Track-9.part A 祝福

翌日、私は会社のデスクで小さくため息をついていた。


昨日、ショッピングモールの楽器屋さんでベースを弾く片桐さんの姿を思い出したからだ。


別にただベースが弾けるだけなら、何も気になる事はない。それどころか、なぜベースが弾けたのかを聞くだけで済む話なのだ。


だけど、それができないでいた。


それはお姉ちゃんとの事もあるが、それ以上になぜ私が好きな歌を弾けるのか?だ。


もちろん、私が好きな曲に影響して弾ける様になった……、その可能性はある。が、その曲はどこを探してもバンドスコアなど売っていないし、インターネットに楽譜すら載っていないのだ。


例え彼に絶対音感があったとしても、あの音を楽譜も見ずに完コピする事は難しい。


それなのに彼はまるで自分の音の様にそれを弾く……。それどころか、私のアレンジしたピアノに音を寄せている節まである。


……聞きたい。どうしてその歌のベースを弾けるのか。どうして音楽をやっていた事を教えてくれないのかを聞きたかった。


だけどあの後、トイレから戻ってきたであろうお姉ちゃんと鉢合わせだ私にそれを聞く事はできなかった。


それはお姉ちゃんの姿を見て、その心のうちが分かったからにほかならない。


私が見た事のない服装に、本気具合を示すその綺麗な化粧。そして彼の身長に合わせた様な少しヒールの高い靴……。


普段のスポーティーな装いとは違う、女を意識させる服装に、彼への想いが伝わってくる。


お姉ちゃんにしても、意図していない私との遭遇は気まずいだろう。だから、何も聞けずに帰ってきた。


なのに、脳裏で一心不乱にベースを弾く彼の姿が頭から離れない。優華が言う様に、彼の根底に隠れた真意を聞きたいと言う気持ちが溢れて止まらない。


だが、私にそこまで覗く勇気や関係性はない。

そんな事を考えていたら気づくと夜は明け、会社に行く時間になっていたのだ。


……どうしよう。

聞くべきか、聞かざるべきかを今の今まで働かない頭で考えた。


だが結局は何も聞けず、いつか話してくれると言う淡い期待を胸に秘めたままだった。


それなのに、お姉ちゃんや片桐さんは今まで通りに日々を過ごす。あの後の事や二人が何を考えているのか、わからない。


そんなモヤモヤとした感情を休憩時間まで抱えていた私だったが、不意に先輩に昼ごはんに誘われた。


ファミレスでランチを女四人がそれぞれに頼み、仕事の愚痴やたわいもない話で盛り上がる。


そんな中で出たのはやはり、歓迎会の後からの二人の噂だ。


「ねぇ、知ってる?昨日、雪吹さんと片桐さんがデートしてたの?」


「知ってる!!よその部署の子が見たって言ってた!!」


「そうそう!!なんか付き合う間近のカップルか?って感じだったらしいじゃん」

その言葉に、私の胸が痛む。


まだ付き合っているわけじゃない……。

だけど、他者から見るとそう見える。その事実に現状、どう向き合えばいいのか分からない。


仮にあの二人が付き合っていなかったとしたら、私は片桐さんに好きだと伝えるのか?


