第35話 ミーシャは漲っている
「――みゃあ!」
「ミーシャ……?」
アーサーに撫でられて目を閉じていると、不意に身体がカッと熱くなるような感覚がした。一瞬瞳を見開いた後、私はアーサーから離れて目を瞑る。
その次に目を開けた瞬間、私の身体は人間のものに戻っていた。
魔法の効果が切れたのか――と思ったけれど、どうやら自然に切れたものではないらしい。
「……クロード」
部屋の入り口にクロードがいた。
今は人間の姿で、私の方へ向けて指を真っ直ぐに伸ばしていて、その指先から光が溢れている。恐らく再びクロードの魔法で私を元に戻したのだろう。今王宮は混乱しているから、猫になって滑り込めば侵入するのも容易だった筈だ。
「ここに、いたか。全く……手のかかる奴だ」
「……クロード」
「私と同族になったお前がここまで奔放だとは驚いた。だが、私はそんなお前も受け入れよう。初めての事だから混乱する事もあるのは致し方ない。何より……お前に活力が湧いたならば、良かった」
「…………」
「今まではこの王宮で暮らしていたから、ここを縄張りだと認識しているのだろう。だが――私の巣も良い所だ。お前はまだ狩りの仕方がわからないだろうから私が教えてやろう。私の秘蔵の食べ物もやる。アーサーに縛られて暮らすよりも、森で過ごした方がずっといいだろう。だから……、戻る、ぞ……」
話していたクロードは、そのうちにどこか疲れたような様子を見せ、ふらりと身体をよろめかせる。次の瞬間、そこには黒と白の長毛の猫がいた。
クロードは猫の姿でいる方が楽に過ごせると以前に言っていた。私を獣人の眷属にした分、エネルギーを大量に消耗して……今は人間の姿を保っていられないくらいの状態なのかもしれない。
そんなクロードを見やって、私は口を開いた。
「クロード。あのね……」
「……ミーシャ」
クロードに話をするために近づこうとすると、後方にいたアーサーが私の肩に指を這わせて、小声で名を呼ぶ。アーサーはどこか縋るような目をしている。私がいなくなる事を心配しているのだろうか。
アーサーをじっと見つめて、私は呟いた。
「……殿下。大丈夫です。ここは、私を信じてください」
「……ミーシャ……」
「――何を言うか!妙な猫をこの王宮に引き連れた者など、信じられる訳が――!」
「殿下!何故その女に構うのですか!今、民間人が!」
私達の間に割り込む声がする。軍人達だ。アーサーと共に戦ったのであろう軍人が私の言葉に噛みつき、悲鳴を上げている。
……彼らの嘆きはもっともな事だ。切羽詰まっている様子なのも、それだけ災厄の被害が大きい状況だからだろう。
だから、私はアーサーにそっと耳打ちした。
「殿下。今は他の方と一緒に行ってください。今は私よりも災厄の対処を優先するべきです」
「…………」
「私の方は大丈夫ですから」
「そうか……。……致し方ないか。後でまた、様子を見させてくれ」
私の言葉を聞いて、アーサーはゆっくりと肩から手を離し、そして軍人を引き連れて部屋の外へと出た。また彼に心労を掛けてしまったと思い、私の心は軋む。
でも、今はやるべき事を――と考え、私はクロードの方へと近づいていった。
アーサーの影響で私はより一層猫が好きになったが、だからといって猫と完全に同じ生活をしたい訳ではない。
私に人間としての知識があるからこそクロードには良い暮らしを提供出来たのだと、そう考えているから。
だから――私はクロードを抱き上げ、テラスの所まで歩いて移動し――こう囁いた。
「……クロード。私の為を思ってくれたんだよね。私の事を、心配してくれてたんだよね……。本当はここまで魔力を消費するのは好きじゃないのに、寝ながらブラッシングされる方が好きなのに……。私の為に頑張ってくれて……ありがとう」
「……。うにゃ」
「でも……、クロードが私にしてくれたのと同じように、私はアーサーの力になりたいの。強制されている訳じゃなくて……それが私自身の望みなの」
「…………」
クロードの瞳を真っ直ぐに見ながら、そう告げる。
クロードはふわふわでもふもふな猫で、一緒にいる時はいつでも癒される存在だった。だが、今ばかりは違う。彼の心遣いを断るのは胸が痛む事だ。
それでも、伝えない訳にはいかなかった。
「だから……、クロード、ごめんなさい!後で埋め合わせはするから!」
「にゃにゃ?うっ……、にゃあああああ」
私は深呼吸をして、なるべく低い体勢を取り――クロードを投げた。
このテラスの下は森に繋がっている。クロードはこのテラスよりも高い所から降りても平然としている所を何度も見てきた。加えて、衝撃を緩める魔法でクロードを包むようにした。だから今回も平気だろう。
――さて。
クロードによって私は人間の姿に戻されたようだが、完全に元の状態に戻ったという訳ではないらしい。
具体的に言うと、自らの身体に満ちる魔力の量が違うようだ。
人間の頃に魔力を使った時は、自分の中に点在するそれを必死にかき集めて使うような感覚だった。
今の私は身体中に魔力が漲っているのを感じる。以前の私がコップに水滴を集めるような状態だったとすると、今はとめどなく水が溢れて容器を飲み込んでいるように感じる。
私は一人息を吸い込んで、猫になれと念じた。
次の瞬間、目線が非常に低くなり、私の手はふさふさした毛に覆われたものへと変化する。……依然として猫に変化出来る事は変わらないようだ。いよいよ私は普通の人間とは違う存在になってしまったらしい。
……だけど、萎縮するような心地にはならない。
むしろ、私の中には闘志が溢れていた。
再び深呼吸をして、私は猫から人間へと戻り、テラスから空を見上げる。
そんな私のもとに、聞き慣れた声がした。
「……殿下?殿下はもう行ってしまったのか。……む。み、ミーシャ様……一体、どうされたのですか?その魔力は……」
ハイネさんだ。部屋に入ってきたハイネさんは、アーサーを探してここに来たようだ。私はそんな彼に声をかける。
「殿下は再び災厄を討伐するために行きました。そして……ハイネさん。私も、行きます」
「……なに?」
「先程軍の方の地図を見ました。災厄の場所は把握しています!」
「……!!そ、そんな……」
ハイネさんが驚きの声を上げて腰を抜かしているようだ。
まあ、人が飛ぶところを見れば、私も同じ反応をしていただろう。
身体中に溢れる魔力を集中する事で、私は宙に浮く事が出来た。そのまま空へと旋回して、そして私は目的地へと向かう。
――アーサーのもとへ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます