Track-2.part A ハルカ
私は地下鉄に乗りながら、スマホの時計を見ていた。
もうすぐ8時30分。
焦る時間ではないけど社会人は5分前行動じゃ間に合わない時もあるとのお姉ちゃんからのありがたい教えを受けてきた私には30分前とかなんとなく落ち着かないのだ。
もし何かがあったら……なんて考えると某お笑い芸人のお決まりの台詞ではないが、時間はいくらあっても困りませんからね〜。なんて口から漏れてきそうだった。
それこそ朝食もまだな訳で、とりあえず駅に着いたら軽く朝食を取りたいのだ。
ぐ〜。
朝食の事考えるたびに鳴るお腹の音を恨めしく思いながら、私は勤務先の駅を目指した。
「次は天王谷〜、天王谷〜。お降りの方は〜」
車内アナウンスが私の降りる駅を告げ、目的の駅が窓の外から見えてくる。それと同時に徐々にスピードを緩める電車とともに私も混み合う人の中を縫う様にドアに向かって移動する。
そして電車が完全に止まり、ぷしゅーと言う音と共にドアが開くと、たくさんの人が電車から降りて行く。
その人波に呑まれなが、やっとの思いで地下鉄を降りた私は、ようやく空いてきた駅のホームでため息をつく。
……これからずっとこの中を通うのかぁ〜。
東京みたいに乗車率100%超えと言う訳じゃないけど、毎日この混み合う電車に乗ると考えるだけで、これからの社会人生活が億劫になる。
とりあえず、私はフラフラになりながらも改札へ向かう。駅のコンビニで水とゼリー飲料だけでも買っておきたい。
そう思いながら改札を抜け、コンビニを目指していると、ぐしゃ……。足元に何か踏んだ感覚を覚える。
「えっ……?」
その嫌な感覚に私は立ち止まり、パンプスの下を覗き込む。
流石に駅の構内で犬の糞なんてないだろうけど、ビニール袋とは違う感触。今のご時世、ガムの包みも考えにくい。
そうなると、奇跡的に通りががりの黒光りする何かを踏んでしまったのか?様々な想像が過ぎる。
……が、足元にあったもの、それは私の重みに(そんなに重くない!!)より潰れてしまった、Bluetoothのイヤホンだった。
私は踏んだものの正体が黒光りの何かじゃない事にほっと胸を撫でおろす。
……が、それも束の間、どこの誰かも分からない人のイヤホンを潰してしまったのだ。再び冷や汗が背中から吹き出る。
不可抗力とはいえ、他人様のイヤホンを潰したのだ、下手したら怒られてしまうかもしれないのだ。
「ど、ど、どうしよう」
焦った私はキョロキョロと周りを見渡し、イヤホンの持ち主を探す。
すると一人の男性が立っていた。
ぱっと見20代くらいの人で背が高い。スーツの着こなしはぴっちりしているのに、どこか気だるげな印象だった。
「あーあ……」
彼が発したその声に私はビクッと肩を揺らし、壊れたイヤホンを、かき集める。
そんな様子を見て、彼はゆっくりと私の方へ近づいてくる。壊したことへのイチャモンをつけてくるのだろうか?謝罪、賠償を要求されたらどうしよう……なんて想像が膨れ上がる。
「ご、ごめんなさい、すいません、壊してしまいました!!」
テンパりながら私が言うと、彼はきょとんとし
だ表情を見せる。
「いえ、僕もぼーっとしていたので……。すいません」
「あ、あの……、イヤホン弁償します。弁償させてください」
別に私が悪い訳じゃない、無いけど口走った言葉に後悔する。
多額の金銭要求をされたらどうしよう……。
徐々に不安が募る。
「いえ、いいですよ。安物なんで。それに、買い換えようと思っていた所ですし……」
……よかった。怖い人じゃなくて。
苦笑を浮かべる彼の言葉に、私は安堵する。
だけど、それはそれで後味が悪い。
「いや、私の不注意で壊してしまったものなので、弁償させてください。お願いします!!」
相手はいいと言ってくれているのに、自分で賠償を願いでるアホはこの世に自分一人だと心の中で自嘲しながら、口から出る言葉を続ける。
そんな私に呆れたのか、彼は苦笑いを浮かべながら次の発言を口にする。
