Track-4.part B 怪物

「へぇ〜。そんな事があったんだ」


「そうなの。まだ、私の歌を聞いてくれる人は居ないけど、その人がそばで聞いててくれるから、安心するんだ〜」

スマホの受話器越しから、親友の優華の声がする。路上ライブを始めてから、今日まであった事を私は報告する。


もちろん、親友が約束をすっぽかしたことも随所に挟みながら。それを彼女は謝りながら、楽しそうに聞いてくれる。


「で、今度こそは晴れた日に歌いに行くぞ!!って二人でいいあうんだけど、結局は雨降るんだよね〜。嫌になる」


……雨女な自分が。

そう言い始める前に、優華が口を開く。


「へぇ〜、楽しそうじゃん」


「……うん。楽しいかな?雨は嫌だけど、好きな歌を好きなだけ歌えるんだから」

一人で歌っている時は時は焦りや不安、孤独、そんな感情を抱いてしまう。


いくら好きなことはいえ……だ。


だけど、そこに彼がいてくれる。ただそれだけの事なのに、どこか安心してしまう。


一緒に歌を歌ってくれる訳じゃない。ただ私の演奏を隣で聞いてくれる事が私が路上ライブをする上でこの上ない支えになってくれている。


リターンも何もないのに……。


「えーっ、またまたぁ〜。楽しい理由はそれだけじゃないでしょ?」


「えっ?」

揶揄うような口調の優華の言葉に困惑する。


何を言ってるんだろう。

私に他意はない。


ピアノが弾けたら、歌が歌えたらそれでいい。

ただそこで彼が聞いてくれたら……。


そんなことを考えていると、親友はとんでもないことを言ってくる。


「そうじゃないでしょ!!気になるんじゃない?その人の事……」

スマホの向こうで語る親友の言葉の意図を図りかね、しばらく私は優華の言葉の意味を探る。


だけど、その意味はすぐに理解できた私は戸惑ってしまう。


「えっ、えっ?ええー!!違う、違うよ!!そんなんじゃないって!!」

慌てて否定する私を、優華は冷静な口調で……かつ、どこか嬉しげに諭す。


「別にいいじゃない?それだけ楽しそうに話してるんだもん」


「そ、それは……」


路上ライブができる事であって……。

そう言葉を並べようとするが、言葉が続かない。


自分でも理解できない、初めての感情にただ戸惑っている。


別に下心がある訳じゃない。


彼が居なくても路上ライブはできる。

だけど彼がいることにより、気分が高揚してくるのは事実だ。


その証拠に、一度だけ……。そう考えて始めた路上ライブを未だに続けているのは彼がいてくれるからだ。


「そう言うのじゃないよ。あの人は、私の歌を最初に聞いてくれた……人。そう、いわゆるファンよ!!ファン1号……」

ようやく絞り出した答えに、私は無理やり納得する。


……ファン1号。それが、自分の中でしっくりくる都合の良い言葉だった。


「それに、知り合ってまだ1ヶ月も経ってないじゃん。ないない……」


「えー?そんな事ないよ。ほら、よく言うじゃない。恋はいつでもハリケーンだって」


「ワ○ピースか!!」

親友の某国民的少年漫画をパクった言葉に、私はツッコミを即座に入れると、彼女は笑った。


だけど、優華はすぐに口調を真剣なものに戻し、続ける。


「けど、そんなものよ。人を好きになるって。突然、その人が気になったり、どことなく視線で追ったり……。その行動の全てで気分が浮き沈みする。それを理解した時点で、堕ちてるの……」


