第15話 『蠍』という組織

 アン・ビバレントはシリウスを見送った後、『スコルポス』の応接室へと戻っていった。


 トボトボした歩調で通路を歩く。


 もう何が何だかわからなかった。


 シリウス・オセロットがどんな人間なのかアンにはわからなくなっていた。


 彼を殺そうとしたことは一度や二度ではない。何度も何度も、あの学園に入学してから暗殺しようとしたが、そのたびににべもなくあしらわれてきた。


 そして———最初の内はシリウスは明らかに性的せいてきで嫌らしい目をアンに向けていた。


 アンが殺そうとしたところ組み伏せ、服を脱がせようとしてきたことも、破いてきたこともあった。


 そのたびにタイミングが悪く他の生徒が来たり、アンが何とか逃げ出したりして、実際に下劣な行為に及ばれたことはなかったが、その時のシリウスの眼は忘れられない。今でも思い出すと体が震える。

 女として、エモノとして、ただの性欲を消化するための道具として見ている。


 それが———シリウス・オセロットという男のはずだった。


 復讐のためとアンが襲い掛かってきても、シリウスとアンの間には圧倒的な力の差がある。だからたやすくあわれているし、その権限があるにも関わらず退学にもしない。

 そのシリウスの態度が、心の底から許せず、彼に襲われそうになるたびに必ずこの手で殺さなくてはいけない———そう決意を固めていったはずなのに……。

 最近のシリウスの態度は明らかに違う。

 言葉は変わらずキツいが、彼の言動、行動、瞳に今まであった〝ドス黒い〟悪意のようなものがなくなってしまった。


 まるで———改心したかのように。


「……そんなわけない。あいつは心底心根が腐りきった邪悪な存在なんだ。改心なんてするわけがない……あいつは何か今企んでいるんだ。邪悪な人間じゃないとあたしの母さんにあんなことをしない。父さんを殺したりなんかしない……どんな事情があったって……そんなことをする人間が正しいわけがない……」


 例えどんな事情があったとしても……人を殺す人間に良い人間がいるわけがない。人を殺す人間は邪悪に決まっているのだ。


 例えどんな事情があろうとも……。


 暗い顔をして応接室の扉を開く。


「おい、アン!」


 早速ボス、グレイヴ・タルラントが睨みつけてくる。

 叱責される……アンは内心恐怖した。


 彼が許すわけがない。


 マフィアのボスとして、彼は曲ったことが嫌いだった。復讐を誓い組織の門を叩いたのに、その仇敵と並んで歩いてボスの元に挨拶に来た。「お前の決意はそんなものだったのか?」「そんな甘っちょろい覚悟でマフィアの世界に入って来たのか?」そんな失跡の言葉を浴びせられるに違いない。

 最悪この場で小指を詰めさせられるかもしれない。


「オヤジ。あたしは……!」

くやってるじゃねぇか」

「あいつに……! え……?」


 グレイヴの口角がニヤリと上がった。


「あいつの懐に入り込んで、が熟したら殺す。そういった作戦に切り替えたんだろう? アン。なかなかやるじゃないか。お前がそんなからめ手を使えるようになったとは見直したぞ」

「え……」


 そんなつもりじゃ。


「アン。お前は俺の自慢の娘だ」


 だが、グレイヴはアンを絶賛し続ける。


「あのオセロット家のガキ。おもしれえ奴だが、中々厄介な奴だな。一目でわかった———あいつはお前の手には余る。お前一人だととても今すぐに命を奪うなんてこたぁできねぇ。だから、心を殺して敵の懐に入ったってわけだろ? 敵の信用を勝ち取るってのは、の世界でのし上がるやつは皆やってる。のし上がる奴って言うのはそういう奴だ。『友は身近に、敵はさらに身近に置け』ってな」


 そんなつもりでは……本当にないのに。

 何だか騙しているような気分になって、無性に罪悪感が沸き上がる。


「おい、聞いてんのか? アン」

「あ、はい! オヤジ? 何か言った?」

「お前はこのままオセロット家のお坊ちゃんの懐に入り続けろ。「信頼」を勝ち取り続けろ。それが何よりも大事だ。「信頼」を手に入れることは、いては敵の力をそぐことにもつながる。搾り取れるだけオセロット家の財を、お前で奪ってみせろ。「信頼」で勝ち得たものであれば、例えお前が復讐を達成したとしても、皆お前に正当性があると主張してくれる。あのガキから全てを正しく勝ち取ることができる。そして奴は、死んだ後、誰からも忘れられて消えていく。復讐にもやり方があるんだ。アン。それが一番正しい復讐のやり方だ。時間はかかるが、あのガキが本当に全てを失うことになる時、それが刈り取りの時期だ。そこを見誤るなよ」


