第34話 ミーシャ、躍動する

――それは、いけない。



稲妻が走ったかのように強い感情が迸った。

私は身体中に力を漲らせ、クロードを引き剥がした。

「にゃあ!」

「……な!?ミーシャ!何処に……!」

狼狽えるクロードを置き、私は全速力で走った。





私は走った。

走って、走って、走って。

人間の姿ならばとっくに音を上げていただろう。だが、この姿ならばどこまでも走っていける感覚があった。

身体中にエネルギーが漲っているように熱い。



私はどうやら、ただ猫の姿に変えられた訳では無いらしい。

今の私には獣としての性質が備わっているようだ。




私は森を抜けて、王宮の内部へと飛び込んだ。



「……。わっ。なんだ!?」

「動物だ!栗鼠でもない、兎でも無い……あれは?」

「あれは猫です!」

「猫!?」

「何故だ……!?何故王宮に動物が……!?」

「王宮に愛玩動物を持ち込むのは禁止だった筈だ!」

「……は!つ、壺が!」

「彫刻がー!お前、何をしている!?」

「捕まえろ!王家の威信にかけて!」



走る途中、王宮の廊下には様々な展示物が置いてあった。私は壺をガッと落として転がし、木の彫刻でガリガリと爪とぎをし、猫としての欲求を満たしながら走り続ける。

追手の足音と声を聞きながら、私は頭の中で考える。



――威信、威信。

ベルリッツの王家は様々な規律があって、それで国を守ってきた一面もあるのだろう。

人間の私はそれを理解していた。だから何か思う事があっても言葉を飲み込むようにしてきた。

けど、けど。



――走り続けた私は、人が扉を開けている所の隙間を抜けて、儀式の間に辿り着いた。

ここはハイネさんに最初に連れてこられた場所だ。部屋に飾られた国旗を始めとした荘厳な雰囲気に気圧された事をよく覚えている。

だが、今は違う。



猫の私は、この国旗を見ているとどこか毛の逆立つような心地がする。

ベルリッツ国の国章に書かれた盾は、この国の民全員を守るという意味を持つらしい。

それは、現実には即していない。

アーサーは国民を必死に守ってきているのに――、自分は守られていないじゃないか。

平民だけじゃなくて、近い位置にいる貴族達ですらアーサーを守ろうとはしていない。

何より――アーサー自身が自分自身の人生をどこか諦めているようだ。

私はそんな世界が許せなかった。



胸の中に渦巻く怒りのせいで、身体に熱が漲っている。

それに加えて、目の前の国旗が、猫の本能が疼くようなヒラヒラな布である事も加わり――。

私は、国旗に向かって一直線に走って、飛びかかって、上から爪でザーーーーッと引っ掻いた。

この生地は爪のケアに丁度いいようだ。私はバリバリバリバリと国旗で爪を研ぎ続ける。そのうちに国旗はビリビリと生地が破れ、バランスを崩して飾られていたところからはらりと落ちてきた。



「あーーー!国旗に穴が!」

「国宝が!」

「なんて事をしてくれたんだ!」

「うわあああああ」



追手が部屋へと辿り着くが、壊された宝の方に注意が向いたようだ。私を追っていた筈の足は止まって、破壊された国旗を呆然と眺めている。

彼らを置いて、私は目的の相手を探して走り続けた。



――見つけた。

アーサーは森の見えるテラスに繋がっている部屋のソファに座っていた。その近くのテーブルには緊急時に魔力補給をする用の栄養剤と、印の付けられた地図が置いてある。今しがた発生した災厄から一時撤退した事が伺えた。

部屋に忍び込んだ私は、アーサーの見ている地図にごろりと寝転んだ。

疲れた顔をしたアーサーが、私を見て驚いたように目を開く。



「……王宮に、猫が?君は、俺が近くにいても平気なのか」

「うー」

「……クロードと同じ種族か。いや……」

「なうー」

「……。ミーシャ、なんだな?」

「にゃあー!」

「……俺の事を、心配してきてくれたのか」

「みゃあみゃあ、みゃー」



飛びついてきた私を抱きしめてじっと見つめてくるアーサーに、私は全力でスリスリした。それと同時に心から湧き上がる何とも言えない怒りもあって、私はアーサーの胸を二本の前足でずりずりと柔らかく攻撃する。

アーサーの目には隈が出来ていた。

王宮から消えた私を案じていたのか、災厄の始末が上手く行かずに心労を募らせていたのか。恐らく、その両方だろう。

アーサーの苦しみを和らげたいと思って、結局彼の心労を増やしてしまった。私は、そんな自分が嫌だった。

だが――、これからは、違う。




私は、クロードによって姿を変えられてしまった。

猫になって、心も獣に近いものになって……。

――でも。

私は、それでも満足だ。

これでアーサーが晴れて猫と一緒に暮らせるようになる。

もう誰にも文句は言われないはずだ。

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