第10話 初めての朝

朝。

外で小鳥が鳴いている音が耳に入ってきて目を開けると、窓から朝陽が差し込んできていた。レースのカーテンに陽光が当たってきらきらと穏やかな光が部屋を満たしている。


目を覚ました部屋の中を見渡して――やはり落ち着かないな、と思う。

こんなホテルに泊まるにはどれくらい宿泊費がいるんだろうとか、庶民的な事を考えてしまう。


……まあ、いいか。

将来的な事を考えると、この状況には慣れない方がいいのだ。

私は三ヶ月で王宮を去る予定である。この華々しい建物には永久にいられる訳ではないのだ。村に戻ってから莫大な財産を築けるだけの自信も無い。ここにいるのは期間限定である――そう思っているくらいでちょうどいいだろう。


私は身支度をし、部屋を出る。

王宮での食事は料理人が用意してくれているらしい。ただ、皆起きてくる時間はバラバラだから皆に合わせて料理を作っている訳ではないと聞いた。料理は作り置きしてくれるという事なのだろう。

朝起きたら料理が用意されているというのは便利だけど、自分で作りたい時に作らせてもらえればもっと良かったな――。

そんな事を考えながら私は食堂に入った。


「――おはよう」

「わっ。おはようございます!」


私は少々動揺した。

そこにアーサーがいたからだ。

アーサーに乞われて王宮に来たとはいえ、四六時中一緒の生活をする訳ではない。私は、区分としては庭師や侍女など、王族とは異なる勤め人として来ているという立場だ。だからアーサーと食事をする事も無いと思っていたんだけど……。


「ミーシャ。いつもはこの食堂は王宮に仕えている者でいっぱいになる。だが、今日は彼らが駆り出される用事があってね。皆不在という訳だ。食堂がこんなに空いているのは滅多に無いようだな」

「そ、そうなんですね。……私、王族の方は別の食堂を利用するものかと……」

「いつもはそうなんだが、今日ばかりは特別だ」

「それは……どういう……」

「ミーシャが来てくれて、初めての朝食だからな」



アーサーはそう言うと、後ろからプレートとグラスを次次に出した。

サラダに炒り卵にベーコン、ソーセージ、魚を柔らかく煮たもの、豆を煮込んだスープ、野菜と肉とクリームのスープ、平たいパンに丸いパンに、牛乳に果汁のジュースに……。



「で、殿下。その……朝食としては多いです」

「ん、そうか。すまない、ミーシャは身体が小さいからな。少しずつ味見してみて、好きなものだけ取ってくれたらいい」


アーサーは笑みを浮かべてそう言う。

身体が小さいと言われて私は少し戸惑う。

私の身長は別に大きくも小さくもない、平均くらいだと思うが……。

…………。


そこまで考えて、私はある事に思い至った。


――そうか。

アーサーは私の事を猫と見ているんだ。

しかも、恐らく子猫を想定しているんだ。


私は今まで実際に猫を飼った事は無いが、猫を飼いたいと思った事はある。

そんな時、猫の飼い方の本を読むようにしていた。猫との生活を文章で読むと、本当に一緒に住んでいるような心地になるからだ。だから猫を迎える時の作法は何となくわかっている。

基本的に家に猫を迎える時は子猫の頃から迎える事が多い。まだ幼い時の方が環境の変化に適応させやすいからだ。

子猫というのは、生まれた頃はグラス大くらいの大きさしか無く、小さなぬいぐるみが歩いているみたいで、とても愛らしい。

その上で、子供というのはどんな生き物であっても体調を崩しやすいものだ。



迎えた子猫がきちんと食事を食べるか否かというのは、飼い主にとっては重要な場面なのである。

だから、アーサーがじーーーっと私の事を見ているのも、無理からぬ事なのだ。

そんな事を考えながら、私はトーストのパンをちぎり、口に含めた。

…………。



「美味しいかい?」

「……はい。一口食べただけでわかりました。すごく美味しいです!」

「っ、本当か!良かった、それは良かった。よし。まだまだお代わりはあるぞ!」

「……いえいえ、今回頂いたものがまだ沢山あるので。今日はこれで大丈夫です」

「む。そうか……」



アーサーは少ししょんぼりしたようだった。朝から感情の起伏が激しい。まあ、私も初めて迎えた子猫を前にしたら正気ではいられないと思うから、受け流すことにしようか。

私はプレートの食べ物を見つめながらアーサーに話しかける。



「折角持ってきて頂いたのに恐縮なんですが、自分の身体だとこれら全部は食べられそうにないです。殿下の食事がまだなら、お好きなものをどうぞ」

「…………」

「殿下?」



――何故だろう。

私の提案に、一瞬アーサーの言葉が止まった。

が、その違和感も一瞬の事で、アーサーは私のプレートからひょいひょいと食べ物を自分のプレートに持っていく。



「ありがとう。半分くらいは持っていこう」

「おお。殿下は卵とか肉を使った料理がお好きなんですね」

「この手の食材はエネルギーになるものだからな」

「私の村でもよく食べていましたよ。忙しい時は全ての栄養を一度に取ろうと思って、野菜も肉も全部卵で炒ったものをよく食べていました。村で鶏を飼っている人が採れたての卵を分けてくれたりしたので、美味しかったな……。もし機会があれば、殿下にも作ってあげたいくらいです」

「…………」

「殿下?」

「……すまない。王家が食べるものは専属の料理人が作るという事になっていて……。現状ではミーシャの話は受け入れられないな。申し訳ない」



アーサーの言葉を聞いて、私ははっとした。

……そうだ。

フレンドリーに話しかけてくるとはいえ、私とアーサーでは立場が違うんだ。

差し出がましい申し出をしてしまった――と心の中で反省する。


私がここにいるのは、アーサーの猫になるためだ。

アーサーは気ままに過ごしてくれていいと言っていたけど……。でも、それにも限度がある。なるべくアーサーの喜ぶような振る舞いを心がけないと。



私はそう考えながら食べ物を口に運ぶ。

「……このクリームスープ、濃厚で美味しいです。パンを浸して食べるの、好きです」

「そうかそうか!」

アーサーの周りからぽわぽわと魔力の輝きが現れる。

……うん。

普通の食卓とは言い難いかもしれないが、共に食べている者が幸せそうなのは何よりだな、と思った。

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