Track-8.part A あの夢をなぞって
人は夢を見る生き物だ。
そこには自分の願望や欲、あり得ない妄想などが投影される。だけど、夢自体はすぐに忘れてしまうので、それには何の価値もない。
将来の夢(目標)だってそうだ。
なりたい自分や求めるもはむげんに広がる。
それこそ夢で見たあり得ない妄想(まぼろし)の様に……だ。
だけど、それ自体に価値はない。
自分で目標に向かって歩き、努力し、掴み取る。それが出来てこそ夢は成就する。
私はその夢に向かって、一歩踏み出した所だ。
それは夢幻の様な夢(もくひょう)だ。だけど、一歩踏み出した事で、可能性は無限に広がった。
私は……夢を見ていた。
ふと目を覚ました私が上を見上げると、そこは私の住む部屋の天井だった。
現実……。
この日常(げんじつ)が、昨日あった事を嘘の様に時間を進める。だけど、私はどこか居心地の悪さを感じていた。
『全てを失う覚悟はあるか?』
そう語る彼の言葉が夢を介して語りかけてくる。その言葉に私は目を覚ましたのだ。
普段ならすぐに忘れてしまう夢が、脳裏を離れない。その夢は水鏡音愛にとって、願ってもない夢だったのだ。だけど、後味の悪い夢……。
幾百、幾千では足りないほどの聴衆の前でスポットライトを浴びる自分。その光景を幼い頃から夢見ていた。
だけど、そこにあの人の姿はない。
観客席を……、舞台袖を……、舞台の上をいくら探した所でいないのだ。
その光景に恐れを抱いた私に投げかけられた言葉。それが冒頭の彼の言葉だった。
私はその言葉の本来の意味を知り、ベッド上で身を丸める。恐れた所で彼は私のものではない。
恋人でも、付き人でも、それどころか守ってくれる存在でもないのだ。だけど、その事が歯がゆい。
「……はぁ、今頃何をしてるんだろう」
よぎる不安をかき消すかの様に、私は呟く。
彼は今日、お姉ちゃんとデートなのだ……。
※
「はぁ?そんな事で呼び出したの?」
親友が私を呆れた表情で見ながら言う。うじうじとした私の姿を見ながら。
あの後、人肌恋しくなった私は真っ先に優華に連絡を入れたのだ。すると優華は私の浮かない声を聞くと、光の速さで飛んできてくれたのだ。
普段であれば約束をすっぽかしたり、約束をすっぽかしたり、約束をすっぽかしたりするけど……、こういう時に真っ先に駆けつけてくれる。こんなに嬉しい事はない。
「悪い夢を見て不安になったから電話したって、子供か!!ホームシックになった子供か!!」
「うぅ……」
「最近ポジティブになってきたと思って安心してたのに……」
優華はこたつに肘を置き、はぁー。と、大きなため息をつく。その気持ちも尤もだ。
朝早くから電話され、気落ちする私が心配になり、すっ飛んできてみれば理由が夢なのだ。呆れない訳がない。
「で、どんな夢を見たって言うのよ?」
「……それは」
優華の追求に言い淀む。本来なら願ったり叶ったりの夢だ。落ち込む理由がない。私はその表層の部分だけ説明する。
その説明を聞いた優華も、「へぇ〜。いい夢じゃない?」と、ジュースを口にしながら言う。
いい夢なのだ……。なのに落ち込んでいる。
理由も明白だ。
片桐奏人という存在だ。
昨日、路上で私の歌を聞いてくれた10人……。その人達の万雷の拍手より、彼の存在が居なくなった時の不安が過った事が何より怖かった。
それを親友にどう話せばいいのだろう。
私が頭を悩ませていると、親友は一言、「男ね?」と言う。
その言葉に私は図星をつかれ、「えっ、あ、その……」と、慌てふためく。
一方、反論できない私を見透かした様に、優華は話を続ける。
「図星ね。どうせあんたの事だから、あの人がいなくなったら……、なんて考えているんじゃない?」
「…………」
その通りだ、何もいい返せない。
「……どっちが大事か、だよね?夢か……、恋か」
優華は黙ったままの私を見て、ぽつりと呟く。
……恋ではない。
優華の言葉に私は内心定まらない感情(ココロノアリカ)を探す。
きっかけは親友だけど、背中を押してくれたのは彼だ。いつまでも横で私の歌う姿を見ていてほしい。……そう願ってしまう。
その一方で、いつまでも彼に甘えてはいられないとも思う。彼にも彼の生活があるのだ。
姉の事も気掛かりだ。
どこをどう見ても好意がある様にしか見えないのだ。
だからあまり仲良くしてしまうのも気が引けてしまう。
「けど、あんまりいい人には見えないな……」
「えっ?」
「あんたの話を聞いてると、何か隠してる様な気がするのよね?」
「そ、そんな事ないよ!!」
急に彼の事を否定されて、私は激昂する。
「悪い人じゃない!!じゃないと、私にいつまでも付き合ってくれないもん!!」
「そうかもしれないけど……。それだけじゃない気がするのよ。聞いてる限りだと、思わせぶりが酷いと言うか……」
「…………」
「普通なら下心の一つも見せていいじゃない?それなのに、彼はそれを見せない。それどころか、踏み越えてはいけない線があるみたい」
