sieve006 針路変更、偶然の出会い

 「で、ワーズ少尉。ご用件はなんですか?」

僕はATHENAに何を頼もうと思ったのか思い出す。

僕は月軌道に乗りながら円を描いて逆走するか、線を描いて直進するか、

どちらが良いかと考えていた。


もしも、ということを考えるなら、円ほうが良い。

何かしらのトラブルが起きたとしても、月軌道上の方が取れる手立ては多い。ただし、時間はかかる。

線を描けば、文字通りに最短距離だ。地球の引力に引かれるから、消費する電力は増えるが、プラズマエンジンだけで十分加速できるだろう。戦闘用のロケットエンジンの燃料は温存できる。

あと二度の戦闘はぐらいは問題なくこなせるだろう。


「L5コロニーへ向かおうと思うんだが、どう行くのが良いと思う?」


「そうですね。私は直線で向かうことをお勧めしますね。」なぜなら、と続ける。

「月の衛星軌道から追撃が出ているとするなら、彼らは間違いなく直線で向かいます。

それも考えうる最大戦力かつ、最大速力で。

彼らが恐れるのは、私たちが自分の支配するエリアから居なくなってしまうことです。

つまり、L5とL3のコロンブス社のコロニーにさえ行かせなければ、

あとは私たちの食料、そしてスフィンクスのロケット燃料、弾丸。

これらが底を着けば、どうとでもなります。」


「また、彼らは現状、常に私たちの後ろからしか戦力を投入できません。

速力で勝るスフィンクスと会敵できるのは、

使い捨てのブースターロケットで下駄を履かせられる最初の一度きり。

さて彼らはどうするでしょう?」


「おいおい、こっちが聞いているんだぞ。」

「だがまあ、そうだな。おそらく、イスカンダルはこうするだろう。」

「まずはL5に向けて四機のパラディオンを用意する。

二機を直線で向かわせ。もう二機は月軌道を逆走させる。

直線組が目標、つまり僕たちに追い付いて確保できればそれでよし、仮に返り討ちにあったとして、

その戦闘で僕たちは減速せざるを得ない。

その時間的な優位で、逆走組は僕らを追い越し、もう一度待ち伏せすることができる。

さらにこれと同じことをL3に向けても行う。合計八機のパラディオンを使った追撃作戦だ。」


「ワーズ少尉。さすが、ご名答です。少なくとも私が作戦立案AIなら、

それを提案することでしょう。

よって、私たちがL5に向かうもっとも安全な方法は、

まず直線で向かい、追いついてくるパラディオンを撃破し、

次に待ち伏せしているパラディオンを撃破し、

その上でL5のどこかのコロニーへ入港を試みることです。」

ただし、とATHENAは続けた。


「ただし、彼女はそうするつもりはないようですが?」


ATHENAがそう言って、僕はまた下を見た。

彼女は、どこから見つけてきたのか、電子ノートを持っており、それを僕の顔に向かって突き出してきた。そこには乱暴な走り書きで、こう書いてあった。

(L4コロニーへまっすぐに向かうのです!)

最後のアテンションマークは他の文字より三倍ほど大きく、よく分からないが自信が感じられた。


彼女はいつも筆談を好んだ。

どうやら喋れない訳ではないようだったが、彼女の声を聴いたことはほぼ無かった。

彼女とつながるのは、研究のため、スフィンクスを介したテストを行う時だけだった。

それも間接的なものだったが。


「L4コロニー? どうして? あそこは危ないだろ。」

僕がそう尋ねると、彼女は電子ノートを翻し、何かを書き、また僕の方に突き出してきた。

(L5が安全とは限りません!)


「心配は分かる、でも当てはあるんだ。友達がいる。」

(そのともだちはダメ。メールとかも、今はダメ!)

「……」

僕は押し黙る。一瞬どういう意味か分からなかったが。少し考えて、何となく想像がついた。

合っているかどうかは分からないが、そういうこともあるかも知れないと思った。

どんな優しい人間でも、今日を生きるのに必死にならないといけない時もある。

そういうことなんだと思った。


「なら止めよう。連絡も取らない。」

ということで行き先は変更だ。

ATHENA、L4コロニーへ一直線だ。」


どう入港したらいいかは、彼女を当てにしつつ、

どうにもならなさそうならで臨機応変に考えよう。


「了解しました。周辺監視は任せてください。

おそらく、コロニー群の直前までパラディオンに会うことはないでしょう。

二人は休んでください。

必要であればレーションも食べられたほうが良いです。」


「ありがとう。さっきみたいに急に気持ち悪くなったら嫌だから、僕はやめておくよ。」

僕はそう言いながら、彼女の顔と、彼女がコンソールのカメラに向けている電子ノート、つまりATHENAに表を向けたそれを覗き込んで、なんと書いてあるかを読んだ。


(ありがとう! 紅茶味ある⁉)

「好きだねぇ、紅茶。」


(紅茶って、やらしい味がするから)

「おいおい、になってるぞ。

まあ、砂糖が入ってないとちょっと苦いけどね。」

(それはそれで、カラダにやさしいでしょ)

