少尉は、自室のデスクで仕事をしていたが、あまり手が付かないでいた。

自分たちの所属するピアリ研究基地の上官である、

ヘクター大佐がこの研究基地に到着してからというものずっと自室にこもり、

時間つぶしのデスクワークをしながら、査問室へ呼び出しがかかるのを今か今かと待っていた。


たまに誰かが部屋の前を通ると、そのたびにさりげなく耳を澄まし、

この部屋の前に立ち止まらないかと気になった。


少尉はどうしても落ち着かず、仕事の手を止め、

デスクの引き出しから車のキーを取り出した。


「あいつ、どうするつもりなんだか。車、俺のものになっちまったぞ……。」

ファインダー少尉はそう言って、車のキーを持て余した。


部屋の時計に目をやり、あとどれぐらい待たないといけないのだろうか、と考えたところで、ついに部屋の前に誰かが立ち止まる気配がした。

案内のスタッフだろう、誰かは分からないが。

少尉はいよいよだと覚悟した。


「いいかな。」


扉の向こうから掛けられた声と言葉は予想外の物だった。

すくなくとも、スタッフという様子ではない。


「どうぞ。」

扉を開けて入って来た男は、彼を査問室で待っているはずの上司だった。


ファインダー少尉は自室に急に現れた上官に驚きながらも、

整然と立ち上がり、落ち着いて敬礼をした。

しわの無いキレイな茶色の軍服姿で、襟元からは、ぴしっと形の整った白いシャツを覗かせていた。


「ご無沙汰しております。ヘクター大佐。」

「久しぶりだな。ファインダー少尉。」

ヘクター大佐は休めと言って、近くのイスを掴み、少尉のデスクの近くに腰かけた。


「このイスは小さいな。」

まるで子供の用のイスに腰かけた大人のようだった。

ファインダー少尉も並みの軍人程度には背丈もあり、

パイロットの割には体も鍛えていたが、大佐はそれよりよっぽど大柄だった。


「どうしましょう。こっちのデスクのイスにされますか?」

「いやいや。それは君のイスだ。なに。これでも座れんことはない。」


「いわゆる査問室は嫌いでな。嫌な記憶しかない。君の部屋で失礼するよ。さあ、君も座れ。」

「はっ」

促され、少尉は自分のデスクのイスに腰かけ、体だけ大佐のほうへ向けた。


「一応査問という形だ、話を聞かせてくれ。」

「まずは昨日の朝、君が異変を感じたところからだ。」

「はい。」

ファインダー少尉はゆっくりと、しかしハッキリとした声で喋り始めた。


「朝の訓練として、私と同僚のトペラン准尉は二人で、トレーニングルームにいました。

その最中に遠くから何かのブザーのような音が聞こえて、そのあとに建物が何度か揺れました。

地震かと何かかと思い、念のためまずは屋内から建物の確認をした際に、

格納庫のシャッターが無くなり、スフィンクスも無くなっていることを発見しました。」


「ワーズ少尉と検体。ええと、ミライ・サチコの姿は?」

「……姿は見えませんでした。

ですが、とにかく出撃する必要があると考え、一直線に自分たちの戦闘機へ向かい。

自身の判断で出撃しました。」


「使い捨てのブースターロケットを装備したのは適切な判断だった。」

「ありがとうございます。

そしてコックピットから基地の通信室と連絡を取るなかで、大まかな状況を把握しました。

格納庫のエア抜きなどの操作はワーズ少尉のIDで行われており、

意識不明で医務室に運ばれたサチコの姿が無くなっていました。

状況は二人が脱走したことを示していました。

ですから、私たちは通信室の支援のもと、スフィンクスの追跡を行いました。」


「その時の通信記録を見た。」

「ただ、嘘はすぐに見抜かれてしまいました。」

そこまで軍人独特のまっすぐの視線と無表情の組み合わせで、

たんたんと状況説明をしていたファインダー少尉だったが。

一瞬だけ目を伏せ、苦笑いをしたように見えた。


しかし、すぐにまた元通りになって説明を続けた。

「そこからは、おそらくご覧になられた通りです。

懐柔は失敗し、戦闘になりました。

そしてトペラン准尉も私も、すぐに撃墜されました。言い訳のしょうもありません。」


「手を抜いたのかね。それとも迷いがあった?」

「全くありませんでした。

本気で撃墜するつもりで戦闘をしましたが、私たちが未熟でした」


「申し訳ありません!」


「いいや、検体の安全を最優先した君たちの行動は間違っていない。

私はパイロットとしての責任はしっかり果たしてくれたものと思っているよ。

トペラン准尉も怪我こそがあるが、命に別状はないということで、安心したよ。」

