第7話 蝋と牢

「さ、さやちゃん…。あのね、。きのうのことなんだけどね…?」


ひながそう切り出したのは、ソファーに座りながら一緒にテレビを見ている時だった。


その言葉に心臓が跳ねて背筋が自然と伸びる。


…きた。、


ひなの雰囲気が重たくなったから覚悟は決めていたものの、いざとなるとやっぱり緊張する。伸びた背筋を汗が伝うのを感じた。


心を決めてテレビから隣にいるひなに視線を移すと、ひなはいまにも泣きそうな顔をしていた。唇を固く引き結び、潤んだ大きな瞳が忙しなく動いては、時折私の機嫌をうかがうようにこちらに向けられる。それがものすごく愛おしくて、感じていたはずの緊張は一気に霧散した。


「うん。どうしたの?」

うるさいテレビを消して、ひなが怯えなくて済むように精一杯優しい顔と声を意識して問いかける。


「……っ」

ひなは喋らない。


「……ひな?」

「……」

もう一度問いかけてみてもひなが喋る様子はなく、俯いたまま服をぎゅっと握りしめているだけだ。


静かな部屋に秒針のリズムが響く。



…このままひなの言葉を待ってもいいけど、さすがにひなからじゃ話しにくいかな…。私から聞こう。


「…なにか、お金が必要な理由…。あるんだよね?」

慎重に。日南が傷付くことが無いようになるべく言葉を選ぶ。


身体を売っている理由。

いちばん考えやすいのは『お金のため』だよね。

他にも寂しさを埋めるためにそうする人がいるのは知ってる。けど、寂しいからという理由で日南がそうするとは到底思えない。


じゃぁ、遊ぶお金が欲しいからって理由で日南がそんなことする訳ないし…。


…思いつくのは2つだけ。1つ目は昨日隣にいたあの男に弱みを握られていて脅迫されている。



もしそうじゃないなら…


「借金…。借金があるの…。」

私の思考の続きを日南のか細い声が紡いだ。


「いくら??」

「…な、ななひゃくまん、、くらい。、」


700万か。個人用の貯金で払えなくは無い…


「いつから…?」

「…分からない。、」

「…そっか。」

分からないってことは日南自身の借金では無い…?


少しの思考の後、思い出したのはタバコと香水の匂いを四六時中纏わせた女の事だ。ギャンブル好きで男好きの私の出会った中で最悪の人間。ひなの唯一の肉親。


あいつなら借金した挙句に娘の身体を売るくらいは平気でやるだろう。そして優しいひなはどれだけ嫌でも、辛くてもそれを断らない。断れない。


可愛いひなを、幸せになれるはずだったひなをあの女が男に売って稼がせた。汚い男にひなの身体を弄ばれた。


「……ッッ!!」

昨日の光景が脳によぎって、昨夜に必死に抑えたはずの憎悪と怒りがゆりもどる。どろりとした黒いものが押さえつけた蓋から溢れそうになるのを深呼吸で落ち着けた。


わかってる。私は憎いんだ。借金の為に娘を売るクソ女も、それを断れない日南の優しさも、日南の幸せを願っただけの無責任な私も。



…だめ。表情に出すな。ひなが怖がる。


ひとつまた深呼吸をしてひなに目を向ける。ひなは未だに俯いたままだ。


聞きたいことは端的に。余計な事を言わなければ余計な感情が漏れることもないはずだ。


「…母親?????????」

優しく聞いたはずのその声は、自分のものとは思えない程冷えていた。ひなの肩がびくりと震える。


「……うん、。お母さん、…色んなところに借りてたみたいで。、最初は少しずつだったみたいなんだけど返せなくって、それが利息でどんどん大きくなっちゃって。だから…」

「だから、身体を売るしかなかった?」


ひなが弾かれたように顔を上げる。

「…ご、ごめんなさい。、!!ごめんなさいさやちゃん、、ごめんなさい…、」

そう謝るひなのかわいい顔はぐちゃぐちゃで、謝る度に大きな涙を零すその瞳は何かを怖がる子供のように怯えている。


――あぁ、あのひなが怯えてる。

私のお姫様が『私』に怯えてる、、


その姿に、感じたことの無い興奮が全身を駆け巡った。


かわいい。

かわいいかわいいかわいい!!!!!