彼女は僕のおなかを撫でながら言った。

「触るな。こういうのはガッチリしてるって言うんだ。」


僕はその手と、寄りかかる彼女を払いのけて、自分のシートベルトを外した。

「しかし紅茶味か……。

クッキーとかならあるもんな。

もしかしらたらレーションバーにもあったかもしれない。」

僕はシートの各所に備えられたハンドルを交互に掴みながら、

自分の座席の下に回り込み、そこある収納BOXのフタに手をかけた。

そこにはパイロット向けの緊急キットが入っている。

一人のパイロットが余裕を持って1週間は生き延びられる食糧と水がそこの中に用意してあった。

僕はレーションバーの束と、水のボトルを一つ取って、彼女のほうに投げた。


「水は君のを少し分けてくれればいい。

あんまり喉乾いていないんだ。

それに節約するに越したことはない。」


僕はまたメインのコックピットシートに戻り、ベルトを装着した。


「ちょっと良いでしょうか?」静かだったATHENAが急にそう言った。

「なんだ、何かトラブルか?」

「いえ、そうではないのですが。大切なことを確認したくて、非常に重要なことです。

今まで、お二人に何度も聞こうと思っていたのですが。

博士も一緒にいることが多くて、聞けなかったことが……」

「……」

「いいや、ダメだ。却下だ、却下。僕らを無事にL4へ連れて行く仕事に戻ってくれ。」

おいおい。何を言うか思えば、このAIは興味深々か。僕は全てを察して、ATHENAの確認を拒否した。

今こんなタイミングで話されたら、彼女もどうしていいか分からないだろうに。

とりあえず、今はその話は先延ばしにしたい気持ちだった。

彼女がどんな顔をしているか、気になって仕方なかったが、

その気になる気持ちよりもよっぽど怖い気持ちが勝り、

そちらほうを見ることはできなかった。




「二人とも起きてください。」

ATHENAの声で、自分が寝ていたことに気が付く。

横を見ると彼女も僕にもたれ掛かって、寝てしまっていたようだったが、

僕と同じくATHENAの声で目を覚ました様子だった。


「レーダーを見てください。

針路の先で、おそらく戦闘が起こっています。」


レーダーは遥か前方に、いくつかの影があることを示していた。

一番遠くに、大きな光点が一つ。

その大きな光点から、少しこちらよりに、いくつかの光点がゆらゆらと絡みあっていた。


「海賊か?」

大きな光点は、おそらく輸送艦だろう。

それより小さな絡み合う光点は、

その輸送艦の護衛の戦闘機と、それを襲っている戦闘機の動きに見えた。


「おそらく。

突っ切るのが最短ですが、そうすると戦闘に巻き込まれます。

迂回したいですが、どうやら輸送艦は私たちと同じルートでL4に向かっています。」

「戦闘の終わり方によるが、

だいぶ遠回りになってしまうかもしれない。面倒だな。」


そもそも、商船を海賊が襲っているのか、

海賊がイスカンダルの保安部隊を襲っているのか、

あるいはイスカンダルの保安部隊の輸送艦を海賊が襲っているのか、

状況が全く分からない状態だった。


「とりあえず光学センサーだ。」

光学センサーで、前方を拡大した映像を全面スクリーンに出す。


戦っている戦闘機はどっちもパラディオンに見えたが、

戦闘機動をしていて上手く捉えきれない。

奥の船も、輸送艦なのは間違いなさそうだったが、

海賊なのか、それとも商船なのか何なのか、

判別は付かなかった。


「分からんな。」


これならまだパラディオンが一機か二機待ち伏せしているぐらいのほうが、

分かりやすくて対処しやすいと思った。


どうするか、と思っていると、目の前に電子ノートが飛び出してきた。

僕は驚いて頭をシートのヘッドレストにひっこめた。


(かれらを助けて、きっとかれらも助けてくれる。)

彼女のほうを見ると、力強いガッツポーズをしていた。


「かれらって、どっち?」


(ゆそうかん!)


「ATHENAはどう思う?」


「彼女に聞いたあとに私に聞かれるのですか?」

「私は賛成です。

もし運悪く、あのパラディオンらしき戦闘機たちがイスカンダル社の保安部隊の場合。

そして保安部隊が生き残った場合。

この戦闘を迂回し彼らを追い越した私たちは、

L5コロニーの直衛の戦闘機と、

生き残りの保安部隊と挟み撃ちに遭う可能性が出てきます。

それは避ける必要があります。」


「そうだな、その為には?」


「その為には、彼らの所属の確認。

あるいは保安部隊だった場合は、先手を打って攻撃を仕掛ける必要があるでしょう。」


(どっちにしても近づかないとね!)

彼女の電子ノートがまた目の前に飛び出してきた。


「そうだな。じゃあ全会一致というわけだ。」

「さてじゃあ、シートベルトをしっかりな。」

僕は彼女のシートベルトをチェックした。

(力になれなくて、ごめんね)

僕にそう書いた電子ノートを見せながら、

彼女は口を一文字に結び、悔しそうな顔をしていた。

「大丈夫。君の力はもう少し後に取っておこう。

無理に使わないといけないものでもない。

ATHENAと僕だけでも海賊ぐらい楽勝だよ。安心して。」

(まかした!)

彼女は小さくウインクして、右手でグッドサインをした。


戦闘に備え、僕は機体のコンディションの再確認を始める。

メインシステムは全て正常。

機体制御も、航法も、核も問題なし。

バッテリーも十分だ。

ロケットエンジンの燃料残は半分ほど。

今回は余裕をもって戦闘に入れるし、

相手が海賊だったならそこまで使うこともないだろう。

プラズマエンジンだけでおそらく十分だ。

サブシステムも全て正常。

火器管制も、今度はちゃんとサポートAIがついている。


「ATHENA、戦闘だ。フォローは頼んだぞ。

音声ニューラルリンクが使えない以上、

戦闘中のコミュニケーションはワンテンポ遅れるし、

喋って伝える余裕もないかもしれない。

俺の気持ちを読みながらフォローしてくれ、得意だろ?」

「大得意です。お任せください。」

準備が整うと、僕はプラズマエンジンの出力を巡航から最大にした。

「さあ、行こう」

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