Track-6.part A 浪漫
私は憧れを抱いている人は3人いる。
そのうちの1人は私を救ってくれたあの人。
そしてもう1人はお姉ちゃんだ。
私の中でお姉ちゃんは完璧な人……というイメージが幼い頃から染み付いている。自分を持ち、人に左右されない強さとそれを根拠にできるほどの行動力がある。
だから他者にも完璧を求めすぎる傾向が見られるせいで、唯我独尊の様にも見えるのだ。
それをよく思わない人間は沢山いる。
だからこうして一緒に働いていると、彼女の欠点が浮き彫りになってくるのだ。
だけど、それ以上に驚いた事がもう一つある。
それはお姉ちゃんがその姿勢とは裏腹に誰かに頼りたがっている節がある。
その相手が片桐さんだと言う事は、なんとなく理解はできた。だけど、そんな姉が意中の人である片桐さんの一言で、普段では考えられない行動を取ったのだ。
それは会社で行われた私の新歓の二次会……カラオケに行く流れになったのだけど、そこに彼女も参加すると言い出したのだ。
その発言に会社の先輩たちも驚きを隠せない様だったが、一番驚いたのは私かもしれない。
それはお姉ちゃんが大のカラオケ嫌いという事だった。
※
「ねぇ、何歌う〜?」
「最近流行りのジュディーとか?」
「いいね!!歌お、歌おう!!」
先輩方が何を歌うかはしゃいでいる中で、私達3人は気まずい空気を醸し出していた。
カラオケと言う空間が苦手な私とカラオケが嫌いなお姉ちゃん。その環境を作った片桐さんと3人が現場に乗り切れていないのだ。
一人、また一人と歌を歌う中で、先輩方の会話はよく聞こえない。だけど、そんな中でも小声でボソボソと姉ちゃんの悪口が聞こえる。
「……なんできたのかしら?」
「片桐くんがいるからじゃない?」
「……最近、新人に構ってばっかだから妬いてるのよ、きっと」
人生の中で今までに感じた事のない悪意が部屋中に混在する。
その居心地の悪さに私は既に帰りたい。
どうして片桐さんはこんな所にお姉ちゃんを連れてきたのだろう。
チラチラとお姉ちゃんを見ると、歌に乗るわけでもなく、ただ不機嫌そうにモニターを眺めている。
こちらとしてはいつ連中が爆発するか気が気ではない。
「次、水鏡さんの番だよ」
「ひゃ、ひゃい!!」
先輩が、私の名前を呼ぶ。姉ばかり意識していた私は驚き、発した声が裏返る。
その驚き様に、先輩も驚き固まってしまい、周囲の視線が私に集まる。「すいません、すいません」と謝罪しながら、動転した心を落ちつかせていると、その先輩が目を丸くしながら語りかけてくる。
「びっくりした〜。どうしたの?」
「え、あ……。えーっと、この場に慣れてなくて……」
ははっ……と笑みを浮かべながら言うと、先輩は電子目次を私の前に置き、話を続ける。
「そうなんだ……。でも大丈夫だよ?みんな聞いてるようで聞いてないから」
その言葉に、私は黙り込む。
高望みかもしれないけど、私はその光景を望んでいない。私の歌を聞いて欲しいのだ。
だがそれを強いるべきではない。私の歌で周囲を認めさせたいのだ。それにはこんな場所じゃダメなんだ……。
自分の中に眠る欲とプライドが虚栄を張る。
それと同時にネガティブな自分が顔を出す。
「……どうしたの?」
「えっ?あ、何を歌えばいいのかなって……」
「うーん。流行りの歌とかじゃない?みんな知ってる曲とかなら聞いてくれるよ」
「それが分からなくって……」
「じゃあ、この歌は?」
先輩が何曲か歌をピックアップする。
聞いた事のある曲はあるけど、最後まで知らない歌ばかりだ。そうやって探しているうちに私の前に歌っていた人の曲が終わり、周囲が静かになる。
「えっ、あっ?」
自分の順番が来た事に焦り、私は適当に知っている曲を選ぶ。
私が知っている歌の中では一番盛り上がる歌だ。一時期、YouTube上でその歌に合わせてダンスを踊る動画が流行ったやつだ。
曲を選び終えると、モニターに曲の題名が映し出され、画面が切り替わる。
そして題名と共に歌が始まった。
……すぅ。
いつもとは違う閉鎖した空間に、沢山の人。
緊張はしてしまうが深呼吸をして心を落ちつかせる。
じゃーん。
イントロのない歌に、ピアノの音が始まりを告げる。
声を出す……。
スピーカーから流れてくる曲に合わせて、声を出す。が、いつものように声が出ない。
自分でピアノを弾いている時の様なスイッチが入っていないのだ。それが分かっているから、もっとお腹を意識して声を出す。
すると、周囲にいる人の視線を感じてしまう。
それは他者の歌に関心を持たない人たちの視線だ。
……下手だったらどうしよう。うるさかったらどうしよう。
路上で歌っている割にはチキンな自分の心臓が悲鳴を上げる。だけど……、彼女たちはモニターやスマホなどを見る事はなく、まるで呆気に取られたかの様に彼女達は私を見ているのだ。
それが分かった途端に、その不安は消える。
……私の歌を聞け!!