ひなって本当に可愛い…!


「もう大丈夫だよひな。私が助けてあげる」

泣きじゃくるひなの頬に触れる。涙の伝うそこは陶器のように白く冷たい。

「……さやちゃ…、、」

伸ばした私の手を泣きながら握りしめるひなのその姿はあまりにも扇情的で、私の中で必死に抑えつけている愛欲を掻きむしった。


「ひな、、おいで。」

湧き上がったこのよこしまな気持ちを何とか誤魔化そうと日南を抱き寄せると、ふにっとした感触が身体にあたった。


…ひなの胸だ。柔らかい。触りたい。


なんの前触れもなく嫌な考えが頭を支配する。


あぁそうか。

ひなの大きいここは、もう数えきれないくらい男に触られてきたんだ。この細くなった手足も柔らかいままの太腿ふとももも、この色素の薄い唇も。私が見たこともないひなの大事なところも。名前も知らない奴らは沢山貪ったんだろう。


金を払うだけで。

ただそれだけで。

私の愛するひなの全てを。、



……あぁ。







……いいなぁ。、



こんなに愛しても、これから先ひなを何度救っても。隣で一緒に寝たとしても、これから一生、私はこんなに愛してるひなの身体に触れることなく、ひなに甘い声で愛を囁いて貰えもせずに死んでいく。


金でひなを買った男達にできる事でさえ、私にはできない。


同じ性別なだけで。


それだけで私の想いは、8年間のこの片想いは、たった一晩のセックス相手に負けるんだ。


心臓が握りつぶされたような痛みに悲鳴をあげる。


…なら、、それなら。それならこんなにひなを愛したって、全部水の泡じゃんか…。、どうせこの想いは届かないのに。受け入れてなんか貰えないのに。



「……っ。、」

目の前が滲む。


…ほんと……馬鹿みたい私。、


…ひなの傍にいれるなら親友でいいと思ってた。傍に居られなくなるなら、この想いが無くなればいいって。ひなさえ傍にいてくれれば何もいらないって。、


ひなが素敵な人を見つけて、結婚して、お嫁さんになって、子供を産んで。それを見守りながらずっと傍に居れたら、きっとそれが正解なんだって。、それが幸せなんだって。、


……じゃぁ、この痛みはなに??

このどうしようも無い嫉妬心は?この死にたくなるほどのこの惨めさは。この情けなさはなに?????

親友を選んだら、こんな思いが一生待ってるってこと…?


ひなが、私以外に恋をして、私以外とデートして、私以外とキスをしてセックスをして、私以外に愛を囁く。私は隣でそれを指をくわえながら見守って、そして、私はひなと男の結婚式に出て、幸せそうに笑うひなを「おめでとう」と笑顔で祝うんだ。



…はは。


……耐えられない。そんなの耐えられるわけない。

絶対に無理だ。ありえない。そんな思いをするくらいなら、また日南の傍を離れて昨日までの孤独に生きる方が何千倍もマシだ。


ひなとは恋人になれない。ひなが私を好きにはなってくれないから。でも、親友にもなれない。私が耐えられないから。


……でも、傍にいたい。親友でもない恋人でもない、これから先ひなの隣にいれる立場が欲しい。東雲日南が欲しい。欲しくてたまらない。


無防備に抱き寄せられるこのいやらしい身体を貪ってぐちゃぐちゃに犯したい。可愛い顔が快楽で歪むのを見てみたい。喘ぎ声を聞いてみたい。ひなの甘い声で名前を呼んで欲しい。


思い出すのは昨夜の光景。

ひなを引いてホテルに向かう男。



……そうだ。そうだよ。簡単な事だ。


あの男たちと同じようにひなを金で買えばいいんだ。嫌われたとしても、元々ひなの心が私のものになることは一生無いんだから。なら、せめてひなの身体だけでも、ひなの半分だけでも私のものにっ……。


今なら届く。届くんだ…。

今手を、この汚い手を伸ばせば太陽に触れられる。今なら…。、


そう思い至った頃には既に思考は口から出ていた。


「ねぇ、ひな。ひなを700万で買わせてよ」


そう口にした時この頭に浮かんだのは、口に出してしまったことへの後悔や、返事への期待やわずかな興奮でもなんでもなくて。


太陽に近づきすぎた哀れな男の話だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る