異世界から転移してきた少女は図書館司書とのなんだか噛みあわない会話を乗りこえ、コンプレックスを克服する?

中靍 水雲|𝘔𝘖𝘡𝘜𝘒𝘜 𝘕𝘈𝘒𝘈𝘛𝘚𝘜

なんだか噛みあわないような気がします

「なんてうるさい音で走って行くんですか、あの乗りもの……」

 弱弱しいわたしの声がはらはらと、冷たい道路に落ちていく。

 見知らぬ国。なじみのない土地。どこもかしこも、わたしにだけそっけない風景が広がっている。

 ここは、どこなんだろう。草木のにおいも、風のそよぎも、太陽のあたたかさも、わたしが住んでいた国・玻璃はり王国おうこくとはどこか違う。あたたかい陽気もどこか、しらじらしく感じてしまう。

「あっ、あれは」

 噴水だ。玻璃城の広場にあったものに似ているから、間違いない。見知らぬ土地で知っているものを見つけ、嬉しくなって駆けよる。水はさわさわと流れ、陽の光に反射して、きらきらと輝いている。同じだ。わたしの知っている噴水と。

 ここは、玻璃はり王国おうこくとどれくらい離れた国なのだろう。わたしの国では、見たことがないものばかり。どこかの誰かの転移魔法が失敗して、わたしに影響してしまったとか? だとすれば、これからどうしよう。

「玻璃図書館でそういう魔導書を見かけたことはあるけれど……わたし自身は転移魔法なんて、できないし」

 それにしても、ここは不思議な国だ。シンプルなデザインの建築物の隣に、人情味あふれる地味な飲食店。どこに繋がっているのかわからない地下への怪しい階段があったかと思えば、隣にはすばらしい絵が飾ってあるギャラリーが。玻璃王国の風景は、玻璃城の厳かなデザインにあわせて、国の大工たちが心をこめて建てる。新しい家を建てるときも、城の大臣の承諾書がもらえなければ建てることはできない。この国では、かなり独自の文化を築いているようだ。

 そして、行きかう人すべてが、せかせかと歩いていく。質素な服を着ている人も、ごてごてに着飾った人も。どこかでお祭りでもやっているのかと思うほど。でも、そんなようすはない。空を彩る七色の炎魔法〝虹花にじばな〟も咲いていないし。

 どんどんと、わたしの不安が大きくなっていく。こんなところで、ひとりぼっちだなんて。

 灰色の翼を持った動物が、そばで「クルック」と鳴いた。玻璃王国では見ない動物だ。可愛いな。クルクル。この鳴き声、不安だった心が一気に癒されていく。

「いったん、つまらない悩みは置いておきましょう。だって、この世は地続き。いつか家に帰れるはず。まずは目の前の可愛いものに目を向けましょう! うん。それがいいですーっ」

 弱々しい声でいうと、わたしはポンと、鎖骨のあたりを叩いた。続けて、喉の空気をポコンと吐き出す。よし、悩みはこれで吐き出したぞ。ネガティブをポジティブに変える方法。わたしにはこれが、一番効くんだ。こうでもしないとわたしってば、いつまでも悩み続けるんだから。

「きみ」

「はい?」

 クルックーから顔をあげると、わたしの父さまと同い年くらいの男性が立っていた。ショートカットの黒髪と、すました猫のような瞳。玻璃王国の露店通りでよくランプと古本を売っていた商人に雰囲気が似ている。

 そういえば、そこで買ったぽむたぬシリーズの五巻、まだ途中までしか読んでない。十四歳にもなって童話だなんて、と母さまによくいわれるのだけど、わたしはこれからもたぶん、童話を読み続けると思う。落ちこんだわたしの心を癒してくれるのが、童話なんだ。早く帰って、続きが読みたいなあ。

「おーい。おれの声、聞こえてるか」

「す、すみません。えっと……?」

「怪しいものじゃない。ちょっと困ってる、って話してたんだよ」

 男の人が、小さな紙を差しだしてきた。見慣れない記号が並んでいる。文字のようだけれど、わたしにはまるで読めない。玻璃王国とは文字まで違うみたい。これは困った。また不安玉を吐き出しそう。

 話す言葉は通じてるのに。変なの。

南風はえ図書館司書 霧々むむ実李みのり。気軽にムムさんって呼んでくれ」

「わたしは、トモリといいます」

「苗字は?」

 みょうじ、って何だろう。聞いたことがないな。もしかして、どこの国に住んでいるのかって意味? 隣国のほむら国では、ファミリーネームというものがあって、名前の前に焔と名乗るらしい。その国の民、全員が家族という意味だ。もしそのことなのだとしたら、玻璃王国のわたしが名乗る苗字はひとつしかない。

「玻璃です」

「そうか、玻璃くん。きみにちょっと手伝ってほしいことがあるんだよ」

 ずいぶんと年上の人だとは思うのだけど、親しみやすい、ふわりとした雰囲気がある。すてきな人だ。

「困っている人がいたら、助けられる人になりなさいと、おばあさまにいわれてきました。ぜひ、お手伝いさせてください」

 あれ、ムムさんが変な顔をしてる。何かを考えこむように「ひょっとして、お嬢さま? ずいぶん世間離れしてるな」と、ぶつぶつ何かをいっているようだけれど、わたしには聞こえなかった。

