Track-5.part B ミスター
「……片桐くん」
「片桐くん!!」
「ねぇ、片桐くん、ちょっといい?」
翌日、私は仕事をしながら、お姉ちゃんを見ていた。
最初は緊張して周りを見る余裕なんてなかったのに、今はこうして周りを見る余裕ができできた事に自分の成長を感じる。……だけど。
ぽすん……。
「……あいた!?」
私の頭に軽く何かが当たる。
その衝撃に私はびっくりして頭上を見上げる。
そこにはファイルを持った仕事モードの片桐さんが仏頂面で私を見ていた。
「おい、ちゃんと仕事をしろよ?慣れてきたんならそろそろ残業(デスマーチ)を経験してみるか?」
「……ぶー。パワハラ〜」
「軽口が叩けるくらいに余裕か?なら、来週……」
「片桐くん!!」
お姉ちゃんの怒声にも似た声が部署に響く。
その声に呼ばれた本人は、「はーい、今行きます」と声を上げ、そして私をみる。
「集中して仕事してろよ?そろそろ1か月なんだ。ひとり立ち出来る様になってくれよ?でないと……」
彼はそう言うと、お姉ちゃんの方を見る。
その視線に釣られるように、私も彼の視線の先を追う。そこにはどこか余裕のなさげなお姉ちゃんの姿があった。
「爆発しちまうからな……」
そう言うと、彼は足早にお姉ちゃんの方に向かっていく。
「遅い!!」
「すいません。新人がぼーっとしてたんで」
彼は怒っているお姉ちゃんに対し、ヘラッと言い訳をする。
しかも、私をダシにしてだ。
するとお姉ちゃんは鋭い視線を私に向けてくる。その殺気だった視線に私は戦慄を覚え、そっとパソコンの影に隠れる。
真面目な彼女の事だ、帰ったら何を言われるか……。考えるだけで身震いする。
『……あの人は今、余裕がないのは本当だ』
昨日の片桐さんの言葉の続きを思い出す。
『あの人は前から完璧に仕事をこなそうとする。その姿勢は上の人間からは頼もしいだろう。だから出世も早い。だけど、それは同期や先輩にしてみれば、気分のいい話じゃない』
『けど、それってただのやっかみじゃ……』
『そう。人ってのは出る杭を叩きたくなるもんさ』
『そんな……』
『仕事に対するスタンスが違うんだ。だから、そのギャップに彼女は苦しんでるんだろう』
『…………』
お姉ちゃんが人一倍、頑張ろとする姿が浮かぶ。だけど、その努力は逆に同期たちとの溝を広げている事に本人は気づいていないのだ。
だから孤立し、影でありもしない噂を立てられる。その悪意を150センチくらいしかない華奢な体で必死に受け止めている。
その事を理解してくれる人が片桐さんしかいない世界で、お姉ちゃんは気づかないうちに頼っているのだ。
それは身内として理解はできる。
ただ、それだけじゃない様な気がする……。
私はパソコンの影から2人の様子を見る。
180センチ近くある身長の彼と150センチくらいしかないお姉ちゃん……凸凹の2人が、何やら話をしている。
だが、たった一言の言葉が……お姉ちゃんの気持ちを推し量る事になる。
「片桐くん……、ちょっと痩せたんじゃない?ちゃんとご飯食べてるの?」
「いや?そんなに痩せちゃいないはずですけど」
お姉ちゃんの言葉に片桐さんは自分の身体を触りながら苦笑を浮かべる。なのにお姉ちゃんの顔はどこか浮かない。
「そう。ならいいけど……」
そう言った彼女の顔はどこか彼を心配しているように見える。
その顔を見た私は、「あっ……」と、小声で口にする。多分、お姉ちゃんは彼に対し少なくとも好意を持っている。
それに対して、彼はいつも通り飄々としている。おそらく好意に気づいていないのだ。
……ホッ。
なんとなく、その事に安堵する自分がいた。
私自身、片桐奏人と言う男の事が気にならない訳じゃない。だけど、パートナーとしての気持ちなのか、バディとしての感情なのか理解できていない。
だけど、お姉ちゃんの思いは想像以上に彼を思っている事に私は気づいた。気付かされてしまった。
それは彼女の発した、「……ごめんなさい」の一言だけだった。そう言ったお姉ちゃんの顔が、何度も見た事のある、悲しげなものだった。
『心配ない、心配ないから……』
『大丈夫だって。私がお願いした人だし、あなたも……』
1か月前……、私の教育担当を説明する時の姉の曖昧な言葉がダブって見える。
……いや、それより前にも見た事がある。
あれはお姉ちゃんが高校生の時、初めて行った塾から帰ってきた時の事だ。彼女の顔が満面の笑みを浮かべ、帰ってきた事があった。
それはとても嬉しそうで、楽しそうなものだった。だけど、しばらくすると浮かない顔をする様になった。
その時の顔にそっくりなのだ。
「お姉ちゃん……、片桐さんの事が好きなんだだ」
思わず心の声が漏れる。
……ずきん。
急に私の胸に疼痛が走る。今までに感じた事のない痛みだ。
だけど、そんな私を知る事のない2人は、揃って部署から出て行ってしまう。
「見た?あの2人……」
「できてるんじゃない?」
「えー、片桐くんかわいそう」
「あんなヤリマンのどこがいいのかしら」
2人が出て行ったあと、事務所内では女性陣の下世話な会話が繰り広げられる。
……うるさい。
