第9話

 十二月、アンナの引っ越しが無事に終わった。新しい家は、エミールの店の近くにある、日当たりの良い小さなアパルトマンである。


 また、売り込みに通っていた出版社のひとつから、イラストの仕事をもらうことができた。月刊雑誌の中の、特集ページの挿絵を三カットだ。


「良かったじゃないか、アンナ」

 店にやって来たフェルディナンドがアンナに言った。


「ありがとうございます。みなさんのお陰で頑張れました」

 アンナも満面の笑みで返す。



 フェルディナンドはここ何日か機嫌が良かった。自分が製作を担当した、若いデザイナーの帽子が、パリコレ(に、この世界で相当するファッションショー)で評価されたのである。

 その帽子のデザイン画を見せられた時、フェルディナンドはピンとくるものを感じて、喜んでその帽子の製作を引き受けた。


 自分の感性はさび付いてはいなかったと、フェルディナンドは元気を取り戻している。

 追加分の帽子の製作も発注されて、フェルディナンドの工房はしばらく忙しい。



 ダニエラが店にまたやって来た。ラザロは地方の会社に就職することになったらしい。ダニエラのパートナーであるジョルジオの助けは借りずに、自分で仕事を探したそうだ。

 ダニエラがアンナに明かした。


「盗作のことだけど、どうやら本当だったみたいなの。スランプに陥っていて悩んでたんじゃないかって、ラザロの元同僚が言ってた」


 今や、アンナよりも、ダニエラ達のほうがラザロの事情に詳しい。



 あの夜の後、アンナはラザロと一度だけ直接会って話し合いをしていた。

 そして、お互いに言い争いの中で口にした暴言を謝罪し、二人で借りていた部屋を引き払う費用を精算して、円満に話し合いは終わった。



 そして、エミールの店は今日も忙しい。


 今月に入ってから、三時のお茶の時間のメニューに加えた、エミール特製のチョコレートケーキが大人気になっている。


 この季節になると、開店時間である朝の六時半になっても、まだ太陽は登っていない。

 それでもエミールは店を開けるし、客も朝食を食べにやってくる。


 三台の外テーブルを出すのは、さすがに明るくなってからだ。

 冬の期間中は、三台の外テーブルの真ん中に石炭ストーブが置かれる。

 この石炭ストーブの上で、近所の小学生が家から持ってきたパンの切れ端やハムをこっそり焼くので、アンナはそれを叱るのに忙しい。


 ストーブの天板に真っ黒い焼け焦げがこびり付くのが嫌なのだ。

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