Track-5.part A ミスター
「この前は何で来なかったんですかー」
私は路上ライブの準備をしながら、傅役の片桐さんを問い詰める。
先週の路上ライブを彼はすっぽかしたからだ。
もちろんいつも来てくれる訳じゃない事は承知している。業務上遅くなる可能性がある事も同じ仕事をしているから分かっているつもりだ。
だけど急に来れなくなったのなら連絡の一本でも入れてほしいのが人情ってもんで、それすらなかったことにオコなのだ。
そんな私に、彼は申し訳げなさそうに両手を顔の前で合わせる。
「すまん、悪かった!!」
「まぁ、仕事だから仕方がない事ですけど、今度から連絡の一つくらいはしてくださいよぉ〜」
膨れっ面を浮かべる私もさすがに1週間前の出来事なので、しつこくは言わない。が、一応釘だけは刺す。
他者から見るとまるで夫婦の様な会話だが、私たちはさも自然にしている事に気がつかないのだから滑稽だ。
「……分かった」
一方、叱られた彼はまるで叱られた後の犬の様に身体を小さくしている。そんな姿を見て、私の中に再び彼を困らせたいという気持ちが湧き上がってくる。
「じゃあ、今日の晩ご飯は片桐さんの奢りで!!」
にしし、と私がいたずらな笑みを浮かべながら言うと、彼はショックを受けた表情を浮かべ、急いで財布の中身を確認する。
そして、中身があったからかホッとした表情を浮かべ、「分かった!!」と見栄をはる。
会社では決して見せる事のない喜怒哀楽の分かりやすい顔。普段はクールぶっているのか、無表情で仕事をしているのに、プライベートでは途端に表情を崩すのを見るのが楽しい。
……そうだ。今日は楽しい歌を歌おう。
準備を終えた私がいつもの様にピアノの鍵盤を叩きながら、声を上げる。そして普段とは違う歌を弾き始めた。
今日は何となく、楽しい歌が歌いたくなったのだ。
※
急に降り出した雨に、私たちはいつも歌う歩道橋の近くにあるファミレスに駆け込む。
「……やっぱり、降ってきちゃいましたね」
「ああ……。君と歌う時はいつも雨だな」
苦笑いを浮かべながら、私がいうと彼も不服そうに漏らす。
「仕方ないですよー。なんか知らないけど、私雨女なんですから」
「そうとはいえ、聞いてくれる人が少ないのは歌ってても気分が乗らないだろう?」
「ん〜、そうですね。百里の道も一歩からと言いますし……」
「だが……」
そう言いかけて片桐さんは無言になる。
私としても現状納得している訳じゃない。
ただ焦ったところで、急に人が来てくれる訳じゃないから、こうやって地道に活動出来ればいい。
……今が楽しいから。
そんな事を考えていると、ふと先週の事を思い出す。
「そうだ。先週、片桐さんが来なかった日!!」
「ん……まだ言うか?」
「にしし。それより、この前1人だけ見てくれた人がいたんですよ!!」
「へぇ……」
「言っても、ほんの一瞬足を止めてくれただけなんですけど……」
喜ぶほどの事じゃない。ほんの一瞬、足を止めてくれただけだ。それが嬉しかった。
「……また聞きに来てくれないかな。あのお姉さん」
「ふ〜ん。女の人だったんだ……」
「そうなんです!!とても綺麗で、とても出来る女って感じの人!!」
片桐さんにその人話をしながら、彼女の印象を思い出す。
私やお姉ちゃんと歳が近そうなのに、ビジネススーツを着こなした姿は凛としていて、どこかの会社のお偉いさんの様な佇まい。
なのにどこか寂しげな視線で私を見つめる姿が、既視感を覚える。
「……お姉ちゃんみたい」
ふと、いつかの姉の姿が浮かび上がり、無意識に口に出す。あの人とお姉ちゃんが似ている訳じゃないのに、だ。
「へぇ〜。お姉ちゃんがいるんだ」
私の呟きを片桐さんは聞き逃さなかった。
