第2話 東雲 日南 プロローグ

――人生に岐路というものがあるのなら、私にとってそれはきっとあの日だろう。



私には『さやちゃん』という親友がいた。

高校1年生の時に出会った、物静かで優しくていつも私を助けてくれるかっこよくてかわいい女の子。


夕立ゆうだて 沙夜菜さやな

170cm近い身長とスラッと長くて華奢な手足。

透明な夜空と同じ色の艶やかな髪は腰まで伸ばしていた。

笑うと優しくなる切れ長の瞳。照れると赤くなる耳。

誰もが見惚れるような整った顔立ち。

包み込んでくれるような慈愛に満ちた声。




私のことをかわいいと、お姫様みたいだと言ってくれたあの子。私を好きだと言ってくれたあの子…。


さやちゃんが今の私を見たらなんておもうだろうか。あの時みたいに変わらず名前を呼んでくれるだろうか。あの日々のように優しく見つめてくれるだろうか。髪を撫でてもらえるだろうか。手を繋いでくれるだろうか。笑いかけてくれるだろうか。



「…そんなはずないよね」

軽蔑されるに決まってる。今の私はこんなに汚い。私を好きだと言ってくれた彼女に合わせる顔なんてあるはずが無い。


――自分で彼女の想いを踏みにじったくせに何を調子のいいことを…



もうあの幸せな日々は戻ってこない。失ったあの子はもういない。私をいつも助けてくれるあの人はもういないのだ。私が彼女を拒んだのだ。傷つけたのだ。


独りでこの汚い世界を生きていかないといけないのだ。もう既に限界が来ていると自覚している。死のうとする度に決まって思い出すのはあの日々だ。あの3年間が、破れたはずの誓いが未だに私とこの汚くて非情な世界を繋いでいる。


知られたくない。あの子の記憶の中でだけはお姫様として生きていたい。



もしあの時、


――彼女の想いに頷いていれば。


――彼女の気持ちを無視した『親友でいたい』という馬鹿な言葉を吐かなければ。


――伸ばされた手に怯えなければ。


――泣いていたさやちゃんを追いかけていれば。



私は今もあの子の隣で笑えていたのに




…こんなに汚れずに済んだのに。



だめだ、忘れなきゃ……。

忘れられればきっとこの世界に未練はない



――やっと逃げられる。この世界からも、隣を歩く気持ちの悪い豚からも。



――全部全部無かったことにできる。

唯一の肉親が残した多額の借金も、この体に塗りこまれた汚い唾液も、耳にこびり付く気持ち悪い愛の囁きも、おぞましいほど注がれてきた精液も。



全部全部無かったことにできる。私を愛してくれたさやちゃんのお姫様でいられる。




だれか、私を殺して




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