Track-7.part A: もう少しだけ
新歓の翌日、仕事を終えた私たちはいつもの場所で話をしていた。新歓の二次会の後の片桐さんとお姉ちゃんの行動が気になったからだ。
「へぇ〜。そんな事があったんですか?」
「あぁ、大変だったよ」
「まぁ……、そうですね」
「君のお父さんは……いつもあんな感じなのか?」
「……ははは」
キーボードを準備しながら話を聞く私に、彼は少しうんざりとした口調で話す。その話に苦笑を浮かべながら、私はどこか違和感を覚える。
飲み会の帰りに先輩方に囚われた私は、姉との関係やお姉ちゃんの事を根掘り葉掘りされていた頃、片桐さんはお姉ちゃんを連れて帰った。
最初は私の実家を目指したらしいけど姉ちゃんの家の住所を知らない。
困り果てた彼が私に住所をLINEで尋ねて、どうにか私の実家まで姉を送った。が、運悪く迎え入れたのはお姉ちゃんを父さんだった。
お姉ちゃんを溺愛するお父さんだ、通常であれば彼をなぶり殺しにしてももおかしくない状況。
なのに彼はお父さんに許され、それどころか酒盛りまでされたらしい。
彼をしっているとか、気に入ったと言うならわかるが、残念ながら初対面だ。それなのに酔っている姉を見てお父さんが怒らないはずがない……。その違和感が脳裏に焼き付く。
が、話をしているうちにキーワードの準備が終わる。頭を切り替え、私はキーボードの前に立つ。
目の前にはいつものように雨が降る。
その視界の端に片桐さんがいるのだが、今日は何やら私の近くで何かごそごそしている。
「何してるんですか?」
「あぁ、ちょっとね……」
と言って、会社では見なかった大きな袋から何かを取り出す。それは小さめのアンプとヘッドセットだった。それを手際よくセットする。
「ど、どうしたんですか、それ?」
「ん?あぁ……、必要だと思って持ってきた。昨日のカラオケでの君を見てね」
「……えっ?買ったんですか?」
小さいとはいえ、高価そうなアンプに驚き戸惑う私に、彼はまさかと笑う。
そりゃそうだ……。
昨日の今日で準備ができる代物じゃない。
それでなくても私より早く出社し、私を教えながら仕事をこなす。そして私より遅く帰る。
そんな1日の中で買いに行く暇などないのだ。
だが、彼はそれを用意してきた。
それが何を示すのか?それは彼が持参し、駅にあるロッカーに置いていた……。それしか考えられない。
では、なぜ彼が持っていたのだろうか?
もしかしたら、彼も音楽を昔やっていた。そう考えるのが妥当だ。
だが、どうしてその事を教えてくれないのだろう……疑問が疑問を生む。
「昔、姉が使っていたやつだ……。たまたまうちにあったから持ってきたんだ」
「そうなんですか。お姉さんも歌を歌われてたんですか?」
「……あぁ」
「一度お会いしてみたいです。なんの楽器をされてたんですか?」
「さぁ?見た事ないからわからないよ」
私が会った事のないお姉さんの話を聞くと、あっさりと切る。
そして、「それより……」と言って、ヘッドセットを手に取り私に近づいてくる。いつも見ている片桐さんが夜の闇に街灯の灯りにより浮かび上がる。いつもの距離よりも近い距離に。
……どき。
キーボードを隔ててはいるものの、その距離に私の鼓動が高くなる。そして、ヘッドセットを持った手が私に近づいてくる。
その手が私の長い髪に触れ、ヘッドセットが付けられる。その長くて大きな指が、私の髪に触るたびに、その鼓動は早くなる。
近いのだ、彼の声が、手が……顔が。
「すまん、髪をまとめて……」
「へっ?ひゃい!!」
真剣な表情をした彼から放たれた言葉に驚き、声が裏返る。
そんな間抜けな自分に情けなくなりながら、言われた通りに後ろ手に髪をまとめる。
彼はヘッドセットのコードを私の耳元から引っ張ると私から遠ざかり、アンプにつなぐ。
その様子に私はホッとする。
男性がこんな近くにくる事なんて生まれて初めてだ。高鳴る胸の鼓動が収まらない。
だけど……もう少しだけと思ってしまう自分もいた。そんな私の気持ちなど彼は知らない。
