第7話 絶対、嫌だ

アーサーの言葉を聞いて、私はシンと黙り込む。

髪……

髪?

……そういえば。

村が災厄に襲われてアーサーに助けてもらった時、彼が髪を触った瞬間があった。

あの時に、そんな事を思っていたのか……?

私は裕福な生まれで無い事もあって、ヘアケアにそこまでお金を割いている訳ではない。よって、私の髪にそんな価値があるとは思えないが……。

…………。

いや。



そういえば、前世の記憶を思い出してから、明確に日々のやり方を変えた事があった。

お風呂だ。

前世で過ごしていた日本に比べると、ベルリッツは乾燥している気候で、毎日風呂に入らない人も多くいる。だが、日本人として毎日バスタイムを楽しんでいた頃の記憶が蘇ると、そのままの生活は出来なくなった。家族に頼み込んで、手伝いの時間を増やす代わりに毎日お風呂に入るようにしたのだ。

だから、私はベルリッツの一般的な人間よりも髪が綺麗な状態に保たれているのだろう。

それにしたって、猫と同じと言われたのは初めての事だけど……。



私が戸惑っているうちに、アーサーは私の手を握って言う。

「ミーシャ!……俺は、今生では二度と猫に触れられる事は無いと思っていた。過去の思い出を夢に見るだけの日々だった。だが、君に会って、俺は再び猫と触れ合えるようになったんだ!」

「殿下……私は猫ではないです……」

「大丈夫だ!それは理解している。――だが、君の髪は、まさしく猫の毛皮と同じ感触だった。これを逃したら二度と俺は猫に触れられなくなるだろう。だから――ミーシャ。君には王宮に住んで欲しい。生活に必要なものは全て用意するから、俺の精神安定の為に、近くで一緒に過ごして欲しい」

「精神……安定」

「そうだ。つまり……仕事としては、カウンセリングという事になるだろうか」

「カウンセリング……」

「ああ。周りの人間にはそう説明しよう。……王宮の一室に暮らしてもらうし、報酬は弾む!だから、頼む。俺の近くで支えて貰えないだろうか」



アーサーの懇願の言葉を聞いて、私は考える。

カウンセリングか……。

助けられた日から、私はアーサーに憧れを持っていた。アーサーの力になれるような事があればと夢想をした事もある。

だから、これは悪い話では無いのではないか?

私はこれから猫の真似をして、アーサーを癒やして……



ちょっと待て。


本当にいいのか?

猫で……いいのか?

前世の私の家族は裕福ではなかった。その理由は手に職を付けなかった事にある――と両親は話していた。

――私達が一緒になった事自体には後悔は無いけれど、どこでも通用するようなスキルを身につけるのは生きていく上で重要な事だった。そうでなかった私達は転職で苦労して、条件の悪いところにいってしまった。貴女は気をつけなさい――と。


この先、王宮でずっと身分を保障してもらえる生活が出来るとは考えにくい。いつかはアーサーも結婚して妻と子を持つようになるだろうし、そんな時に猫役と称して部屋に入り浸る人間がいたら絶対問題になる筈だ。だから、いつかはもとのように村や街で生きていく事になるだろう。

その時、私はどういう状況で新たに仕事を探す事になるんだろう。


私は、猫を飼いたいけど飼えない人の為に猫の真似をしていました、とアピールする……?