「じゃあ、あそこのコンビニでコーヒーを奢ってください。僕もぼーっとしていたのでお互い様ですから、それでチャラにしましょう。」
「へっ?あ、はい……」
何千円、何万円を想像していた私をよそに、彼はコンビニのコーヒーを提案してきた。
その提案に乗る形で、私はぶっきらぼうに背を向ける彼の後ろをついて行く。
その道中、彼がぼそりと何かを呟く。
「君が悪い訳じゃ無いのに……」
その言葉に私は何かを言いかけるが、やめた。
確かに私が悪い訳じゃ無い。だからと言って、壊してしまった後ろめたさと、弁償すると言ってしまった事への意地の様なものがあった。
それに……。
私は彼の後ろを早足でついて行く。
その態度はまるで早く終わらせたいと言う様な態度だ。それもそうだ、私みたいな訳の分からない女に付き合うより、早々に別れて会社へ行ったほうが楽だろう。
だけど、なんとなく既視感のある横顔に視線を送る。どこかで会った事のある横顔……。
だけど、その既視感の答えを得る事のないまま、私たちはコンビニで缶コーヒーを買い、コンビニを出る。
「ど、どうぞ……」
「ありがとうございます。じゃあ、これでチャラで……」
私が彼に缶コーヒーを差し出すと、彼は丁寧にそれを受け取る。本来ならこのやりとりで終わりだ。だけど、まだ何が腑に落ちない……。
気づけば次の言葉を発してしまっていた。
「いえ、それじゃあ私の気が済みません。あの、連絡先を教えてください。後日別のもの形でお詫びをしますので」
まるで連絡先を知りたがっているナンパ女の様なムーブだ。後から思い出して赤面するのだが、この時の私は状況と既視感とで混乱していた。だけど、彼はそんな事は見向きもしない。
「これで充分ですよ。じゃあ……」と言って、軽く手を挙げ私の前から離れ、人波に消えていった。
その後ろ姿を私はただ、見送る事しかできなかった。
なお、この間にも時間は過ぎている訳で、気づくと8時50分……、朝食はおろか、水すら買えないまま、勤務先へ走って行く事になる私だった。とほほ……。
※
「おそい!!」
会社に着くと、鬼が仁王立ちで待ち構えていた。何を隠そう、我が姉……雪吹遙歌(ゆきぶはるか)だった。
出立は私の方が15センチくらい背が高い(彼女曰く10センチ)のに、オーラはその形相と相まって他人が見たらおしっこをちびりそうになるほど、怖かった。
「ご、ごめん……、お姉ちゃん」
「どうせ、あの後熟睡しちゃって寝てたんでしょう」
「はぅあ!!」
図星だ……。
この人はどうして私の行動の一挙手一投足を見破ってくるんだろう。エスパーかよ!!
そんな私を見て、彼女は得意げな様子を見せる。
「優しいお姉ちゃんがせっかくモーニングコールしてあげたのに、電源が入ってないんだもん。分かるわよ」
「へへー」
姉の洞察力の鋭さに、私は平伏する。
やっぱり彼女には敵わない。
「それより、お姉ちゃんは会社では言わないでね」
「どうして?」
「ほら、身内のコネ入社とか言われたら、あなたもやりづらいと思うし……」
歯切れの悪い物言いに、私は首を捻る。
確かに私とお姉ちゃんは苗字が違う。
彼女と私は血は繋がっていないのだ。
お父さんが亡くなって、私が18歳を迎えた頃にお母さんとお姉ちゃんのお父さん……が再婚した。
その事で昔一悶着あったのだけど、お姉ちゃんとは幼い頃から仲が良かったから、今でも本物のお姉ちゃんだと思っている。
だけど、そこまでして義姉妹である事を隠す必要があるのか?何か、意図がありそうだった。
「とりあえず、午前中は会社の説明だから。そのあとに教育担当の人と顔合わせね……」
「うぇ……」
今朝の一連のドタバタですっかり失念していたのだが、私の教育担当者は男性だ。気が重い。
そんな様子を見て、お姉ちゃんはぼそりと呟く。
「大丈夫……。いい人だから。心配ない、心配ないよ」
私にいい聞かせる様にいいながら、どこか自分にいい聴かせている、そんな言葉を彼女は言っていた。
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