sieveを越えてゆけ。死という篩を越えていくのだ。彼は死に恐怖し、幸福に絶望し、孤独を選んだ。月面から果てなき宇宙を見上げるとき彼は知るだろう、孤独の真の価値を。
sieve005 一つになること、不可分なものへとつながる領域
sieve005 一つになること、不可分なものへとつながる領域
―ここは、一体どこなんだろう
僕は浜辺にいた。
太陽が空にしっかりと輝いていたから、これは地球だと思った。
コロニーでは太陽は空にはない、外の宇宙にある。
月では、逆に空気がないから、空がない。
でも、ここが、地球のどこの浜辺かは分からなかった。
というより、僕は地球に行ったことはないから、
浜辺というもの自体を本当は知らない。
だから、たとえここが地球のどこの浜辺だったとしても、
それは僕には分からないな、とそんなことを考えていると、
足の指の間と足の裏から伝わる感触が、なんだかくすぐったいと気づいた。
そこで自分がパイロットスーツを着ていないことに気付く。
―僕はなんで、こんなところでパイロットスーツを着ていると思ったんだろうか?
くすぐったいと感じたのは、僕が裸足で砂浜に立っていたからだった。
砂はきめ細かくとても柔らかな感触で、
それに太陽のおかげか、じんわりと温かく心地よかった。
僕はその砂を素足で踏みしめながら、波打ち際に歩いていくことにした。
水は透き通りすぐ下の砂がきれいに見通せた。
海水というものに触りたくなって、波打ち際を少しずつ歩いていく。
小さな波が寄ってきて、僕の足の間を通り過ぎ、浜辺へと打ち寄せていく。
水も温かいのかなと思ったら、ほんの少しだけひんやりしていて、
ちょっとだけ体がびっくりした。
遠浅というやつだろうか、
いくら歩いても深さは変わらず、膝下まで海に浸かっても、
不思議と怖くはなかった。
ずっと足元やその周りだけに気を取られていたが、
顔を上げれば、この海というものは遥か地平線まで永遠と続き、
遠くの水面はもう地面と見分けがつかなかった。
なんて広いんだろうか。
僕は初めて月に来た時に、一緒に配属されたパイロットから車を借りて、
一緒に月の海を走り回ったことを思い出していた。
あの海も、それは僕の心を興奮させてくれて、
月の低重力で車をぐらぐらに揺らしながら乗り回すのが楽しくて仕方なかったが、
この地球の海というやつは、それ以上だと思った。
ただただ、ゆっくりと立ち尽くし、暖かな太陽の光を体いっぱいに浴びる。
時々目をとじて、寄せては返すさざ波の音に耳を傾け、
静かな時間の流れに身を任せる。これが地球、これが自然か。
そんなことを考えていると、足に何かが触れた。
どこからか波に乗って流れ着いたのだろうか、
それは一枚の写真だった。印刷されたカラー写真。
どこかの家族の集合写真のように見えた。
そこには初老の母親らしき人と、同じくらいの歳に見える父親らしき人が、
互いに寄り添い合っていた。
そしてもう一人、その二人の背中からぐるっと手を回して満面の笑顔の人がいた。
その夫婦と似た顔つきで、きっと夫婦の息子だろうと思った。
一瞬、その息子が自分に似ているような気がして、少し懐かしい気持ちになった。
でも、その自分に似ていると思った男の見た目は、
髪の毛は写真が白飛びするほど輝く銀髪で、僕の髪の色とは似ても似つかないことに気付く。
それ以外も、僕と似ている特徴は全くないように思えた。
もっとよく見れば、母親らしき人も父親らしき人も、僕には見覚えがなかった。
でもその一瞬僕に見えた、僕の髪色とは違うその息子の顔だけは、全く僕とは似ていなかったが、それとは別にひどく見覚えがあるように見えた。
僕がその息子が誰か思い出そうとしている間に、その写真は瞬く間に白黒に変色し、写真のフチは痛み、まるで大昔の写真のようにしわくちゃになってしまった。
―これは一体?