 クックック……と笑い続けるグレイヴ。


「そう……だね。わかっているよ。オヤジ〝『スコルポス 』に祝福を〟」


 アンは右手を掲げ、組織に忠誠を誓っている証の文言もんごんを唱える。


「〝『スコルポス 』に祝福を〟」


 グレイヴも満足げに右手を掲げて応える。

 それが別れの挨拶になった。

 アンは踵を返して部屋を出ようとしたその時だった。


「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 悲鳴が部屋に響いた。


「何の声⁉」 


 悲鳴はグレイヴの横の扉。

 その奥はグレイヴの書斎に繋がっている。彼自信がデスクワークをするとき、またはこの応接室で何らかのトラブルがあった時。その時のために構成員が待機しておく場所だ。


「う……う……うぅ! 痛いィ! やめてえええええええええええぇぇぇぇ‼」

「ナマ言ってんじゃねぇガキが! こうなったのもテメェが招いた結果だろうが‼」


 構成員の怒号のあと、ガンッと金属が打ち付けるような音が響く。


「オヤジ……扉の向こうで何やってるの……?」


 アンは聞いたことがある。

 この『スコルポス』の応接室は『イタチの寄り合い所』で一番奥にあり、外に声が漏れ出にくい部屋だ。

 だから、この部屋で敵組織の構成員または馬鹿なチンピラをリンチにかけることがあると、何処からかの噂で聞いたことがある。


「ん? あぁ……気にするな。ちょっとあのオセロット家のボンより世間知らずで頭の悪いガキがいやがったもんだからな。〝教育〟してやってんのさ」

「そ、そう……な……んだ……」


 アンにとって、『スコルポス』は優しい組織だ。

 復讐なんて馬鹿なことを考える自分に技術を教えてくれたし、働き口がなくて生活が困窮こんきゅうしていた自分たち親子に支援もしてくれた。

 マフィアであるが、本当の家族のような組織だった。

 そんな家族の負の一面を見てしまった。


「…………ッ!」


 グレイヴにも何か事情があるし、綺麗ごとだけではマフィアはやっていけないのだ。こういう一面もある

 そう自分に言い聞かせ、部屋を出た。


 ◆


 アンの退室後、グレイヴだけが応接室には残された。

 ガチャリと奥の、書斎に繋がる扉が開く。


「お? オヤジ……アンの奴はどこに行ったんだよ?」


 目の上に傷を作ったハゲ頭のマッチョマンだ。シリウスに対して土豪を飛ばしてガンを付けてきた荒くれでもある。


「帰ったぞ」

「帰ったぁ⁉ おい、オヤジ。なんで呼び止めてくれなかったんだよ。せっかく〝こいつ〟を会わせてやりたいと思ったのに」


 書斎を親指で指さす。


 そこには、シリウスに大斧を向けてきたロリがいた。


 ロリ……だけじゃない。

 彼女は右手に〝何か〟を———〝誰か〟を〝って〟いた。


「アンに、〝こいつ〟を会わせる必要はない……」


 ロリはずるずると右手に持つ襟首を引き、ある人物を応接室内へと引きずり連れ込む。


「〝こいつ〟は『すぐに強くなりたい』と言ってウチの門を叩いてきた。今……アンに会ったら……〝こいつ〟は……甘える……決意が……にぶる」


 そして、応接室のソファに持っていた人物を投げ込む。


「おい、そんな乱暴にするなって! テメェのしごきはきついんだからよ!」


 マッチョマンが心配そうにソファに寝ている人物に駆け寄り、


「おい、大丈夫か? 坊主ぼうずよぉ……」


 目が隠れるほどに長い前髪をした、幼げな顔立ちをした少年に声をかける。


「優しくするなって……私、いつも言ってる……新入りには厳しくしないと……ダメ」

「だから、さっきはちゃんと心を鬼にしてただろうがよォ!」


 その少年をめぐってマッチョマンとロリが口論を始める。

 グレイヴはそんな光景をいつものことと、新聞を広げた。


「まぁ言う通りだな……今はまだ慣れ合う必要はない。そのガキとアンとじゃウチの門を叩いた目的が違う。余計なことを考えさせるな。それに〝同じ学園の生徒〟だとしても、アンが必ずしもそのガキを知っているとは限らんしな……」


 と、ふと何かに気が付いたように視線を上げ、


「ところで……そいつの名前、なんと言ったか?」


 ロリに尋ねる。



「ロザリオ・ゴードン……」



「ロザリオ……そうか、よくある名前だ」


 彼は再び新聞に視線を落とした。


 そして———聖ブライトナイツ学園の制服を着た少年は、あざだらけの体をマッチョマンに介抱されながら、眠り続けていた。

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