優華の熱弁に、私は「……何に?」と、惚けたように尋ねると、彼女は大きなため息をつく。


「はぁ〜。恋にに決まってるでしょ?恋に!!相変わらず疎いと言うか、何というか……」


「だって……」

残念ながら、恋なんてした事がない。


初恋があったとしたら、ピアノ教室で出会った5つ年上のお兄さんくらいだ。それくらい、異性に興味がない。それに、自分に自信がない。


「私みたいなのを相手してくれる人なんていないから……」


「こ、このバカちんがー!!」

いつになく怒気の籠った絶叫を優華は放つ。

その声量に、私は驚きスマホを耳から離す。まるで鼓膜が破れるかと思うくらいだ。


だが、そんな事は構いなしに優華は言葉を続ける。



「そんなこと言ってたら、いつまで経ってもかわらないよ!?恋は戦争なんだから、着飾り、話を合わせる。それだけで男はイチコロなんだから!!」

百戦錬磨と言わんばかりの発言をする優華だが、彼女もまた彼氏いない歴=年齢なのだ。


苦笑せざるを得ないのだが、今の彼女にそれを指摘しても、火に油を注ぐようなものだから、必死に黙る。


「……それに、あんたはちゃんとすれば光るんだから、少しは自信を持ちなさいよ」

呆れながらも、私を諭す彼女に反論できない。


自分に自信がない、まだ会ったばかりだ、彼の事をよく知らない。好きと言う気持ちが理解できない私がいくら言葉を並べようと、彼女はきっと論破してくるだろう。


そんな私を知ってか知らずか、優華は言葉を続ける。


「路上ライブと一緒だよ。踏み出してみないと、わからないじゃない。実際、あんたは私が仕事で一緒に行けなくても、こうやって一人で楽しそうにやってるじゃん?」


「……うん」


「まぁ、頑張んな!!それより、今度見に行かなきゃね!!あんたの彼氏候補!!」


「えっ、ちょ、ちが……」


「あははは。冗談よ、冗談!!あんたの歌を歌う姿をファン1号としては見ておかないとね?」


……そうだ。私を最初に見出してくれたのは親友だ。優雅の一声、一押しがなければあの人とも知り合う事はなかった。


「……ありがと」

心の底から自然と感謝が口から出る。


「ん。それより、次はいつ歌いに行くの?」


「それは……まだ……」


「決まったらおしえてよ?今度は聞きに行くから」


「分かった……」

そう言って、親友との長い電話を終える。


親友との長い電話の後に残る虚しい寂寞が、私一人しかいないワンルームに残る。


「次は……、いつにしよう」

自分一人で決めていいものか?


路上ライブの時は一緒に来てくれると言う彼の真意はわからない。ただ……。


ピロリン……。

思いがけないLINEの通知オンが、静寂の中に響く。


「……優華かな?」

そう思いながら、スマホの画面を眺め。


……片桐さん。

画面に映し出された文字に私は身を委ねていたベッドから跳ね起きる。


連絡先を聞いていたからと言って、まさか彼から連絡が来るとは思っていなかった私は高鳴る胸の鼓動に気付かぬまま、返事をする。


次のライブは……いつにしようか?

