第4話
彼女の姿を見た瞬間、沙夜菜の心に湧き上がったのは全てを満たすような愛しさと今すぐにでも駆け出したくなるような嬉しさだった。
だが心を満たしたその感情はすぐに弱くなり、愛しい人の元へ駆け出そうとする彼女をその場に留める。
日南の隣にいる男に気がついたからだ。
一気に心が冷えていくのを感じる。
程なくして心を満たしていはずのそれらは衝撃と絶望と憎悪にいとも容易く呑み込まれた。
隣を歩いてる男の日南を見る目が、日南が苦しい時に浮かべる引きつった笑顔が、二人の関係性とこれからおこるであろう情事を、沙夜菜に理解させたからだ。
鈍器で頭を殴られたかのような衝撃でその場に足を縫い付けられる。太った男が日南の手を引いてホテルの方へ向かってるのを見て、肌が粟立つ感覚が全身を襲った。
冷たいモノが頭から脊髄を這い、じんわりと足元まで広がっていく。
――なんで??
真っ白になった頭から絞り出した疑問はただそれだけだった。
だって、。…だって日南は今も幸せに生きてるはずだ。好きな人が出来て、毎日笑って、優しくてかわいいお姫様にふさわしい幸せな毎日をおくってるはずだ…。お嫁さんになりたいって言ってたんだ。だから料理も練習してて裁縫も上手くて、だからこんなとこに日南がいるわけがない。私以上に日南を愛してくれる男を見つけたはずだ。そいつと毎日仲良く暮らしてるはずで、こんなところに、いるわけがない。
…いるわけ、、が
もう既に脳が弾き出した、受け止めたくない答えから必死に目を背ける。だがその逃避も日南と目が合ったことで長くは続かなかった。
【日南が男に身体を売っている】
「……ッ」
途端に足元が崩れるような錯覚に陥る。込み上げる涙をとめようともせず、弾かれたかのように沙夜菜は彼女の元へ駆けだした。
――なんで。なんで!!なんでなんでなんでッッ!!!!!!
◆
言葉を交わす暇もなく引かれた手は、あの場所から遠く離れた今でも未だにきつく握られ離れない。乱暴に引かれた腕に足をもつれさせながらも、必死に彼女の背中を追った。
あの日解かれた手が今私を引っ張るようにまた繋がれている。
『あぁ…見られた』
虚ろな目で自らの手を引く沙夜菜を見るその瞳にはかつての眩い光はなく、ただ諦念と後悔だけが黒く浮かんでいる。
さやちゃん…、ないてた…
あの日、初めて見た親友の泣き顔。いつも強くあろうとした彼女が見せた弱さ。こっちを見てくれないさやちゃんの後ろ姿が、いつか見送ったあの日の背中と重なる。
乱暴に引かれる腕と肌に食い込む爪の痛みが心にジクジクとした感情を運んでくる。
『嫌われたくない』
先程から頭に浮かぶのは、彼女にどう言い訳するか、どうすれば誤魔化せるかと自分本位の浅ましいことばっかりだ。
あんなところを見られては誤魔化すなんてできない。そんなことわかってる。わかってるんだ。でも、それでも、なんとか、何とか誤魔化さなきゃ。せめて今日が初めてのように振る舞えれば。そうすれば少しはさやちゃんの嫌悪感も減るかもしれない。
まだ、お姫様だって、太陽だって言って貰えるかもしれない。
「……。ね、ねぇ、さやちゃん…」
「…。」
腕を引く彼女の背中に問い掛けるも反応は無い。
「さ…、さやちゃん…!」
聞こえなかっただけかもしれないと、念の為もう1度呼びかける。
だが反応する気配が一切感じられなかった。
あの優しい沙夜菜に無視されているという事実と、もう嫌われたかもしれないという恐怖感が日南の口を塞ぐ。
それから沙夜菜の部屋に着くまで、ふたりが口を開くことは無かった。
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