ただ黙々とアンプの準備をしながら、何が思い出したかのように言葉を放つ。
「……そういえば、明日、雪吹さんとご飯を食べに行く事になったんだ」
「えっ?」
彼から出た言葉に驚き、高鳴っていた鼓動が急に止まる。明日は土曜日で、休みなのだ。
「昨日のお詫びだってさ……。別に気にしなくていいのに」
「へ、へえ〜。行くんですか?」
「ん?ああ」
「……何時から?」
「昼くらいから」
その言葉に息をするのも忘れてしまう。
仕事の後ではない……、プライベートでの食事なのだ。それじゃあ、まるでデートだ。
さっきまで感じていた緊張とは別の感情が胸に生まれてくる。お姉ちゃんが動き出したと言う事実に、それを受けてしまった彼。そしてそれを止める術を知らない私。
今、彼が気になってしまっているのは自分でも分かる。だからと言って、彼を引き止めるのも違う。
お姉ちゃんにしてもそうだ。本当に彼が好きなのかはわからない。周りから好意がダダ漏れだと思われていても、違うかもしれないのだ。
『……ずっと、好きだった人にすらまともに話せない。やっと忘れたと思ったのに』
お姉ちゃんの言葉が喉に刺さった魚の骨の様に頭の隅から離れないのだ。
彼にしてもお姉ちゃんに上司と部下の信頼以上のものは無さそうにも思えてしまう。
嫉妬と不安と楽観が胸中に膨らんでしまい、「……そうなんですか」としか言えなかった。
ぐちゃぐちゃな気持ちを抱えた私を他所に、彼はアンプの電源を入れ、グリグリと音量などのつまみをいじる。
ボーっと言う音と共に私の息遣いがアンプから聞こえる。
「よし……、調整するから何がしゃべってくれ」
「は、はい……」
アンプから少し大きくなった私の声がする。
それを聴くと、彼はまた何やらいじる。
「じゃあ、次はキーボードを弾いてくれるか?」
「はい!!」
彼に言われた様に、キーボードの鍵盤を叩く。
それを聴くと、彼はアンプをキーボードの下に運ぶ。
「じゃあ、次はいつもと同じ様に発声練習してくれるか?」
彼の指示に私はこくりとうなづき、いつものルーティンを行う。だけどいつもと違うアンプにより増幅された声が周囲に響き渡る。
それを聴きながら、彼は音量を調節したり、百貨店の方に行ったりとうろうろしている。
それを見ながら、私は気分を切り替える。
不安を抱いても仕方ないのだ。
今は歌を歌う……。
嫉妬や不安も音に乗せて歌えばいい。
今までそうしてきた様に……。
そう考えながら声を出す。
すると彼が小さくうなづく。
……準備ができたのだろう。
その視線に私も鍵盤を叩く手を止めて、頷き返す。
そして一息、大きく息を吸うと、正面を見る。
「あっ……」
ふと、視線の先にさっきまでチラチラしていたものが……、雨が止んでいる事に気がつく。
路上ライブを始めて、初めて雨が止んだのだ。
この初めての状況に驚きながらも、私は鍵盤を叩き始める。軽快な音がキーボードから流れると普段は足を止めない人が一人、また一人と足を止める。
今までにない状況が立て続けに起きているのだ。その状況に困惑する。
が、私は覚悟を決める。
この人達が、私の歌を聞くも聞かないも私次第だ。
弱い自分を振り払うと、私は思いっきり声を上げる。その声がマイクが拾い、アンプを通じて周囲に拡散する。
一音、一音を大事に歌いながら周囲の状況を見るが、誰もその場を離れるものはなく、私の歌に耳を傾けている。
それが分かった瞬間、私は嬉しくなりますます調子を上げる。それがピアノに伝わり、ますますリズムに乗る。
道ゆく人達が次々に足を止め、中には小さく手拍子を叩くものが出てきた。
もっと、もっと私の歌を!!
湧き上がってくるアドレナリンが、さっきまでの不安を一蹴する。
2曲、3曲と歌っている中で、私はある事に気がつかなかった。
片桐奏人が、その場に居なくなっていた事に。
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