Track-7.part A もう少しだけ……
私はこれまでにない満足感を味わっていた。
雨が止み、私の奏でる歌に足を止めた人達が演奏を終えた私に対して拍手をしてくれていることに。
たかだか10人足らず……。真剣に音楽をしている人からすれば、たかだかそれだけの数に聞こえてしまうだ。
だけど私にとっては片桐さん一人しか居なかったこの場にこれだけの人が集まってくれた事が嬉しかった。
「つ、次の歌で……、きょ、今日はさいごにしまつ……」
歌では緊張しないが、初めてのトークに吃ってしまう情けない私に、ぱちぱちと拍手が送られる。
もちろん、最後の歌はあの曲だ。
少し私流にアレンジしたイントロを弾き始める。
通常ならこの曲はジャズテイストで物悲しい雰囲気の歌だ。それを少しだけポップなリズムに変える。
作曲者にしてみれば自らの意図した音とは違うものなのかもしれない。だけど、今の私は少しでもこの歌を聴いてくれる人に覚えて欲しいから、原作のイメージを崩さないようあえて自分流にアレンジを加えたのだ。
そのせいか、聞いてくれる人はみんな初めての曲なのに手拍子をしてくれる。それだけでも嬉しくなる。
雨をイメージしたリズムに乗りながら、私は歌を歌う。ようやく一歩、この曲を広める事ができた事に喜びを感じる。
もっと多くの人にこの歌を届けたい!!ますます膨らんだ思いが今にも爆発しそうになる。
その感情を抑えながら、声を丁寧に……そしてしっかりと発しながら歌う。
ラストのサビに入り、私はピアノのリズムを変える。敢えてゆっくりと、静かな流れを作る事でタメを作り、一番最後に抑えたリズム(感情)を爆発させる……。
その瞬間、まるで計っていたかのように私の背中を車のライトが照らし出す。それと同時にリズムを上げ声を張り上げる。
すると今まで手拍子を打っていた人達の手が止まる。その視線の全てが私一点を見ているのだ。
そんな視線が気にならないくらいに、私は歌詞に思いを込めて……歌った。
歌が終わり、ピアノの演奏だけになり、やがてそれも止む。その後に残った静寂はまるで雨が止んだ後の晴れ間ようなスッキリとした気分だ。
はぁ、はぁ……。息を切らせた私が、今までにないくらいに満足げな表情を浮かべる。
好きな歌を歌えなかった事や誰にも出す事のできなかったものを精一杯出し切った喜びが悦に変わる。
もう……、満足だった。
そう思った瞬間、私は小さな声で「……やったよ」と、呟く。誰に言ったわけでもない、自然と出た言葉。
これで、最後だ。そう思ったから出た声なのかもしれない。だが……私が呟いた瞬間、私の歌を聞いていた人達が、万雷の拍手を鳴らす。
決して多いわけじゃない拍手が、私を包む。
その拍手に私は、「ありがとうございました」と、ぺこりとお辞儀をする。
それを見てまた、聴衆達は拍手をする。
それは画面越しでは得られない、生の音だ。
その音に、私は感極まり……今にも泣きそうになる。だが、この時間も終わりだ。
再度、お辞儀をし、終わりを告げる。
ここはライブ会場ではないのだ。いつまでも公道を占拠しているわけにはいかないのだ。
すると、集まっていた人達が一人、また一人とこの場を離れ、家路を急ぐ。
中には私に話しかけてくる人もいた。
とある女の子が私の元へと駆け寄ってきて、声をかけてくる。
「すごい、よかったです!!」
「あ、ありがとうございます」
「どこかで歌を歌ってるんですか?」
「いや、たまにこうやってここで歌っているくらいです」
「うそ?定期的にやってないんですか?」
「ま、まぁ……。始めたばかりなので……」
「ほんとですか?信じらんない!!じゃあ、次はいつ歌いに来るとか決まってるんですか?Twitterは?インスタは?」
「Twitterとかはやってないんで……」
「うそ、もったいないですよ。活動報告とか宣伝とかすればもっと人、集まりますよ!!」
「えっ、いや……。恥ずかしいので、宣伝はしてないんですよ。ただ、ここで歌いたかっただけなんで」
「えーっ、勿体無いですよ!!次、演奏をするときが分かれば知りたいです。あなたのファンになりました!!」
