第174話 もう、殺されなくていいと思った矢先のことだった。


 ————………ブオオオォォォォォッッッ………!


 ゼブルニア北西の小神殿、ロザリオとナミがいる場所では———、


「あれは……魔物……?」


 遠くで空に真っすぐ飛んでいく巨体を見つめ、ロザリオが呟く。

 突然打ち上がったソレに驚きを隠せなかった。隣に立つナミも同様だ。

 というのも———あんなに巨大な魔物をロザリオは今まで見たことがなかったからだ。

 それがあんな軽々と空に向かって飛んでいくのも———。


「お~、お~、流石だな……〝迷宮の番人〟でもあっさりと倒すか……あれ以上の魔物は中々いないというのに……」


 驚いていないのはグレイヴのみだ。 

 彼は感心したように、それどころか嬉しそうに飛んでいき天井にガアンっと土煙を上げて突き刺さった魔物を見ていた。


「フ……ッ、ああ……そういうことですか……」


 ロザリオは、グレイヴの見せた言葉と表情で大体のことを察した。

 自分たちがいる場所とは真反対側の神殿で何が起きたのかを———。


「〝あちら〟にも刺客しかくを向わせていたということですか。邪魔者を排除するために……ですが、残念でしたねボス。あちらには僕たちよりはるかに強い悪魔みたいな生徒会長様がいらっしゃるんです。あの人がここに来ているんだから、あなたの計画もおじゃんですよ」

「……おじゃん?」 


 ロザリオは、自分の砕けた言い回しをそのままグレイヴが繰り返したので思わず噴き出した。


「プ……ッ! だってそうなるでしょう? 会長がいるんだからここで大それた‶復活の魔法〟を発動しようとしても、無理ですよ。あの人が絶対に止めます。あの人は自分が酷いことをするのはいいけれども、人が誰かを傷付けるようなことは絶対に許さない。究極の我儘わがまま人間なんですよ。そんな人が、〝自分のモノ〟だと豪語している聖ブライトナイツの学園生徒を傷付けるような計画———看過かんかするとは思えません。ボス、諦めてください。今なら双方、平穏に終えることができます」


 ロザリオはグレイヴに向けていた剣先を少し下げ、片手を空手に、握手を求めるように手を伸ばす。


「………ボス、何事もなかったかのように互いに剣を引いて、それから冷静に考えましょう。これからのことを———あなたと僕たちの今後のことを」


 ロザリオの眼に少しだけ力がこもる。

 潤んでいる。

 優しい親愛の光が、その目に宿っていた。

 グレイヴを見つめるその瞳に———。


「〝いにしえの魔族の復活〟なんてやらなくていいじゃないですか? そんなことしなくても、世界はどうにかなりますよ」

「やらなくていい?」


 その言葉に、グレイヴがピクリと反応した。


「ええ……このままでいいじゃないですか。多少の不満はあるかもしれないですけれども……犠牲を払ってするようなことでは、」

「ロザリオ、何か勘違いしてはおらぬか? この世界は、根本から間違っておるのだ。儂はそれを正したいと言っておるのだ」


 グレイヴは、ロザリオの申し出を無下に突っぱねた。


「ボス……」

「それに、お前は我が計画が失敗すると思い込んでいるようだが、それも———間違いだ。我が計画は順調に進んでおる。あのミノタウロスは……ちょっとした囮よ」

「囮……?」

「ああ。カナンを発動させるには、〝器〟が必要だと言っただろう? その器にも〝中身〟が必要だ。その中身を入れるために、〝別の器〟に入っている中身を移し替えるため。それを円滑に進めるための、な」

