第5話
その日は夕方から雨が降り始めたせいか、夕食の時間は客が少なかった。
「この雨じゃしょうがねえな」
客が途切れると、エミールは早々に店仕舞いをし始めた。
冬の雨は冷たくて体の芯から冷える。
「アンナ、もう上がっていいぞ。今日もこれから絵を売り込みに行くんだろう」
「今日は行くのをやめます。絵が雨に濡れたら大変ですから」
アンナのイラストは手描きなので、出版社には大きなスケッチブックを持って売り込みに行っている。
持ち歩く時は、普段からビニールのカバーをかぶせているが、やはり雨の日は持ち歩きを避けたいのだ。
「じゃあ、賄いを食っていけ」
エミールはまず、スープと前菜の盛り合わせとパンをそれぞれの皿に豪快によそって、カウンターに座ったアンナの前にでんと置き、今夜店で出すメイン料理になるはずだったカジキの切り身をフライパンで焼き始めた。
「飲み物は?」
さらに、そう言ってワイングラスやショットグラスを出し始めたので、アンナは慌てて断った。
「お酒は結構です。水をいただければ…」
水が入ったタンブラーと、カジキのソテーが、アンナの前に置かれた。
「俺は一杯やらせてもらうぜ」
エミールはそう言って、さっきまで店にいた客が半分以上残していったワインの瓶を取り出すと、カウンターの中で一人でワインを楽しみ始めた。
アンナもゆっくり食事を味わうことにした。
雨がもう少ししたらやむかもしれなかったし、カジキのソテーもこの上なく美味しい。
やがてカウンター越しの二人の間で、他愛のないおしゃべりが始まった。
「あの客はいつもあの時間に来るんだ。それで…」
「ええっ、そんなことが?…」
二人で笑い合っている時、もう閉まっている店のガラス扉を叩く音がした。
「誰だ?」
十一月の夕暮れは意外と早く、外はもう真っ暗だが、時刻はまだ午後五時五十五分である。いつもの閉店時間の五分前だ。
我儘な客が何かを食わせてくれとガラス扉を叩いている可能性は十分あった。
「出ましょうか?」
アンナが席を立ちかけた。
「いい。俺が出る」
エミールがガラス扉を開けた。外はまだ雨がぽつぽつと降っている。
ガラス扉を叩いていたのは、白地に細かい茶色のブチ模様の、若いミニブタの男性だった。
年は三十手前だろうか。きちんと髪を整えていれば、ハンサムに見える顔立ちだ。
「何かご用ですか」
見慣れない客だったので、銀色ウサギのエミールは、丁寧な言葉で尋ねた。だが、その男は客ではなかった。
アンナが強張った声で呟いた。
「ラザロ…」
「アンナ、話しがある」
ラザロが有無を言わさぬ口調で言った。
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