「……えっ?」
「お姉さんいるんだろ?」
「は、はい……」
まだ片桐さんは知らないのだ。私と雪吹遥歌が姉妹だと言う事を。
片桐さんになら言ってもいいのかもしれないけど、お姉ちゃんに言うなと言われているからいい出せないまま、今日まで来ていた。
「……うちと一緒だ」
「へぇ〜。片桐さんもお姉さんがいるんですね」
「そうなんだ。姉とは言え同い年なんだけどな」
「えっ?双子ですか?」
「違う違う。姉は4月に生まれて、俺が3月に生まれたんだ。だから双子ではないんだ」
「そうなんですか。けど、いいですね。兄弟がいるって……」
「いやいや、いるだけでめんどくさいぞ!?同い年なのにちょっと生まれるのが早かったからってだけで先輩気取られる方の身になれってんだ」
私の言葉に姉の悪逆差を思い出したのか、拳を
握る。だが、彼は私の言葉に違和感を感じたのか、「あれ?」と声を上げる。
「さっきお姉ちゃんがいるって言ってなかったか?」
「……はい、居ますよ。だけど、義理なんで」
「すまん」
私の言葉に彼は突然謝りだす。
「いえ、大丈夫ですよ。昔から仲の良くしてもらってましたし、10年近く一緒に過ごしてましたから」
「……そうか」
「ただ、お節介なんですよ。私には私の生き方があるのに、自分の考えを押し付けちゃってくれちゃって!!」
片桐さん同様に、お姉ちゃんに対して苛立ちが芽生えてくる。私が5歳、彼女が10歳の時からの付き合いだ。不満がない訳じゃない。
「受験の時も、大学も、就職も口出してくれちゃって!!私は音楽がやりたいの。歌を歌いたいの!!それを否定して、就職させて!!同じ会社なのに片桐さんに投げっぱなしで!!」
今まで溜まりに溜まった不満が爆発する。
こんな感情を優華以外に他人にぶつけるなんて初めてだ。だが、それを聞いた片桐さんが、「何?」と言う。
……しまった。
彼の言葉に私は後悔する。
姉に固く口止めされていた事を忘れ、いとも簡単に口にしてしまった事を。
「その口ぶりだとお姉さんは同じ職場の様に聞こえるけど」
「…………」
是非も無し。沈黙が答えを示してしまう。
お姉ちゃんには秘密にしてほしいと言われたけど、彼になら話をしてもいい気はする。
私が頭を抱えていると、片桐さんはしばらく私の様子を見てため息をつく。
「……何が事情があるなら、詮索はしないが?」
その言葉に私はゆっくりと頷く。
大した理由はないのに、話せない事がどこかもどかしい。
だが、そんな悩みを抱えている私を見透かしたように、彼は事の本質をつく。
「そういえば、最近雪吹さんが忙しそうなんだ……」
「えっ?」
「新しいプロジェクトが始まる訳じゃない。それなのに、あの人の帰りが最近遅いんだ」
彼はそう言いながら私をチラ見し、話を続ける。
「君は何が知っているかい?」
仕事モードに変わった彼の目が真剣なものへと変わり、その視線に私は首を横に振る。
お姉ちゃんがいつも忙しそうにしているのは何となくわかる。
ただ……。
「あの人の事だ。他の人は頼りにならないからと言って仕事の配分を偏らせている様に思う」
大きなため息をつきながら、彼はお姉ちゃんの欠点をつく事を言う。
あの人ならやりかねない……。
そう思うと私は「お姉ちゃん……」と溢し、ため息をついてしまう。
その姿を見た片桐さんは、「やっぱり……」と言いながらニヤリと笑う。それはさも分かっていましたよ、と言わんばかりの顔だ。
……やられた。
彼の誘導尋問に釣られ、姉の正体をバラしてしまった私は天を仰ぐ。
いずれはどこかでバレる事なので、気付かれた事は100歩譲って良しとしよう。だけど、こうも簡単にバレたことに対し、お姉ちゃんの怒る姿を想像すると身の毛がよだつ。