2人の様子を目で追いかけていた私も、モヤモヤとした感情をぶつけそうになるのを、どうにか飲み込んだ。
※
「カンパーイ!!」
……なに、この状況。
私は突然の出来事に、困惑していた。
それもそのはず。
急遽、私の歓迎会が行われたのだ。
しかも、主催はお姉ちゃんと片桐さんと言う25歳コンビという私に近い人達だ。
普通なら日取りの確認や出席の有無を事前に確認するだろう。なのにあの2人は私は当然参加するていで歓迎会を開いたのだ。
なんでだろう、釈然としない。
最近の若い子は飲み会を嫌う傾向があると言うから、慣れた頃に残業という形でサプライズ歓迎会と言う形をとったのかもしれない。
ならどうしてお姉ちゃんは教えてくれなかったのだ?片桐さんは何故意味深な言葉を並べたのか?わからなかった。
ただ言えるとすれば、他の社員と2人の間に溝があるのだ。彼を挟んで右にお姉ちゃん、左に私という形で座っては居るが、お姉ちゃんの隣はテーブルの端で誰もいないのだ。
私を中心に先輩方からの質問が四方八方から飛んでくる。お姉ちゃんはそれをただ見ているだけで、ただ黙々とご飯を食べている。
姉妹なのだ。改めて何かを聞く必要はないのだ。
「ねぇねぇ、水鏡さんは彼氏とかいないの?」
「いないですね」
「好きな人はー?」
「いませんよー」
「普段何してるの?」
「ん〜、お昼寝?」
飛んできた質問に端的に答える。
話を盛り上げるのが苦手な喪女に質問を繰り返したところで何が面白いのだろう。
それなのに先輩方はそれぞれにキャッキャと会話に花を咲かせているのだから、この人達の頭の作りがどうなっているのかが気になる。
できる事なら真似したいけど、トリプル役満は伊達じゃない。作り笑顔を浮かべるくらいしかできなかった。
「それよりー、雪吹さんは水鏡さんに質問とかないんですか?」
不意に1人の先輩がお姉ちゃんに声をかける。
その問いかけに、口の中をリスの様に膨らませたお姉ちゃんが振り向く。
……姉よ、妹から見てその顔は恥ずかしいよ。
普段のお姉ちゃんでは考えられない行動に私は頭を抱えそうになる。
一方、お姉ちゃんは急に呼び止められた事に驚き、急いで口の中の物を飲み込む。
「音……、水鏡さん。仕事は慣れた?」
「はい……」
「そう……」
他人のふりをする私たち姉妹の短いやりとりが終わる。
「え〜、それだけですか?もっと他に聞きたい事とかないんですかぁ?」
「……ないわ。仕事に慣れてくれればそれでいいから」
昔流行ったと言われるKY発言に場の空気が凍る。
「……そ、そうですか。それより水鏡さん」
箸にも棒にも触れないお姉ちゃんの態度に先輩の1人は顔を引き攣らせ、私に話を振ってくる。
おそらく私も彼女のグループに囲い込もうとしているのだろう。そんなこんなで、重い空気の中、私の新歓が終わった。
私にとって胃の痛みを覚える2時間だった。
が……しかし、私の受難はこれだけに終わらなかった。
「お疲れ様でしたぁ〜」
「お疲れ様〜」
新歓を終えた私たちはそれぞれに家路に着く。
私も早々に家に帰りたかったのだけど、そうは問屋がおろしてくれなかった。
「水鏡さん」
「はい?」
お姉ちゃんと揉めそうになった先輩が私を呼び止める。
「今から二次会するんだけど、あなたもどう?」
「えっと……」
その提案に私は答えに窮す。
会社で上手くやっていくためには断るべきでないのは理解している。だけど、なんとなく行きたくない。
お姉ちゃんとの関係もあるからだ……。
私がすがる様な目でお姉ちゃんを見るが、彼女はスルーする。
「……どこへいくんですか?」
「ん〜、カラオケ?」
出たぁ〜、二次会の十八番……。
「……わ、私、カラオケは苦手なので」
「いいじゃん、行こうよ〜。親睦を深めましょうよ〜」
しこたま飲んだのか、既に完成された酔っ払いの先輩に腕を引かれる。
ひぃー。
心の中で私が叫んでいると、私にとって救いの神が現れた。今まで空気だった片桐さんが手を挙げたのだ。
「じゃあ僕も行こうかな?」
「「!!?」」
「へぇ……」
先輩はどこか面白そうな表情で手を上げてくれた片桐さんと私を交互に見る。
「珍しいわね、あなたが私達の二次会に参加するなんて」
「まぁ、水鏡さんの教育係なんで。ね、雪吹さん?」
「えっ?ええ……」
「という事で、僕たちも参加します」
「「「ええ?」」」
彼のトンデモ発言に、私はおろか、お姉ちゃんや先輩方も驚いてしまう。
そりゃそうだ。さっきお姉ちゃんが空気を悪くしたばかりだ、空気を読むところだ。
だが彼はそれをしない。
敢えてなのか、天然なのか……。
彼の意図が分からなくなる。
私にしても、お姉ちゃんにしても二次会に参加を極力したくない……はずだ。理由は別として。
だけど、彼は何かしらの意図を持ってお姉ちゃんに声を掛けた。
……さて、お姉ちゃんはどう出てくるのだろう?おそらく彼女の答えは……。
「行くわ」
……やっぱり。
私の中で、確証が確信に変わった瞬間だった。
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