それはない。


例え付き合ってなかったとしても、きっとお姉ちゃんは彼のことが好きだと言う、不確かな実感はある。それを横恋慕するかと言うと多分しない。


だけど、二人がうまく行かず、彼がこちらを向いてくれたらなんて事も考えてしまう。


脳裏に幼い頃の記憶が蘇る。

お姉ちゃんと私ともう一人……。泣きじゃくる私をあやしてくれるお兄ちゃんの存在を。


「ねぇ、水鏡さんはどう思う?義理とはいえ姉妹なんでしょ?片桐くんみたいなお兄さんが出来たら……」


「ふぇ?」


「片桐君のこと、どう思うって聞いてるの」


「どう思うって言われても……」

突如、私に話がふられ、意識が過去から今へと引き戻される。


片桐さんが義兄になる。

考えても見なかった事だ。


だが、考えてもみればあの二人が結婚すれば親戚に値する人となるのだ。それについてなんと言えばいいのだろう。


「……いい人だと思いますよ?優しいし、お姉ちゃんを大切に思ってくれる人ですから」

私が今までに感じた事を口に出す。


それは彼との関わりの中で得た答えだ。

いい人で優しいのだ。お姉ちゃんにも、私にも……。


「いい人、ねぇ……」

私の答えに、お姉ちゃんと仲が悪い先輩が口にした言葉にどこか含みを感じる。


別にこの人と私が特別に仲が悪いわけじゃないのだけど、お姉ちゃんに当たりが強く、片桐さんに対してもどことなく嫌な空気を醸し出す彼女に、私も少し勘に触る。


「……な、なんですか?」


「いえ。いい人かは知らないけど、あの人、何を考えてるのか分かんないのよね……」


「…………」


「自分を見せないというか、仕事中も心ここにないと言うか……。機械的というか」

そう言う先輩の言葉に他の先輩方も分かる〜、とそれに同調する。その言葉に私は何もいい返せない。


いい人というのは私の感想であって、それはプライベートな事も含めて知っている彼の姿だからだ。


先輩方から見ると彼の仕事態度はそう見えるらしい。確かに彼もまた、お姉ちゃんに似て排他的な所があり、しっかりと仕事はする。


だけど、私に仕事を教えている時以外その表情には感情見えなず、淡々とこなしている。

とはいえ、時々見せる退屈げな表情私は知っている。


仕事を淡々とこなす彼と気だるげな彼と……どっちが本来の彼か私でも分からない時がある。


プライベートでも付き合いがある私ですら彼が何を考えてるのか分からない時があるのだ、彼女らに分かるはずがない。


「だけど、それで良かったんじゃないですか?芥田先輩には」

私と仲の良い先輩が唐突にお姉ちゃんを敵視している先輩に話を振る。


その言葉に、私は「何がですか?」と尋ねると、仲の良い先輩がにししと笑いながら言葉を続ける。


「この人、隣の課の枝田さんが好きなんですよ」


「へぇ〜」


「ちょ、バカなこと言わないでよ!!なんで私がM田なんか好きになるのよ!!」

仲の良い先輩の言葉に私が反応していると、芥田先輩は顔を赤らめ慌て始める。


「先輩、ああいうMっ気のある人が好みですもんねー。だから競合するかもしれない雪吹さんを敵視しちゃって……」


「なるほど」

先輩の言葉にようやく合点がいく。

何故お姉ちゃんに敵意を向けているのか?


それは恐らくお姉ちゃんの外見とその態度にある。普段は小さくて可愛らしいのだが、時折見せる雪の様に冷たい視線や頑ななまでに自分を変えない姿勢がごく一部の層から人気なのだ。


そのギャップにやられたのが芥田先輩の思いびとである……と言われると妙に納得できてしまう。


「良かったんじゃないですか?恋敵が一人減って」


「う、うるさいわね、あんたはどうなのよ」

いい大人が二人、愛だの恋だの言っている姿を横目に、私はふと自分を振り返る。


……恋敵。という言葉が胸に刺さったのだ。


彼といるのは居心地が良い。だけど好きとか嫌いとかそう言う感情かと言うと分からない。


ただ、お姉ちゃんと付き合いだした彼が今の様に私に付き合ってくれるのか?その反対に、お姉ちゃんがそれを良しとしてくれるのか?


答えはノーだ。

歌手を目指す私をあの人はよく思っていない。

だからお姉ちゃんには内緒にしている。


が、付き合いだしたらきっとどこかでボロが出る。1時間弱に満たない路上でのライブとはいえ、男女が二人で夜に出歩いていてお姉ちゃんがいい気はしない。


だからと言って私にも夢(思い)がある。

その夢を断ち切ってまでお姉ちゃんの考えに従う理由はない。片桐さんとの関係もだ。


そう考えていると、脳裏に片桐さんがベースを弾く姿が浮かぶ。その一心不乱に弾く姿は普段の気だるげな様とも機械的に仕事をする様でもない。


彼が発する事のできる最大限の感情の様に見える。誰にも見せる事のない、心の底にしまい込んだ感情……。


それが分からない限りは私は……、私たちは一歩先へ動き出せない気がする。


片桐さんへの思いが分からないお姉ちゃんに。片桐さんとの関係が分からない私。そして何より……、全てを隠し、考えを見せない片桐さん。


三人とも中途半端なんだ。

そんな状態では、夢も、恋も、関係も上手く行くはずがない。


それぞれに祝福が訪れるはずがないのだ。

そう思い、私は片桐さんに何を考えているのか尋ねる決意をする。


何故、あの曲を弾けるのか?

何故、私に付き合ってくれるのか?

お姉ちゃんの事はどう思っているのか?

私の事は……。


そう決意し、夜……、路上ライブに繰り出す。


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