――絶対、嫌だ。

普通に考えて仕事の能力のアピールには繋がらないと思う。というか、そのアピールで採用してくれる人がいたらそれこそ危ないような気がする。


うん。

やめよう。



「ごめんなさい!殿下、私は、ここにいる事は出来ません!」

「……そんな……」


私の答えに、アーサーが絶望した表情になった。

恩人のそんな顔を見ると胸が痛む。

だが、私だって生活というものがあるのだ。アーサーの言うことをそのまま受け入れる訳にはいかない。

それに、まだ気になる事がある。


「……殿下のお話を聞いていて思ったのですが、呪いを受けたのは猫に関するものだけなのですよね?」

「ああ、そうだ。神との契約とは、契約者の最も好むものを奪うというものだからな。他のものは対象にはならない」

「ならば……他の動物で代用出来るのではないですか?犬とか、ウサギとか、小動物とか……」


私の提案に、アーサーは首を振った。


「それを試してみた事もあるが……駄目だった」

「駄目だったんですか……」

「無論、犬は可愛い。ウサギもフクロウもハムスターも、他の動物たちも皆それぞれの可愛さがあった。だが……、様々な動物に触れる度に、やはり猫とは違うという感情が湧いてしまう。俺のそういう気持ちを感じ取るのか、動物達も俺からは距離を取るようになってしまった……。だから、他の動物で代用する事は出来ないんだ。猫を失った心は猫でしか埋められない。ミーシャ。故に、俺は君が必要なんだ」

「そ、そうですか……。……ですが、殿下。私でなくとも、同じような髪質の女性は探せば沢山いると思いますが……」


そうだ。それが二番目に感じた疑問だ。

ベルリッツの一般的な人間よりは綺麗な状態だったかもしれないが、裕福な貴族の間で探せば恐らく似たような人間は多く見つかるのではないか。わざわざ私に固執する気持ちがわからなかった。

だが、アーサーは首を振る。



「――いや。恐らく、これほど俺にぴったりと合う人はもう現れないだろう。だから君にいてほしいんだ」

「い……いや。殿下に協力してくれる方は沢山いると思いますし、私よりも好みの相手が見つかる事もあると思いますけど……」

「――ミーシャ。これは俺の趣味に留まる話ではない。災厄にも繋がる話なんだ」

「さ、さいやく……?」



迫真の表情になるアーサーに私は慄く。

「君も知っての通り、魔力というのは身体の調子が悪い時にはうまく出力出来ず、反対に心身ともに充足していたら体中に満ちるものだ。ミーシャ。君の村に災厄を討伐しに行った時、俺はかつてない程魔力が身体に溢れて、災厄を倒す事が出来た。……わかるか?君に触れる事で、俺は猫に触れたような心地になった。その影響で、俺の魔力が上昇したんだ」

「ほ、本当ですか。私に触る事で……魔力が上昇……!?」

「俺とて、自分の心を満たすだけならばここまで拘泥しなかったかもしれない。だが、災厄との戦いにも関わる事なんだ。……近年は災厄の発生ペースも上がっていて、俺は主力として期待されている成果を出せていない状態でいる。何らかの対策をしなければいけない――そう苦心している所に君が来た。だから、頼む!」

「そ、そうですか……うーん……。でも……」



災厄が絡んでいるとなると、私の心は揺らぐ。あの時助けられた分だけ、何らかの力になれればいいと思っていた。私が生活を変える事で災厄を祓う事が可能になるならば……。

……でも、そんな大役が私に務まるんだろうか?

私がうまく猫役が出来なかったとしたら、それで色んな人にも影響が出てしまうんだとしたら……。

私の迷いを感じ取ったのか、アーサーは口を開いた。



「……そうだ、期間を決めるのはどうだ!?とりあえず三ヶ月続けて、それで駄目だったらもとの生活に戻ってくれたらいい。それなら、どうだろうか!?」

「三ヶ月……」


アーサーの提案を聞いて、私は考える。

ずっとそんな生活を続けるのは難しいだろうと思っていた。でも、それくらいならなんとかなるかも。


「じゃあ……。わかりました。受けます」

「!……本当か!ありがとう。ミーシャ。俺のミーシャ。世界一大切にする……!」

「い、いや、そういうのはいいですから……」


アーサーにもし犬の尻尾がついているなら、千切れんばかりに振っていただろう。そんな彼から私は少々後ずさった。

私が本当にアーサーの飼い猫ならまだしも、実際は行きずりの人間に過ぎないのに。

……それとも、アーサーの目には本当に私が猫に見えているのだろうか。

まあいい。

私は私のやるべき事を確認するまでだ。

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