「あ、ありがとうございます……」
「名前は?名前を教えてくださいよ!!」
グイグイと来る女性に名前を尋ねられ、私は戸惑ってしまう。
芸名なんて高尚なものはない。ハンドルネームすらない現状で何と答えればいいのだろうか。
考えあぐねた私はついつい、「とあ……。音愛です」と答えてしまう。公の場で名前だけどは言え、答えてしまった事に後悔する。
だが、放たれた矢は戻らない。
「音愛か……。いい名前ですね?よかったら、この動画、Twitterにあげてもいいですか?」
そう言って、彼女は私にスマホの画面を向ける。そこには不細工な顔で歌う私の姿がある。
「ふぁ!?だ、だめです!」
「どうしてですか?」
「ほら、世間に見せるなんてむり!!恥ずかしい……」
「そんなこと言って。多分もう他の人もアップしているんじゃないですか?」
「ええ!?」
このスマホ全盛期の世の中で、こんな行動をしていれば、SNSに動画をあげる人もいるだろう。
それでなくても私は全くその事に触れて来なかったのだ。ネット上に私の姿が晒されるのも時間の問題だ。
「それなら、こっちから動画を上げて世間に音愛さんの歌を広めた方がいいんじゃないですか?」
「それは……」
一人では考えられない。片桐さんの姿を探す。
だけど、見当たらない……。
いつからいないのだろう?
必死に彼の姿を探してみるが、やはりいない。
「ネットに上がるのが嫌なら、うちで一緒にやらないか?」
「えっ?」
不意に片桐さんとは違う男性の声がし、私がその方向を見る。
そこにはいかにもバンドをやっています、と言う様な格好をしたイケメンが立っていた。
「急に声をかけてごめんね。君の歌を聴いて、声をかける瞬間を待ってたんだ」
「えっ、あの、その……」
私は彼の発言に不審者を見る様な視線を浮かべる。
何度も言うが、私は人見知りの喪女なのだ。
知らない男性に声をかけられて身構えない訳がない。
彼もその視線を感じ、頭を掻きながら話を続ける。
「いや、怪しいものじゃないんだ。ソロで活動してる様だし、不安なら俺のグループで一緒に歌を歌わないかと思ってな」
と言って、上着のポケットから何かを探す。
そして財布を取り出すと、お札入れから何かを差し出してくる。
その手にあったのは一枚のチケットだ。
そこにはバンド名が数組書かれており、その一つを、彼は指差す。
「俺は沙慈……。freedというバンドでギターをやっているんだが、最近ボーカルが抜けちゃってね。そこで新しいボーカルに君を推したいと思ったんだ」
「えっ、ほんとですか?freedって、メジャーデビュー間近なバンドじゃないですか?」
音楽に詳しいのか、ミーハーなのかは分からないけど、女性は興奮気味に言う。
音楽業界に疎い私は言っている事がちんぷんかんぷんだ。
「うちを知ってくれてるなんて、光栄だ。そうなんだ。メジャーデビュー間近だったんだが、前のボーカルではメジャーで生き残れるとは思えなくてね。だけど君なら……、そう直感してね。どうだい?君は歌えるし、俺たちはメジャーデビューができる。いい話だと思わないか?」
「やったじゃないですか?歌手になれるかもしれないですよ?」
「…………」
彼の言葉に女性は興奮を抑えられないようだけど、私は悩んでしまう。
上手い話だ。いや、上手い話すぎるのだ。
歌手になりたい私にはチャンスなのだが、たった一回の歌で私をスカウトするなんて早計だ。
メジャーを目指す彼が私みたいな女をスカウトしてなんの得があるのだろう。私くらいの女はいくらでもいる。
歌でも、外見でも……だ。
じゃあ、他の可能性……、私を騙す事についても考えるが、それこそメリットはない。
自分からメジャーデビュー目前だと豪語しているのだ。騙すリスクとそれを天秤にかけると、リスクを選ぶはずもない。
ならば本当に……。
「考えさせてください……」
「えっ?」
「…………」
私の言葉に女性は驚き、沙慈と名乗る青年は黙る。
この話が歌手になる為の近道だとしても、私が彼を信用出来るかは別問題だ。