脳内から分泌されるアドレナリンが音に乗って流れる。その旋律(ながれ)に心の奥底にある願いを込めて歌う。
その音に、先輩たちは一人……、また一人と手を叩き、私の放つ声に乗る。それはここがまるでライブ会場の様だった。
そんな様子を片桐さんはただ見守り、お姉ちゃんはつまらなそうな顔のまま、横目でその様子を見ていた。
歌も終盤に差し掛かり、私も徐々に調子を上げていく。今すぐにでも路上に出て歌いたい。そんな思いまで生まれてくる。
だが、楽しい時間は歌の様に短い……。
この注目も歌を終えてしまうと、日常(飲み会)に戻るのだ。
名残惜しさを感じながら、私は最後まで歌い切る。しーんと、カラオケの部屋の中に静寂。
歌い切った疲れと、どこか物足りない思いを抱える私だった。が、先輩方は少しずつ我に返ってくる。
「……何かやってた?」
不意に私に電子目次を手渡してきた先輩が言う。
「……いえ。ピアノを弾いてきただけです」
「それだけ?」
「はい……」
「上手だねー。バンドとかやってるかと思った」
私の言葉に先輩は驚きの顔でいう。
その言葉に私は冷や汗をかく。
お姉ちゃんの前で路上ライブをやっているとは言えないのだ。
「私も驚いたよ。会社では地味な子だと思ってたのに、意外な才能があるんだ」
「は、はは……」
意外な才能と言われた事に悪い気はしない。だけど、自覚はしてるけど地味と言うのはどうかと……。
愛想笑いを浮かべる私をよそに、先輩方が盛り上がる。私の歌を録音して社歌に起用しようとか、CMに起用するか?など、各々に壮大な妄言を吐いている。
それに待ったを掛けた人がいた。
それは我が姉、雪吹遥歌だ。
「……そんな事できると思ってる?」
姉が発した言葉が周囲をざわつかせる。
「この子がいくら歌が上手いからって、個人を晒す様な真似を一企業がさせる訳ないじゃない」
「「…………」」
確かにそうだ。企業が一個人をCMに起用した所でなんの得になるのだろう。
私は喪女で素人なのだ。
そんな人間を起用した所で、費用対効果は出ない。むしろ企業のイメージダウンに繋がりかない。だけど、その事に対して一社員が反論する。
「それはそうですけど、彼女の歌なら何か可能性はあると思います……」
「どんな?」
「水鏡さんを起用する事で、企業の自由な発想や新しい事に挑戦している企業だってイメージを市場に与える事ができると……」
「その可能性は極めて低いわ。彼女はプロの歌手じゃない。うちからプロデュースする訳でもないのよ?だったらどうして彼女を世間の目に晒す様な真似ができるかしら?」
「素人だからこそ、彼女の歌が夢を与えてくれる。そんな個人を応援できる企業だとアピール出来れば!!」
反論した社員を中心に、周りの連中もそうだそうだ!!と同調する。
その渦中にある私はと言うと、内心でえらい事になった……と、半ば他人事だ。
私の歌を聞いてくれた人が、私を評価してくれる事は嬉しい。が、姉の言葉も正論だった。
「水鏡さんの歌は認めます。ただ、あなたたちはこの子のようにほんの小さな才能を持つ人間が次々に現れた時に、すべてを応援するつもりですか?」
「「「…………」」」
お姉ちゃんの鋭い眼光と言葉に反論していた全員が言葉をなくす。
「彼女くらいの才能を持つ人間はどこにでもいるわ。彼女一人の為に会社が何がリスクのある事をさせる訳がないわ……」