何かが変だと思った。
さきほどまで身も心も暖かな気持ちだったのが、
急に言い知れない不安に襲われる。
足に波がぶつかり、
それを見ると、水面の色は黒色に変わっており、
温度もまるで氷水のようにひどく冷たくなっていた。
波の下に見えていたはずの砂たちも、今では全く見通せなくなっている。
その変わり様に、なにか今にも誰かの手が水中を伸びてきて、
僕の足を掴み、海に引きずりむんじゃないかという、そういう妄想が浮かんできた。
ただただ怖くなって、すぐに引き返そうと浜辺に向けて踵を返したが、
元居た浜辺は海の地平線とおなじぐらい遠くにあり、
微かに見えるかどうかというところだった。
ふと見上げれば空の太陽はすっかり沈み、今度は月が出ていた。
月の光はその微かな光で、あたりの水面を黒光りさせていた。
―いつの間に⁉
辺りをぐるりと見回すと、僕の周りの黒い水面には、
たくさんの漂流物が浮かんでいた。
写真の束がばらばらになって何枚も漂い。
他にも月で乗っていた車や、紅茶のカップのような日用品まで。
中にはパイロットスーツもあった、しっかりと原型が保たれていて、
中に誰かいるようだった。生きているかもしれない。
それら以外にも数えきれない物が漂流していた。
そのすべてに妙な見覚えがあった。
僕はとりあえず、そのパイロットスーツのバイタルサインを確かめるために近づこうとしたが、その脇から何かがこちらに近づいてきているのが分かった。
それは他の漂流物と違い細長く、浮かんでいるというより、
その下の砂に突き刺さっているように直立していた。
―突き刺さっているなら、近づいてはこないだろ!
それはほんの少し近づいては止まり、近づいては止まりを繰り返していた。
まるで人間のように一歩一歩、ゆっくりと歩いているかのような動きだった。
パイロットの本能がそいつは危険だと感じた。
何か武器が必要だ。
そう思ったところで、僕は自分の服装がパイロットスーツに戻っていることに気が付いた。
と同時に、腰の部分にナイフが二本備え付けられていることも思い出す。
僕はすぐにその一本を左手で抜き、切っ先をその近づいてくる影に向けた。
その影もきらりと光る何かを持っているように見えた。
影には悪いが、殺すしかないと思った。
相手が武器を持っているなら、攻撃してくるなら一体反撃する以外にどうしろ言うんだ。その影に大声で海の向こうに戻るように呼びかけたが、返事はなかった。
もう随分と距離が縮まっている。
少し走りだせば、手が届く距離だった。
先手を取ってこっちから行くか、どうしようかと考えた矢先。
その影が激しい水音をさせながら、こちらに駆け出してきた。
それぐらいに近くになってようやく分かったが、
そいつはこちらと全く同じパイロットスーツを来て、
全く同じナイフを持っていた。
「おい、やめろ!」
必死に呼びかけるも、そいつが持つナイフがこちらの胴体に向けて伸びてくる。
危ないと、左手のナイフで精いっぱいに払いのける。
少し体がもつれ合うも、相手の胴体はがら空きだと思った。
右手でもう一本のナイフを逆手で抜き取り、
勢いそのまま相手の体を切り付けてやろうとしたが、
相手はそんなことはお構いなしに、こちらの体めがけて激しいタックルを繰り出してくる。
顎に相手の頭突きを食らう形になり、一瞬意識が飛びそうになる。
次の瞬間、そいつもこちらも一緒になって水面に突っ込み、
海に倒れこむ形になった。
どちらもよろめき、そいつも意識がはっきりしていなさそうだった。
僕は今しかないと思って、そいつを引きずり倒し、馬乗りになり、
左手のナイフを、指が破裂するんじゃないかと思うぐらい力強く握りしめ、
渾身の力でそいつの、そのパイロットスーツのヘルメット目掛けてナイフを振り下ろした。それは易々とバイザーを貫通し、僕の手ははっきりとした手ごたえを感じていた。
彼のパラディオンが地表に落下していくところが見えた。
あまりの一瞬のできごとだったからか、気が動転していた。
僕は自分の体、スフィンクスが無事なことに不思議な気持ちになった。
完全に相手の間合いだった。
だが、気付けば、落ちているのは彼のパラディオンだった。
さっきまで出ていたアドレナリンはすっかり収まり、
高揚感はそれほど残っていなかった。
むしろ、怒りと悔しさ、そして少しの安心を感じていた。
なんの怒りと悔しさなんだかと、そう思った。
彼らの乗ったパラディオンが地上に激突しているかも知れないと考えると、
罪悪感のほうがよっぽど相応しいはずなのに。
しかし、とにかくこれで当分は何にも追われずにすむ、そういうことだった。
戦闘が終わり、彼女のことが心配になった僕は横を見やる、
戦闘のせいか、彼女のスーツがぶかぶかだからか、少しベルトが緩んでいた。
僕はそれを改めて締め直した。
さて、とにかくここから離れよう。
ゆっくりと機体の高度を下げながら、
また月の地表面のぎりぎり、レーダーに映らない高さで飛行を始める。
ある程度距離を取ったら、
そこで上昇して、少しでも位置を誤魔化してから月を脱出だ。
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