Track-6.part A 浪漫

ジャーン。

私を現実へと引き戻した歌の最後の音が鳴り終わる。その音は私にとってはまさに処刑用BGMだ。


彼女の歌に、まだ鳥肌が立ってしまっている。

本来ならお姉ちゃんの方が歌は上手いのだ。


だけど、お姉ちゃんは歌う事が嫌いだ。だから彼女の歌を私は近年聞いた事がなかった。が、それでもなお、お姉ちゃんの方が歌に力を感じてしまうのだ。


ある一点を除いては……。

再び、カラオケに似つかわしくない無音が室内に充満する。


それを知らぬが如くお姉ちゃんはマイクを置く。


「……すごい。雪吹さんも歌が上手いんですね」


「水鏡さんと同じ……、いや、それ以上に上手かったです!!」

聴衆たちの感想が、次々に湧き上がる。


その声に、私の心はズキっと痛みを覚えた。

私の憧れの人であり、最大のコンプレックスである姉への賛美が、私に向かないことへの嫉妬だった。


「……だけど、あなたの歌には感情がないわ」

お姉ちゃんを敵視している先輩が悔しさなのか、姉にそう告げる。


そう、姉の歌に足りないものは感情だった。

歌う声量や技術に関しては、そこいらの歌手の比ではないのだが、いかんせん歌の歌詞に思い入れ……、感情がないのだ。


「それはそうよ。歌に感情なんて込めるなんて愚かな事はしないわ。歌は……、技術次第でなんとでもなるわ」

珍しく、お姉ちゃんが雄弁に語る。それを先輩は鼻で笑う。


「ふん。じゃあ、世に出ている歌手の全てが技術だけで歌っていると言いたそうね。それなら機械が歌ってるようなものじゃない」


「…………」


「だからか?なんの感情もなく、上手く上に取り入れる訳だ」

先輩の言葉が鋭い凶器のようにお姉ちゃんに対して突き刺さる。それを聞いたお姉ちゃんはただ、黙っているだけで、身動き一つ取らない。


先輩がどうしてお姉ちゃんに対してここまで敵意を剥き出しにするのか、私には分からなかった。


「もうやめなよ……」

あまりのいい方に、もうひとりの先輩が仲裁に入る。が、その最中に目に飛び込んできたものに私は大声で叫ぶ。


「あ、お姉ちゃん!!だめー!!」


そう叫んだ先に見えたのは、あるものに手を伸ばしたお姉ちゃんだった。


もちろんカラオケボックスに凶器なんてない。あるのはマイクかジュースか、飲みかけのお酒だけだった。


お姉ちゃんは中の一つ……、お酒を手に取ったかと思うと、私の叫び虚しく一気に口に流し込む。


それを見た私は、あちゃー。と、頭を抱える。


お姉ちゃんは究極にお酒がダメな人なのだ。

それがアルコール度数の低いものでも……だ。


ゴク、ゴクと喉を鳴らし、お酒を煽ったお姉ちゃんがぷはーっと息を漏らしてコップをテーブルに叩きつける。


すると、しばらく黙ったまま下を向く。心配になった私は彼女の近くに駆け寄り、「……お姉ちゃん?」と声をかける。


すると、さっきまで俯いていた姉がゆっくりと顔を上げる。その目は酔いが回ったのか座っている。


だが次の瞬間、私のほっぺたに手を当てて横に引っ張り始めるじゃない……。


「いたい、いたいよ!!お姉ちゃん!!」

力強く頬を引っ張られた私は必死にお姉ちゃんに訴えるが、一向に離す事はなく怒声を上げる。


「くぉうら、あんた!!会社でお姉ちゃんって言うなって言ってだでしょ!!」


「ごめん、ごめんって!!謝るから離してよ、お姉ちゃん!!」

突然始まった姉妹喧嘩に、周囲はただ呆然とそのやりとりを見ている。


「……姉妹だったんだ」

ある一人が驚きの声をだすと、私の頬を引っ張っていたお姉ちゃんは急に手を離し、キッと天敵を睨む。


「……な、何よ!?」

睨まれた天敵先輩はその視線に少し狼狽える。


「……何が感情がないよ?何が上に取り入ったよ?何がヤリマンよ!!」

普段から溜まっていたストレスを解消するように、お姉ちゃんは大声を上げる。まぁ、そこまでは許容範囲だ。


だが、次の発言で周囲はざわめく事になる。


「私はヤリマンじゃない!!バージンすら捧げてないわ!!一緒にしないで!!」


……うわぁ、身内の性事情なんて知りたくなかったぁ。てか、姉妹揃って男性経歴皆無って、悲しくなってくる。


周りもその発言にドン引きしている。


だが、このカミングアウトはお姉ちゃんの周囲との軋轢を緩和させる事につながるのだ。


今にも泣きそうな顔をしたお姉ちゃんが俯く。


「そんな事が出来たら苦労しない。そんな事が出来たらこんな思いはしてないよ」

そう言ったお姉ちゃんは一瞬ちらりと片桐さんを見ると、すぐに視線を落とし話を続ける。


その一瞬が分かった私もちらりと片桐さんを見る。彼も姉をどこか心配そうに見ていた。


「……ずっと、好きだった人にすらまともに話せない。やっと忘れたと思ったのに」

そう言ったお姉ちゃんはスンスンと鼻を鳴らす。


その様子に、周囲の人は頭を掻いたりとどこか罰の悪そうな雰囲気だ。


「……何よ」