お姉ちゃんがそう言うと、お姉ちゃんを最も忌み嫌っているであろう人が電子目次を目の前に置く。
「才能、才能って……。才能がなきゃいけないの?」
「……そうね」
姉の短い一言に、私はさっきまでの情熱がすっと冷める。私くらいの人間はいくらでもいるのだ。
「人は感情を持つ生き物よ?才能だけじゃないと思うけど?私は水鏡さんの歌を楽しんで聴けたわ。それも才能じゃないかしら?」
「……そうね。じゃあ、この子の歌に市場価値があるとでも言うの?ピアノくらい、私でも弾けるわ」
びくっ……。姉の言葉に背筋が凍る。
嫌な記憶が蘇ってしまうのだ。だけど、そんな事はお構いなしに、彼女達はヒートアップする。
「へぇ……。じゃあ、歌も水鏡さんより上手いって訳ね?」と言って電子目次をお姉ちゃんに差し向ける。
「…………」
「あれだけの啖呵を切って、私たちを不快にさせたんだもの、水鏡さんよりもうまく歌えるのよね?」
「…………」
「あの……、もうやめません?せっかくの歓迎会ですし、たかがカラオケで……」
一触即発の二人の間に私は割って入る。
たかがカラオケなのだ。遊びなのだ。
それがうまかろうと、将来に関わるわけじゃない。喧嘩するほどの事ではないのだ。
だけど、お姉ちゃんは無言で電子目次を受け取ると、操作し始める。
「お、おね……。雪吹さん!?」
その様子を見た私は危うく、お姉ちゃんと言うのを飲み込む。だが、お姉ちゃんの手は止まらない。
選曲をし終えたのか、電子目次をテーブルに置き、「マイク……」と言って私に手を差し出す。
その威圧感たるや、まるで歌手になりたい私を殺しにきているようで、ゾッとする。
その証拠に、正面のモニターが曲名を映し出すのを見ると、SUZUKAの文字が映されるのだ。
SUZUKA……往年の歌姫の名前だ。
私はその文字に卒倒しそうになる。
……お姉ちゃん、本気だ。
その歌は昔、私の心を一度へし折ったことがあるのだ。
だけど選ばれた曲は勢いよく音を鳴らす。
「へぇ……、おじさんを食いものにするにはいい選曲じゃない」
先輩はそう侮蔑の言葉をぶつけるが、お姉ちゃんは意に介さない。
昔の曲だ……今に比べて長いイントロが、今か今かと歌い始めるのを待つ私たちを焦らす。
が……、イントロが終わり歌詞が画面に映し出されるのと同時に私たちは衝撃を受けてしまう。
お姉ちゃんの発した声が一寸の狂いもなく旋律に乗り、私たち耳を刺激するのだ。
私に比べ自信に満ちた声と、それを裏付ける腹式呼吸……。そして正確無比な音程で歌う声は聴くものを虜にする。その証拠に、先輩の一人が一言……溢す。
「……SUZUKAだ。声も、息継ぎも、ビブラートも」
そう語るが、決して真似をしている訳じゃない。
……そう。SUZUKAそのものなのだ。
だけど、SUZUKA本人はすでに40も後半になろうという人だから、お姉ちゃんがSUZUKAではない。
だが、その歌声はそっくりで、聴取たる私たちは驚きと共に魅了されてしまう。
その証拠に、今まで空気だった片桐さんも……その歌声に驚いているのが見て取れる。
……やっぱり、敵わないな。
片桐さんの表情に、私は複雑な気持ちになってしまう。
お姉ちゃんの実力は知っていたし、憧れでもあるのだ。だけど……彼女には足りないものがあった。
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