そんな事を考えながら……。


翌日、私は意気揚々と会社に出勤していた。

次の路上ライブの日程が決まった昨日決まった。


片桐さん曰く、今日ならば早めに帰れそうだと言うことなので、その準備をして家を出てきたし、優華にもその旨をLINEで知らせた。


あとは仕事を済ませて、早めに帰るだけだ。

ウキウキとした気分で地下鉄に乗り、会社に向かう。


惜しむらくは片桐さんに駅で会えない事だけだったが、何事もなく会社につく。


横を通り過ぎる先輩方に挨拶を交わしながら、自分の部署にたどり着くと、片桐さんのいるであろう席の隣……自分のデスクへ行くために扉を潜る。


……いた。

視界に映り込んだのは、私のデスクだ。

その隣の席には、すでに自分のデスクで仕事をしている片桐さんの姿だった。


真剣な表情でパソコンと睨めっこする彼の姿を初めてまじまじと見る。


鼻筋の通った高目の鼻に乗るいつもの黒縁メガネ。その奥には大きな二重瞼に長いまつ毛に薄い髭。そして、無造作に……かつきちんとセットされたツイストパーマが目を引く。


雨の日の……第一印象とは全く違う、清潔感のある彼の姿があった。


……ドキン。

鼓動が高鳴る。


初めて押し寄せてくる感情に私は戸惑う。

そんな私の感情などまるで無視するように、彼は仕事を黙々と続ける。


動き出そうにも動き出せない……。


「おはよう」


「ひゅっ!?」


不意に目の前にいる片桐さんから声がかかり、私はカエルが轢かれるときのような声を出す。


……いや、カエルが轢かれたときの声とか知らんけど。


だが数秒、数十秒……時間にすれば、そんな物とはいえ、彼をみた私はまるで蛇に睨まれたカエルのように動けなかった。


だけど、その時間は他者にとっては不自然な間だ。それを彼は不思議に思ったのだろう。


「……どうしたんだ?そんなとこに突っ立って?仕事が始まるぞ?」


「グエ!!」

何か言い訳を言おうと、必死に頭を働かせているのに、結局はカエルの断末魔のような声しか出せない始末で、泣きそうになる。


自分の中に何匹のカエルがいるのか分からないが、おそらくこの数秒の間に私の中のカエルは逝ったに違いない。しらんけど!!


恥ずかしくなった私は、そそくさと片桐さんの後ろを通り過ぎる。そして自分のデスクにつくとバッグをデスクに放り、デスクに突っ伏す。


「どうした?体調でも悪いのか?」

決してこちらを向く事のないまま、彼は私を心配する。


その声に私は複雑な感情に苛まれる。

心配してくれていることへの喜びと、この意味のわからない感情への不快さと、いつものように対応出来ないもどかしさだ。


「いえ、大丈夫です〜」


どうにかカエル語以外のちゃんとした言葉を発した私の言葉に、彼は「……そうか」とだけ返す。


……恥ずかしくて顔が見れない。

私が机に突っ伏していると、不意に親友の声が脳裏に蘇る。


『……恋はいつでもハリケーンよ!!』


「優華のせいだぁ……」

誰にも聞こえないくらいの声で私は溢す。


未だかつてこんなに人を意識した事はない。だからその理由を無実の親友のせいにする。


ピロリン♪

スマホが昨日のように音を鳴らす。


その音に、私は顔を上げてスマホを見る。


「体調わるそうだが、大丈夫か?」

さっき口で言ったのと同じ文がスマホの画面に表示される。


その文章をみて、私は顔を上げる。


ピロリン♪

再びスマホの通知音。


『まだ社会人になったばかりだから、無理はするなよ』


ピロリン♪

立て続けにLINE……。


そこには私が望んでない言葉が並ぶ。


『しんどければ夜は中止にするか?』

その文字に驚き、私は彼を見る。


さっきまでパソコンと睨めっこしていた彼の瞳が私をみていた。だが、今度は胸は高ならない。


夜の路上ライブの方が大事なのだ。


私は小さく首を振る。すると彼は再度、「おはよう」と口にする。


「おはようございます」

私がそう言うと、彼は頷いてパソコンに向き直り、仕事を再開する。


……してやられた。

そう思わざるを得ない彼の行動に、少し腹が立つ。


私の弱みをついてくる意地の悪さにだ。

だけど、そんな行動を取らせたのは……私だ。


意味のわからない感情に振り回されて、挨拶をしなかったのはわたしだ。その仕返しをされただけだった。


そう自分にいい聞かせて、私は「片桐さん」と彼をよぶ。すると彼は何も言わずに視線だけをよこす。


その態度に、私は柔らかな笑顔でこう返す。


「がんばりますね、今日も!!」

主語のない言葉に彼は呆気に取られる。


普通なら仕事を!!だ。


だけど今日は違う。今日に関しては仕事も!!だ。それを理解した彼は小さく笑い、「……おう」とだけ返してくる。


二人だけしかわからない主語のない言葉。

二人だけの秘密……。それがどことなくたのしかった。


だが、夜に彼は……来なかった。

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