もちろん淡い夢だとしても、歌手にはなりたい。だけど、彼の一言に不安が過ったのだ。
ボーカルを変える事が、彼には出来るのだ。
それはメジャーデビュー目前でもだ。
そんな彼が私をスカウトしたところで、使い物にならなければ捨てる……。それくらいのことはしそうだと、私の直感が言っているのだ。
「スカウトの話はありがたいんですが、私はあなた方のことを知りませんし、あなた方も私のことを知りませんよね?」
「……ああ」
「なら一朝一夕で決めれる事じゃないと思うんです」
真剣な表情で私がいうと、彼は下を向きながら頭をかく。そして笑いながら「そりゃそうだ」と言い、こちらを見る。
そして手に持っていたチケットを私に手渡してくる。
「これは君にあげるよ。日曜日、そこのライブハウスで行われるライブのチケットだ。もし、考えが決まったり、俺のバンドに興味が出たら来てくれると嬉しい。じゃあ、これで……」
そう言って、彼は私に背を向ける。
その背中に、私は「あの……」と声をかける。
「最後の歌は……、どうでしたか?」
私がそう尋ねると、彼は足を止める。
「あぁ、あれはよかったよ。君の想いが詰まっている……。そんな気がした」
私はその言葉に安堵する。
「だが……売れる、売れないは別問題だ。その曲は……、古臭い」
そう言い終わると、彼は足早に夜の闇に溶けていく。
「何、あの人……」
「…………」
「まぁ、あの人の言葉気にしないでいいんじゃないですか?なんか胡散臭いですし」
女性の言葉に、私は頷く。
好きな歌を古臭いと言われたのはショックだったが、当然と言えば当然だ。
5年前にアングラの片隅に生まれた曲だ。商業的に売れないのはその通りだ。だけど、私の歌はこの曲に作られているのだ。それを古臭いと言われるのは嬉しくはない。
「……もし、次にライブをする時があれば、教えてもらえません?」
そう言って、女性はおずおずとスマホを取り出す。
「えっと……、いつやるとか、急に決まったりするかもしれないですけど、それでもいいですか?」
そう言うと、彼女はコクコクと頷く。
こうして私の歌を好きになってくれた女の子、鹿狩リカと連絡先を交換して、分かれた。
「ふぅ……」
怒涛の出来事に、私はため息をつく。
なんか今日一日でどっと疲れた。
お姉ちゃんの話を聞いて、明日の話を聞いて、初めて雨の降らない中で歌を歌い、聞いてくれる人がいて、バンドにスカウトされる。
そんな怒涛の流れに翻弄され、疲れない訳がない。それなのに……。
「お疲れ様」
片付けをしている私の後ろから、片桐さんが声をかけてくる。その声に私は驚き、ひゃあ!!と声をあげる。
「え、あ、驚かせてごめん……」
「か、か、片桐さん、どこ行ってたんですか」
驚き跳ね上がる鼓動を落ちつけながら私が問い詰める。
「……いや、水を買いに行って戻ってきたら、人がたくさん集まってたから、少し離れた場所から見てたんだ」
「それならそうと言ってくださいよね!!」
そう言ってペットボトルの水をこちらに差し出してくる彼の手から、それを受け取る。そして文句を言いながら蓋を開けて、グビっと冷えた水を流し込む。
不安だったんですから!!
その言葉と一緒に……。
「ぷはぁー」
片桐のくれた水が緊張と喉の渇きから私を解放する。そんな私の様子を彼はただ見ていた。
そして、私たちは帰り支度を再開する。
「片桐さん。今日、人、集まりましたね」
「ああ……」
「片桐さん。今日、私の歌を気に入ってくれた人ができました」
「見てたよ……」
「片桐さん……。私、バンドにスカウトされました」
「……そうか」
短い会話の応酬が私達の間で繰り広げられる。
片桐さんは多くは語らない。
「片桐さん……。どうしたらいいですか?」
「…………」
「片桐さん、答えてくださいよ」
「好きにしたらいいと思うが?」
「片桐さん……、私、行っちゃいますよ?」
「…………」
「…………」
二人の間にこれ以上、言葉はなかった。
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