sieve009 セカンド・コンタクト
僕は深いため息を一つついて、小さなベッドに腰を下ろした。
まるで病院の個室をさらに小さくしたような部屋だった。
僕はパスファインダーの乗組員用の個室の一つにいた。
サチコによって、僕らは無事に彼らとの交渉をまとめることができた。
ニャット船長たちが僕らに敏感になっていた理由は、彼らの運んでいるものが原因だった。
驚くべきことに、この船は水の密輸を行っていた。
サチコがスフィンクスのレールガンで格納庫の天井を突き破ったときは、
手が滑ったんじゃないかと思ったが、そうではなかった。
そこには僕たちがいた戦闘機の格納庫とまったく同じ部屋があった。
ただ、違うのは、そこにあったのが、戦闘機ではなく、水のコンテナだったということだ。
月の極地で取れた水をL4に向けて、非正規なルートで運ぶのが彼らの仕事の一つだった。
僕たちはその犯罪を黙認する代わりに、
ニャット船長たちも、僕たちがこの船の乗ることを黙認する。
そういう条件で話がついた。
僕たちは月のピアリ研究基地から駆け落ちするパイロットと研究員。そういうことになっている。
まあ、ほぼほぼ間違ってない。
僕は急に、なぜか気持ちが重たくなって、大きなため息をついた。
多少は落ち着ける場所を得て、もう少し安心しても良いぐらいだと思ったが、
なぜかこう胸のもっと奥の方で何かがつっかえているような、そんな感覚がずっと取れないでいた。
何かで気を紛らわそうと思って、ふと昔を思い出した。
僕の体がちょうど収まるぐらいのこのベッドが悲しくも懐かしい記憶を呼び戻した。
そう、昔の前線勤務だった頃の記憶だ。
この船よりももっと小さな戦闘艦で、
四機の戦闘機を露宙で引っ付けただけのちっぽけだった船を思い出す。
月とL5の間。
イスカンダル社とコロンブス社の支配エリアが隣り合うそこは、
当時はまだ武力衝突が時々起こるような宙域だった。
武力衝突と聞くと、あまり大したことはなさそうだが、とんでもない。
僕の乗る戦闘艦のパイロットも何人も死んだ。
そしてそれより多い人数をみんなで殺しただろう。
結局、僕がその戦闘艦に初めて配属されたときの同期は、一人しか生き残れなかった。
でも実は僕が生まれる少し前には、宇宙ではもっと大きな戦争もあった。
宇宙進出の黎明期、国家の支配の手の外で、
イスカンダル社とコロンブス社は、資源をめぐって地球の国の軍隊も真っ青の大戦争をしていた。
資源目当ての高学歴のインテリも、
地球で居場所を失ってしまった国無き民も、
高い給料を払う企業の私兵に引かれた兵隊上がりも、
みんなひっくるめて沢山死んだ。
僕のしていた戦争は、その大戦争の残滓のようなものだった。
今はコロンブス社とイスカンダル社の関係も、どちらかといえば落ち着いているが、
いつまで続くか。みんなそれに怯えつつ、できることをして生きている。
もちろん、今でも宇宙コロニーの市民の命と幸福のために、いつでも戦う。
その覚悟はできているつもりだ。今でも。
そう、僕は今でも、心は兵士だ。
そう、自分では思っている。
ただ、彼女を連れてピアリ研を出てからというもの、
言葉で良い表しようない、後ろめたさにも似た何かが、僕の胸に巣くっていた。
「――入りますねー。」
「だ、だれ?」
気付くといきなりパイロットスーツを来た女性がこの部屋に入ってきていた。
一瞬、ニャット船長かと思ったが、パッと見は僕と同じぐらいの年齢で、
くせっ毛の赤い髪をおかっぱにした感じのサッパリとした雰囲気の女性だった。
「声かけたんですけどね。返事がなくて。」
なんとなくどこかで聞き覚えのある声だった。
「初めまして、パスファインダー2です。」
微かに微笑みながら、彼女は右手を差し出してきた。
ああ、と声を上げながらと僕はそれに応じた。
「僕はコハク・ワーズ。」
「私はミコス。」
彼女はそう言って名前だけ名乗った。
「これ、貴方に持ってきたの。良ければと思って。」
彼女は僕がボケっとしている間に、備え付けのテーブルに、
ドリンクボトルを二本と、お弁当を持ってきてくれていたようだった。
「あ、ありがとう。」
僕はまだ不意を突かれた気持ちが抜けきらず、生返事を繰り返してしまっていた。
「本当はお礼に食堂で温かいご飯を一番最初に食べてもらえたらって思ってたんだけど、
助けられたとはいえ、あんな騒ぎのあとじゃさすがにね……」
彼女は気まずそうに僕から目をそらした。
「私が言うのもアレだけど。
船長と副長も感謝の気持ちがないわけじゃないの。
私以外みんな撃墜されてしまって、
もう覚悟するしかなってところを助けてもらって、本当に感謝してるはず。」
「だから、ちゃんと一番いいお弁当とお茶を持って来たから。それで。許してほしいかな。」
たぶん彼女、ミコスはパイロットだから、他の人よりも負い目を感じているのかもしれない、とそう思った。
「誰だって、自分の船は自分で守らないといけない。
ニャット船長も、キー副長も、それを実践しただけだと、僕もそう思っています。」
「飲み物もお弁当も。ありがとう。美味しく頂くよ。」
「じゃあまた、みんなにはいい感じで話しておくから。あんまり気兼ねしないでほしいかな。」
ミコスはそう言って部屋を出て行こうとしたので、その前にと思って呼び止める。
「あの時。僕が一発援護射撃した時! ミコスさんがちゃんとこっちを利用してくれて、ありがとうございました。」ミコスはすこしだけ首を傾げ、ええ。とだけ言って部屋を去っていった。
諦めていないでいてくれて嬉しかったと、そういう気持ちがちゃんと伝わっただろうか。
なんだか伝わらなかったような気がした。
ただ、諦めるかも知れないと思ったとハッキリ言うのは、
さすがに失礼すぎて気が引けてしまったから。
それにしてもやさしい感じの人だったな。
あんまり思い詰めてないと良いけれど、と心配になった。
まだ、ニャット船長もキー副長も、そしてミコスも。たいして喋ってはいないが、
ファーストコンタクトよりも居心地は良さそうな船だと思った。
だが二週間か、とそう思った。
輸送艦は質量が大きく、スフィンクスと同じスピードでは安全に航行できない。
基本的には事前に決めたスピード、事前に決めた日程通りに、安全最優先で航行を行う。
デブリなどの障害物が近づいてくることはほぼ無いがもしそうなれば、
その時にはスピードの出しすぎは命取りになる。
さて、その間にサチコとの一緒にどうするか、考えないとな。
僕はミコスが持ってきてくれたボトルのうちを一つを口にくわえながら、
もう一つとお弁当を頑張って片手に持って、彼女が貰ったはずの個室に向かった。
「あ、これ紅茶だ。」
このパスファインダーのキッチン担当がお茶好きなのか、その貰ったドリンクは紅茶だった。
「サチコが喜びそうだ。」
僕の足取りは心持ち早くなった。
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