「ははっ、君も隠し事が苦手な様だ。そんな所は姉妹なんだな……」
「……意地悪」
彼の言葉に私は不貞腐れる。お姉ちゃんと似ていると言われて嬉しい様な、悲しい様な複雑な気分だ。
「けど、どうして苗字が違うんだ?」
「それは……」
今の両親がいざ籍を入れる……。そう聞かされた日のことを思い出す。
あれは15歳の時の話だ。
お母さんとおじさん……今のお父さんと一緒に暮らす様になって5年の月日が経った頃、二人が籍を入れたいといいだしたのだ。
私にとって、それは喜ばしい事だった。
今のお父さんが嫌いな訳じゃないし、お姉ちゃんと姉妹になれる事は小さな喜びだった。
それと同時に、もしお母さんが結婚してしまうと、私にとって大切なものが消えてしまう。
水鏡音愛。大好きなお父さんの名前が私から消える。そんな気がしたからだ。
現行の法律では女性は夫になる人の籍へと入る。そうなれば、自然と私も雪吹の名を……雪吹音愛になってしまう。ならなければならない。
将来的に私も結婚すればそうなるのだけど、この時の私はそれが……嫌だった。
だから泣き喚き、新しく夫婦になろう2人の未来に抵抗した。今考えれば勝手な話だ。
そこから1か月の間、私は部屋に引き篭もった。
未来も現実も考えられない。ただ、過去の美しい思い出に髪を引かれ、立ち上がれなかった。
そんな私を見て両親は籍を入れるのを躊躇った。私が納得しない以上、席を入れても互いに幸せになれないだろうと……。
だから同居は継続し、私が18歳になるのを待ち、改めて籍を入れたのだ。今考えればよく2人はこの状態で縁が切れる事なく続いたものだと思う。
もしこの時に私が良しとしていれば、もう1人兄弟姉妹が増えていたかもしれない。お母さんの女心としては……。
そんな負い目から私は出来る限り2人に反抗しようとは思わなかったし、2人もどこか私に甘かった。
だけど、その代わりにお姉ちゃんとはよく喧嘩をした事はあった。
「……と言う事があったんです」
私は私たち家族にあった出来事を片桐に話す。
それを彼は静かに聞いてくれていた。
「そうか。大変だったんだな」
「……いえ。私はただわがままを」
そう言いながら、私は泣きそうになる。
今の家族に対する負い目をなぜこの人に話したのかは分からない。ただ、彼には話せた。
そんな私の様子を見て、彼は優しい。狙ってやっているのか、天然なのかはわからないけど、相も変わらず、ポケットからハンカチを取り出し、差し出してくれる。
……雨に濡れたハンカチをだ。
今日に関しては私が傘を渡していたから、そこまでは濡れていないだろう。
だけど、いつもの様に私はそれを受け取らない。ショックを受ける顔が楽しいのだ。
予想通りの反応に、私は先程までの涙も引く。
そして、彼に話の続きをする。
「あはは。それより、私がいつも最後に歌う歌がありますよね?」
「……ああ。あったな」
私の言葉に彼は眉を顰めながら短くいう。
「あの曲はその時に聴いたんですよ?誰も知らない……、けど私を励ましてくれた歌」
「…………」
「おかしいですよね?恋愛も失恋もした事のない人間が失恋ソングで励まされるなんて」
「……いいや」
「人の受け取り方ってそれぞれですよね?ただ、彼が作って歌ったあの歌声が私を励まし、勇気をくれるんです。今、この時も……」
憧れ、羨望に似た眼差しで空を見る私に彼は小さく聞こえない声でいう。
「……そんな大したもんじゃないよ」
「えっ?何ですか?」
「いいや。それより、さっきの話に戻るんだが……」
そう言って、彼は再びお姉ちゃんの話に……戻った。
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