第8話 教師——ショット・ウェイバー

 これから忙しくなる。


 楽しい楽しいアウトドアイベントを成功させて、アリシア王女との仲を取り持つには何かと下準備が必要になり、そのために接触しなければいけない人間が二人。


「確かあのキャラは裏社会に詳しいから、その力を使って人員を確保できる……そしてあのキャラを使えば、イベント用の魔物が用意できる……」


 『紺碧こんぺきのロザリオ』の登場人物の設定を思い出しながら廊下を歩いている。


「そのためには知識が必要だ。困ったことに俺にはシリウス・オセロットの記憶がないんだよなぁ……」


 俺の現状は、先日いきなりこの体に乗り移った状態だ。

 日本で普通の人生を送り、普通の会社に就職して、いつの間にか死んだ記憶しかない。シリウスがこの世界でどうやって生きてどういった人と交流してきたのか———その記憶は全くない。『紺碧のロザリオ』をやった時のゲーム知識しかない。

 ぶっちゃけ、記憶喪失の状態だ。記憶がない状態で、いきなり「シリウス・オセロット」というキャラをロールするように放り込まれた状態だ。ゲームでは結構シリウスは出番があり、ロザリオに対して嫌がらせの刺客を送ってくる敵としてのポジションにいたので、どういった交友関係があるのかは描写されている。だから、ゲームの情報を引っ張り出すことでなんとか円滑な学生生活が遅れていた。

 だが、そのシリウスという個人の記憶がないことは大きな問題がある。


「魔法のやり方が全くわからん……」


 授業を受けていたが、何を言っているのか全く分からなかった。

 四月で騎士学校が始まった時期だといっても、シリウスは二年生。ロザリオとアリシアたちは一年生で、基本的な魔法の発動法を習っているが、二年生は当然すでに習得していることが前提の授業内容となる。

 『土魔法による緊急時の土豪の掘方』といういたって地味で面倒な授業を受けたが、さっぱりやり方がわからなかった。「シリウス君はできて当然だよね」という雰囲気だったので俺は腕を組んで偉そうにしているだけで何もせずに済んだが、他の生徒たちはみんな何かを唱えて土にぼこっと、へこみを作っていた。


「土にへこみを作る。それすらできないんだよなぁ……俺って……だから急いで勉強しないと……」


 俺が向かっている先は図書館だ。

 基礎でもいいから必死に魔法の習得方法を学ばなければいけない。二泊三日のアウトドアを過ごすのだから、多少の支援魔法は習得しておかないと————。


「シリウス君!」 


 と思っていると、声をかけられる。


「おや? あなたは……確かショット・ウェイバー教諭」


 眼鏡をかけた茶髪の壮年の男。

 教師の証しである真っ黒なローブを身に着けた彼は、ヒクヒクと目じりを動かし、眼鏡をクイっと上げた。


「……名前を憶えていただけて光栄だよ。確かに君には僕が教えるざん属性魔法はないだろうがね」


 彼が教鞭きょうべんを振るっている魔法は、斬属性魔法。

 斬ることに特化した、武器を媒体にした魔法で、風と土属性の応用属性魔法だ。

 騎士という存在を育てるこの学園において、一番の花形の科目で授業自体に人気はあるが、このショットという教師に人気はない。


「まったく……ガキはこれだから……」


 と、目の前に生徒がいるのにも関わらず愚痴を垂れる。

 嫌味で話も分かりづらく、できれば変えて欲しい教師ナンバーワンに輝いているのが、このショット・ウェイバーである。


「それで、わざわざオレを呼び止めたのは何のためですか? これでもオレは忙しい。呼び止めるにはそれ相応の用事があるのでしょうね?」

「きょ、教師に向かってその口の利きよう……まぁいい。用事というのは、あのモンスターハント大会というモノを即刻中止しろと言いに来たのだ」

「ほぅ……何故です?」

「何故ッ⁉ 当然だろう。私たちには生徒の身を預かっているんだ。死の危険がある場所に向かわせて怪我でもさせたら、実際に死んでしまったら問題になる」

「そうは思いません。ここは騎士を教育する学園です。戦う者を育てるための学園なのに、ちょっとやそっとの怪我を気にする必要はないでしょう。それに、この学園には決闘制度があります。問題解決のために、敗者に勝者の要求を絶対に受け入れさせる。騎士学園たらしめる制度が。命の危険がある一対一での真剣での戦いが認められているのに……魔物退治はどうして認められないのですか?」

「そ、それは……規模が違うだろう……決闘は滅多に人死ひとじには出ないし、出たとしても……」


「そう、死ぬのは平民ばかりですね」


 決闘制度はあるにはある。

 だが、貴族同士での決闘は滅多に起こらない。基本的に平民が貴族の横暴に不満を爆発させて、下剋上のために挑むものだが、平民が勝つことはない。

 貴族と平民では使える武器が違う。

 貴族が使う武器には様々な魔法効果———『加護』が付与されているが、平民の武器は何の『加護』もないただの武器だ。というのも、貴族がスポンサーであるがゆえに、平民からの不評は買っていいものの、貴族の不評は学園経営の根幹を揺るがす事態に発展しかねないからだ。


「ですが、その結果貴族の騎士が実際に戦場に出た場合、全く能力が足りずに命を落とすと言う場合も想定されます。そうならないようにここで命の危機というものを知っておく必要がある———そう、オレは考えているわけです。安心してください。全力で殺しに来る敵兵よりも、ただ自分の生息圏で生きている魔物の方がよほど安全です」

「クッ……」


 俺に言い負かされてグッと押し黙るショットだったが、周囲にキョロキョロと目線をやり、口元に手をやり、何者にも盗み聞きされないように顔を寄せ、


「……わかった。だが、せめてアリシア王女は除外してくれないか? せっかく彼女には〝褒める教育〟で気に入られようとしているのに、怪我でもしてこの学園を去ることになったら、私の折角の出世のチャンスが台無しだ」

「ダメです」

「な……」 

「あなたがちゃんと教育をしていれば問題ない話でしょう。もしも王女が死体で見つかったとしても、あなたの教育不足のせいです。あなたの出世がどうとか、オレの知った事ではない……つまらないことに時間を潰してしまった……では、オレは急ぐのでな」

「お、おい! シリウス! 待て……!」


 ショットをその場に残し、俺は振り返らずに廊下を進んでいった。

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