大佐はここに来る前に医務室に行き、トペラン准尉を見舞ってきていた。

彼は墜落の衝撃を抑えきれず、首と胸部の骨を折ってしまっていたが、

命に別状はなく、ベッドでゆっくりと眠りに付いていた。


「大佐が見舞って下さったと聞けば、きっとトペランも喜びます。」

「査問があると聞いて漏らさなければいいが」

男はそういって笑った。ファインダー少尉もあいつなら漏らしかねませんと、と笑った。


「さて、しかし。正直に言うが、君と、基地司令代理のミライ博士には、

今回の件を幇助とまでは言わないが、甘さがあったのではと、指揮に問題があったのではと、

そういう見方もある。それについて、何か?」


少尉はたじろぎはせず答えた。

「私が彼と仲が良かったことは否定しません。

任務外のプライベートな付き合いも多少ありました。

実際、検体であるサチコが乗っていたことで、交渉せざるを得なかったということを、

ある意味でまだチャンスがあると捉えていた点は認めます。

ですが、戦闘に手を抜いたと言われるのは遺憾です。

戦闘機のログを見てくだされば、ご理解頂けるものと信じております。」


「正直でよろしい。では、司令代理については?」


「ミライ博士は通信室から私たちにこう命令されました。

連れ戻せなければ容赦なく撃墜しろ、と。」

「そうか……・。ありがとう。時間を取った。」

男はその小さなイスから立ち上がり、備え付けのテーブルの近くに戻した。


「ではこれからも励んでくれ。」

「はっ」

ファインダー少尉はスッと立ち上がり、改めて敬礼をした。


男はちいさく答礼し、

「君たちの処分はおそらく無いだろう。ではまたな。」

ヘクター大佐はそう言って部屋を出た。


そして次に会うべき人間のいる場所へ向かった。

一旦受付のロビーへ抜けて、医療棟へ戻る通路を進む。

医療棟を抜ければその先にミライ博士の私室がある。

けれど、大佐が医療棟の通路を進んでいると、前から真っ白の包帯頭に、ほっそりとした白衣を来た、珍妙な姿をした誰かが現れた。


「これは、ヘクター大佐。」

「オークトッド先生? もう戻ったのですか? 久しぶりですね。」

白い包帯でぐるぐるに巻かれ、右目だけしか見えていなかったが、

大佐は声でなんとかその人だと判断できた。


「思っていたよりも随分と手酷くやられたようで。まるで私のようだ。」

大佐は自分の顔をさすり、そう言った。


「あぁ、全くです。骨まで折れてしまって、市内にもどって手術を受けて来ました。」

先生は声だけで笑ってみせたが、痛々しさは増すばかりだった。


「トペラン准尉の処置はできたんですが、

さすがに鏡を見ながら自分の顔を手術するわけにもいかず、大変でしたよ。」


「あなたの職務を全うしようとする精神には頭が下がります。」


「大佐には負けます。

しかし、不意打ちじゃなければ、私だって一矢報いるぐらいはしたんですがね!」

その医師はボクシングの構えを取って、一、二、と素振りのポーズをした。


「その、メスを持つにも両手が必要そうな手で、ですか?」

その先生の腕は、男と比べるとマッチ棒みたいな細だった。


「大佐のクレーンみたいな腕と比べないでください。」

先生は笑ってそう言った。


「鍛えたくなったら本社に来るといい。私がしていたトレーニングメソッドを授けてやろう。」

ヘクター大佐は体をよじり、ボディービルダーのようなアピールポーズを取った。


「私だと鍛えるまえに折れてしまいそうだ、遠慮しておきます。

それで、ミライ博士の部屋へ行かれるんですか?」


「そうだが……? 居なかったのか?」


「いえ、博士なら自分の部屋の隣、祈祷室に居られました。」

ただ、と先生は続けた。

「ここ最近ずっと心と体の調子を崩しておられます。お手柔らかにしてあげてください。」

オークトッド先生はとても心配そうな声をして、ヘクター大佐へ嘆願した。

しかし、大佐はそれに返事をすることはなかった。


「では、これで。先生もお大事に。」

「大佐もご自愛ください。」


大佐はゆっくりと床を蹴り、ミライ博士の元へ向かった。

ミライ博士のもとへ近づけば近づくほど、

ピアリ研究基地に来るから抑えていた腹立たしい気持ちが、

胸の中で音を立て湧いてくる。


大佐はあの老人が死なない程度というと、

いったいどれほどの力で殴ったらいいかを考えていた。

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