天敵先輩もその空気を感じ取り、不服めいた表情をするが、「あーっ」と頭を掻いて呟くように「悪かったわね」と謝る。


だが、その声にお姉ちゃんは反応しない。

だが。しばしの沈黙ののちに、お姉ちゃんはポツリと呟く。


「音愛……」


「何?お姉ちゃん……」


「気持ち悪い……」

赤から白へと顔色を変えた姉の発言に、私だけじゃなく周囲も焦りの色を見せる。


「す、すぐ……といれに!!」

そう言うと、私はお姉ちゃんの肩を持つ。


小さく軽い体が力無く立ち上がり、その体を支えながら、私は姉をトイレへと連れて行く。


部屋を出ようとする刹那、片桐さんの横を通り過ぎる。その顔はまだ、お姉ちゃんを心配している……、そんな表情だった。


やっとの思いで姉をトイレの個室へと放り込む。そしてしばらく外で待つ。その間に、私はお姉ちゃんの言葉を思い返す。


さっきの言葉では、お姉ちゃんの好きな人は片桐さんじゃない。そう思えてしまう。だが、姉の見せる片桐さんの態度がその可能性を押し下げてしまうのだ。


私はトイレの前の壁にコツンと頭をつける。


「お姉ちゃんの好きな人って、誰なんだろう」

そう呟いて、お姉ちゃんが出てくるのを待った。


「ちょっと……、まだぁ〜?」

30分後、未だにトイレから出てこないお姉ちゃんに痺れを切らした私はトイレの個室のドアを叩く。


だけど個室からは返事の一つもない。

仕方なく個室の扉を押すと、鍵が閉まっておらず、中へと入る事が出来た。


……が、そこにはトイレへもたれかかったお姉ちゃんが小さな寝息をたてて寝ていたのは言うまでもない。


「はぁ……」

私は大きなため息をつき、お姉ちゃんを抱えて自分達にあてがわれた部屋に戻る。


……とんだ歓迎会だ。

私の気も知らず、呑気に眠る姉を見て苛立ちを覚えながらも、部屋へと続く通路へと差しかかる。


〜♪

不意に私の耳にどこかの部屋から漏れる歌が聞こえる。どこかで……、いやいつも聞いている声だ。


私は早足で廊下を急ぐが、いかんせん姉を抱えての歩行だ。早く動けない……。


そうこうしているうちに歌は終わり、他の部屋の歌が聞こえるようになる。


はぁ……。

気のせいかもしれないと、ため息をつく。


こんな所に……、いや、どこにいるかも分からない、あの歌の作曲者なはずがない。そう思い直し、私は部屋へと急ぐ。


部屋の前に立ち、ドアを開けると、今し方歌が終わったであろう光景だった。


「あっ、水鏡さん。おかえり」


「ただいま戻りました」


「あれ……、雪吹さん?ねちゃったの?」


「はい……」

先程まで悪かった空気が嘘のように、お姉ちゃんに優しく対応する先輩方……。


憐んでいるのか、同調してくれているのかは分からないが、私と一緒にお姉ちゃんをソファーに横にしてくれる。


「お酒……弱いのね?」


「はい。ジュースレベルのアルコールでもこれですから……」


「そっか……」

先輩の言葉に私は苦笑を浮かべる。


「……それより、歌ってなかったんですか?」


「えっ?そんな事ないよ?待ってたけど、いつまで待っても帰ってこないから、さっきまで片桐くんが歌ってたところ」

その言葉に、私はさっき聞いた声を思い浮かべる。


もしかしたら。そんな気持ちが湧き上がるが、すぐに思考を切り替える。


……まさか、ね。


1億数千万分の一の確率だ。ありえない。

だが、脳裏浮かぶのは彼の最初の涙だ。


「あの……」

藁をも掴む思いで片桐さんに声をかける……が、その声はとある一言にかき消されてしまう。


「はい。じゃあ、二人が戻ってきたので、今日は解散しましょう」

お姉ちゃんの代わりに他の先輩が場を仕切る。

その言葉に機を逸す。


まぁ、焦らなくてもまだ話をする機会はある。

そう思い直すが、その見立ては甘かった。


「じゃあ、解散!!という事で、片桐くんは雪吹さんを送ってあげてね」


「「えっ?」」

その言葉に私はおろか、片桐さんも戸惑いの声を上げる。


「えっ、いや、私が……」


「何言ってるの?あなたはこの後、付き合ってもらうからね」

先輩はそう言うと、私にウィンクする。


その視線は、野暮な事を言わせないでと言われているようだった。


社内でも噂になるくらい分かりやすいのだ。

彼女達も気を回しているのだろう。


とはいえ、彼に一任する訳にもいかないのだ。

ないとは思いたいが、片桐さんが送り狼になる姿は見たくないのだ。


だが先輩達はそんな気も知らず、私の腕を引く。


「じゃあ、片桐くん。ここは私達が払っとくから、雪吹さんをよ、ろ、し、く、ね♪」

と言って、私を拉致して行ったのだった。


その後、ファミレスへ移動した私達は雪吹遥歌についての話を延々と話していた。


だが、私はどこか、ヤキモキしていた。

スマホの着信音に気づくまでは……。









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