聖人じゃあるまいし……、そう言った優華の言葉に何も言い返せない。
確かにそうなのだ。
彼が私に付き合う理由が分からない。
それでなくても仕事が忙しいのだ、無理に私に付き合う事はない。なのに彼は私に付き合ってくれる。
その訳を知りたい……。が、聞いても教えてくれないだろう。
心の中がモヤモヤする。
「分からない……」
私はただそう言うしかできなかった。
「……まぁ、考えても無駄ね。今のあんたに何を助言してもいっぱいいっぱいだろうし」
「どういう事?」
「言葉のままよ。別に彼の事を勘繰っても仕方ないけど、気をつけなさいよ?」
「?」
意味深な言葉を言う優華の言葉に首を捻る。
「優先順位をしっかりしなさいって事。なに?あなたの夢は……」
「歌手になりたい……」
「じゃあ、些細なことでぐじぐじしない!!応援してんだからね」
その言葉に私はハッとする。
今の状況なんて私が目指している場所を考えると、些細な事ものだ。
愛や恋なんてものに現を抜かしている暇はないのだ。そんな暇があるなら歌わなければならない。もっと練習をしなければ、あの人を超えられない。
歌手を目指すという事は、これまでの生活を変えなければならない。それは時間であり、しこうであり、人間関係であり、過去ですらも。全てを変え、努力し、歌い続けるしかない。
歌手になるには圧倒的に全てが足りない。
水鏡音愛という人間をもっと世の中に知ってもらう必要がある。
『……君は全てを失う覚悟はあるのか?』
あの日、彼が言った言葉が、ようやく分かった様な気がする。
チャンスを掴む為に、私が今できる事は……。
私はある事を思い出し、昨日使っていたカバンのところへ行き、中身を弄る。
カバンの中に眠る、チャンスの種を財布から取り出す。それは昨日、沙慈と言う人からもらったライブのチケットだった。
『俺のバンドに興味が出たら来てくれると嬉しい』
彼が私にそう言いながら渡してくれたチケットを見る。
そこには今日の日付と、19時開演の文字が書いてある。
「何それ……」
チケットを確認する私に近づいてきた優華が興味本位で尋ねてくる。
「これは……、私をバンドに誘ってくれた人がくれたチケット……。そのバンドが今日、ライブをするって言うんだけど、どうするか迷ってて……」
「えっ?バンド?誘ってくれた?」
そう言って、優華が乱暴に私の手からチケットを奪い取る。
そして、しばらくそれを眺めると、わなわなと震え始める。
「……行くべきだよ!!誘ってくれたんでしょ?しかも、このバンド、私も知ってるやつじゃん!!」
まじかぁ〜、と言いながら、優華は目を輝かせている。
「……有名なバンドなんだ。知らなかった」
「有名どころか、今後の日本の音楽シーンを変えるって言う話だよ?」
「メジャーデビューするとは言ってたけど、そんなにすごいの?」
「すごいとか言う次元じゃないよ!!沙慈って人の描く歌は先進的と言うか……。とにかく、すごいのよ!!」
熱弁を振るう優華の説明に、私は驚く。
昨日話した人がそんなにすごい人だとは思いもしなかったからだ。
「けど、ボーカルが辞めるとか言ってだけど」
「ん、あぁ……、あれはボーカルの能力不足ね。きっと、彼の求める歌にボーカルが追いつけなくなったんじゃない?」
「そんな……」
優華の言葉に、私は身を縮める。
そんなすごい人が、どうして私を推してくれたのかが分からない。
彼がすごい人である事は分かったが、彼の求めるものに、私がついていけるかどうか分からないのだ。
「そんなすごい人が、どうして私なんかをスカウトしたんだろう……」
「さぁ?なんか、感じるものがあったんじゃない?」
「あの人の求める音に、私が追いついていけるなんて思えないんだけど……」
「そんなの、わかんないよ。ただ、見に行くだけは行ってみたら?もしかしたら音愛の求めているものが得られるかもしれないじゃん」
「そうだけど……」
「それに、あんたには業界の知り合いなんて居ないんだから。プロを考えるなら知見を広げないと……♪」
優華は私の背中を押してくれている様に見える……が、内心どこか楽しそうだ。
「……優華、なんか楽しそうじゃない?」
「えっ、そんな事ないよ」
私が疑いの視線を向けると、親友は顔を逸らす。
その態度がいっそう怪しく思え、私は本当に?と言ってしまう。
「ほんと、ほんと!!それより、今から買い物行かない?音愛が心配すぎて、ちゃんとした服を着てなかったからさぁ〜」
私の事を心配していると思いきや、すでにライブに行く気満々な優華に私は呆れた。
「優華がただ、ライブに行きたいだけでしょ?」
「いいじゃん、行こ行こ!!」
そう言った親友に連れられて、私はライブ会場近くのショッピングモールへと向かうのだった。
空は、快晴……。
この調子なら、気分も晴れるだろう。
あの人や、お姉ちゃんの事も忘れるくらいに。
。
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