第5話 月明かりの下で


マンションの最上階に位置するこの部屋は雲が月を隠した今でもほんのりと明るい。向き合ったまま動けずにいる2人の輪郭をマンションの下に広がる光の海が頼りなくかたどった。


夜も更けたこの時間は少し肌寒く、2人の呼吸の音だけがただ時間を刻んでいく。



もしもう一度会えたなら。

そういう想像をあれからずっと繰り返していた。彼女に話したいこと、聞きたいこと、伝えたいことなんて両手に抱えきれないほどあったはずなのに。


さやちゃんは今私の事どう思ってる?まだ怒ってる?軽蔑した?…気持ち悪い?…嫌いになった??


頭に浮かぶのはさやちゃんの口から聞きたくない言葉ばかり。自分の呼吸の音がいやに早くなり始め、指先が急速に冷えていくのがわかる。




――向き合ってから一体どれくらいの時間が経ったか。先程よりも少し鮮明に見えるようになった暗い部屋。


突然聞こえたのは、クスクスと笑う声。

驚いて顔を上げると目の前に佇む輪郭が、光の海と隠されていた月に照らされて少しぶれるのが見えた。


「ね、そんな顔しないで。会いたかった……。」

聞こえたのはあの日々と同じ抑揚。ずっとききたかった心を撫でられるような甘い声。


「……っ、。」

目の前が滲む。


「もぅ、泣かないでよ…」

そう呟いた輪郭がふわりと私を包んだ。顔にあたるさやちゃんの胸、腰に優しく回された腕と、お酒の匂い。


「ほら、泣かないでひな」

髪を優しく解くようにゆっくりと頭を撫でられる。ただそれだけで、さっきまで感じてたは何処かにいってしまった。



「わ、わたし…も、あい、たかった…」

撫でられる度に心から溢れる暖かな感情が嗚咽になって伝えたい言葉の邪魔をする。


またクスクスと笑う声と「よかった」という少しため息混じりの甘い声。



…あぁ。やっぱりさやちゃんだ…。静かに笑う声も、喋り方も、あの時のまま、綺麗な思い出のまま数年たった今でも、こんな時でも、さやちゃんは私の大好きなさやちゃんだ……。



……大丈夫。きっと大丈夫。

だって。、さやちゃんはこんなに優しい。


さやちゃんの腰に腕を回して柔らかい胸に顔を埋めてみる。


「…さやちゃん…あの、あのね…。」

「うん?」



「……まだ怒ってる?」


「ふふ、。…もうおこってないよ。」


「…軽蔑した?」


「してないよ。」


「…私のこと気持ち悪いって思う?」


「思わないよ。」



…。


「…わたしのこと、もう、きらいになっちゃった、、?」

――あぁ。私の声震えてる。



私を安心させてくれるその人はまたくすくすと笑って、私の腰に回していた腕の力を緩めた。


――お酒の匂いが揺らいで、首筋に熱い吐息が掛かる。



「…んっ」

首筋に潤った柔らかい何かが当たる感触がして、鼓膜に小さなリップ音が響いた。


それは優しく触れるだけのキス。

そのキスが首筋、耳、ほっぺた、額、まぶたの順にゆっくりと落とされていく。


さやちゃんにキスされた部分が次第にジンジンと熱を持って、心臓をきつく締めていく。


――足りない。まだ足りない。

もっと、もっとわたしを…


「…さや、ちゃ…、」

「…うん?」

「……もっと、、もっとして…?」

キスをせがむようにさやちゃんの首に腕を回す。

どこにして欲しいのかわかって貰えるように顔を上に向けて目を静かに閉じた。


「んん……」

くすぐったくなるほど愛しいくちづけ。甘い甘いそれは、何度も何度も啄むように私の唇に触れてはまた離れる。


2人の知らない時間を埋めていくかのような触れるだけの優しいキス。時折さやちゃんは頭を撫でて、私をまっすぐに見つめては少しだけ微笑んでまた私の唇を塞ぐ。



最後にさやちゃんは私の下唇を軽く噛んだ後、優しく吸いながら顔を離した。


部屋に差し込んだ月明かりが2人を照らす。


「…嫌いになんて、なるわけないよ。」

月明かりの下でキラキラと光るその子はそう言って、少し困ったように微笑んだ。

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