「別の器……?」


 器が二つあるような、妙な言い方にロザリオは眉を潜める。

 グレイヴの言う〝器〟と言うのは———ガルデニア王城の地下で製造されていたという魔王の複製体のことだろう。

 ここに来るまでで、城で起きた大体の出来事をシリウスの口からロザリオは伝え聞いている。その事件で、グレイヴが魔王の複製体を連れて行ったことも……。

 そして———シリウス・オセロットの正体も……。


「もしかして———」


 ロザリオは目を見開いた。

 ある考えに辿り着いたからだ。


「ああ、〝シリウス・オセロット〟という器の中に入っている———〝魔王の魂〟。それを回収するために注意を引き付けるだけの———あれはそういう存在だよ」


 グレイヴがニヤァ……と不気味に笑う。


「会長……ッ!」


 ロザリオは焦った。

 急に心臓を掴まれたような感覚がした。

 傲岸不遜、天下無敵、唯我独尊を地で行くシリウス・オセロットが死ぬわけがない。そう頭では思っていても、どうにも嫌な予感と言うのがぬぐえない。

 もしかしたら———本当に……という不安がどうにも……。


 ◆


 ———ゼブルニア北東の小神殿。


 ミノタウロスが打ちあがったその起点となった場所では、


「アン、お前の願いは聞き入れた。オレは生きよう。生きて罪を償おう」

 怪牛をたった今吹き飛ばした拳を天に突きあげて、シリウス・オセロットは、俺はアンに微笑みかけた。

「うん……ありがとう」


 アンは少し涙目になって頷く。

 彼女は俺に礼を言った。

 なぜ感謝の言葉を述べたのかはわからないが、彼女が許してくれるのなら、俺はこの世界で生きよう。

 何故ならば———彼女こそがこの世界でシリウス・オセロットが死ななければいけない一番の理由。


 彼女こそが———シリウス・オセロットの罪の証しだからだ。


 その彼女に許されてしまっては———もう死ぬわけにはいかない。

 シリウス・オセロットは、俺は、もう———殺されなくていい。


「ふぅ……なら、どうしようかな、これからは……」

「え?」

「いや、正直な話。オレ自棄やけになっていた。自分等生きていても許されるはずがない。罪を償うには死ぬしかない———と。そう思い込んでいたものだから未来のことなど考えてもいなかった……だから、これからどうするべきか……」


 シリウス・オセロットに転生した時点で、俺は全てを諦めていた。

 この世界で幸せになどなれるはずもないと……まぁ、実は絶望していた。

 だから、すぐに殺されるように頑張ってはみたものの———なぜかこんな結末で終わってしまった。

 復讐を誓った相手に許され、生きながらえることになってしまった。

 この世界でどう、生きて行こうか。生き続けて行こうか。全く考えていなかった。


「何それ?」


 と、言いながらアンはおかしそうに笑い、


「とりあえず、皆を守ってよ。学園の生徒会長として、今はそれでいいんじゃない?」


 ポンと俺の胸に拳を乗せた。

 アンがそんな気軽に俺に触れるとは思ってもおらず、少しだけ嬉しくなって胸が温かくなる。


「そうだな。とりあえず、バカをやらかしているお前の組織の親玉でも———とりあえず捕まえようとするか」


 そう言って俺は拳を鳴らした。

 とりあえず、とりあえずは———だ。

 とっととこの状況を終わらせよう。

 グレイヴ・タルラントを捕まえ、街に平穏を取り戻させて……それからは、


「まぁ、のんびり二度目の学生生活でも楽しむかな……」

「?」


 アンが隣で首をかしげる。

 当然の反応だ。俺が人生2周目であるなんて彼女には想像もつかないだろう。


「これからは悪役貴族のスローライフ……そういうのもいいかもな……」


 ————ガァァァ……。


 突如———動物の鳴き声のような声が聞こえた。


「———ッ! シリウス、後ろ!」

「む?」


 振り返ると————、


「ガァッッッ‼」


 俺に向かって飛び掛かって来る、角を生やした少女がいた。


 ———魔王の複製体⁉


 このシリウスと同様に、人工で生み出された魔王のクローンが獰猛な笑みを浮かべて襲い掛かってくる。


 小さな手のひらをまっすぐにピンと伸ばし、爪を尖らせ、手刀を形作る———。


 その肉の刀で俺の胸を貫こうと真っすぐに伸ばし———、


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 アンの悲鳴。

 それと同時に———〝血〟が飛散った。

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