「でも……やはりきみ、いい声だな。うん。頼む、協力してほしい」

 わたしの心臓がトクン、と鳴る。小さなころから、わたしは「ビイドロさま」のような弱弱しい声だといわれてきたから。「お玻璃さま」のような美しい声になりなさいと、ずっといわれてきたから。

 古い古い、いい伝え。玻璃王国ができる前の、はるか昔。そこはまだ硝子がらす村というところだった。村には、若い姉妹が住んでいた。姉がビイドロ、妹がお玻璃。からだの弱いビイドロは、いつもお玻璃に看病されていた。

 とある冬の時期。たくわえていた食料がつきるほどの、長い長い雪の日が続いていた。そのため、ビイドロの症状はついに悪化。手のほどこしようがなくなってしまった。ビイドロの命のともしびが消えようというすんぜん、お玻璃は透明の涙を流しながら、歌を歌った。ふたりで作って、いつも歌っていた、適当な歌だ。それでも、ふたりの楽しい時間を彩った大切な歌。外では、無力な人々を嘲るような強い吹雪が舞っている。だが、お玻璃の歌はそんな吹雪をものともせず、村中に響き渡った。ガラスを簡単にくだいてしまうような、すばらしい歌声だった。ビイドロはお玻璃の歌を聞きながら、涙を流して弱弱しくささやいた。

「お玻璃の声、どこまでもどこまでも響いて、春を呼んできてくれるようだよ」

 ビイドロは、そのまま息を引き取った。お玻璃は、泣きながら何日も何日も歌い続けた。硝子村に春が訪れるまで、お玻璃の喉は枯れることがなかった。

 やがて、雪どけがおとずれた。お玻璃とビイドロの家には見たこともないほどの大きな、透明の花が咲いていた。だが、ふたりのすがたは、どこにもなかったそうだ。

 硝子村ではお玻璃の歌のおかげで、長い冬が終わったとされ、その時から名前を玻璃村と改めた。それが今では玻璃王国となり、この話は今でも語り継がれている。

 しかし、現代の玻璃王国では弱弱しい声の持ち主は、「ビイドロさまの声のようだ」と嘆かれ、情けないという意味で使われている。

 なのに、ムムさんはわたしの声が「いい」という。どこがいいんだろう。ハリもないし、滑舌も悪い。恥ずかしい声だ。「玻璃くん」と呼ばれるのも、お玻璃さまの名前をかたっているようで、恐れおおい。わたしは、玻璃王国から初めて出たから、ファミリーネームなんてものになじみがなかったから。焔王国の文化が、この国にもあっただなんてね。呼ばれるたびに、心臓がはねあがるよ。

「じゃあ、行こうか。玻璃くん」

 ムムさんが、わたしの手を引っぱって、どこかへと歩いていく。

 こうなったら、むりやりポジティブに考えよう。見知らぬ土地で、こんなに早く誰かと知りあえたのって、ラッキー以外のなにものでもない。うん、そうに違いない。

 はあ、なんだか色々考えすぎて、お腹が空いちゃったな。

「す、すみません」

 ムムさんの背中を見あげ、わたしはたずねた。

「露店はどこにありますか? 恥ずかしながら、お腹が空いちゃって」

「お祭りじゃないんだから、露天なんて出てないよ」

「ええ? じゃあ、金魚屋きんぎょや商店か、如雨露じょうろ商店でもいいです。本当は、露店の作りたてが好きなんですけど」

 金魚屋のほうは店主の気前がいい。でもその代わり、如雨露のほうは品数が多い。どっちも家族ぐるみでたくさんの国に店を構えているらしいから、この国にもあると思ったのだけど。

「そんな店、聞いたことないなあ。コンビニならそこにあるけど」

 コンビニなんて商店こそ、初めて聞いた。ムムさんが指さしたさきには、緑の看板が立っている。店構えはシンプルで、金魚屋に比べてとても素っ気ない。

 しかし、なかに入ると、わたしは自然と「わあ」と声をあげていた。軽快な音楽が流れるなか、見たこともない食べ物や飲み物が棚にきちんと整列している。棚に並ぶ商品の下には、小さな紙が貼りつけられていて、あのよくわからない文字が並んでいた。わからないけれど、空腹にはかなわない。早く買って、お腹を満たそう。

 ……あれ、待てよ。わたしって、お金持ってたっけ。わたしは、シーグラス織りのお財布を開いた。金魚屋商店で買った、お気に入りだ。

「ムムさん……」

「ん?」

「この丸い食べ物、五グラスで買えますか」

「ぐら……なんだって? もしかして、お金を持ってないとか?」

 わたしは、たった五グラスしか入っていないお財布をムムさんに見せた。もう十四歳になるのに、これだけしか持っていないなんて恥ずかしいよ。ムムさんの眉間には、ルヴェール谷より深いしわが刻まれている。情けない。

「まあ、奢るよ。手伝うっていってくれたし」

「ほ、ほんとですか。申し訳ないです」

「子どもがそんなこと、気にするな」

 ムムさんは、「ツナマヨおにぎり」という文字が並んだ食べ物を店主のほうへと持っていった。店主は二、三人いるらしく、左側の男性が対応していた。

「あじゃざざーっす。こてぃら、ひゃくにじゅよえんになりゃす」

 聞き取れない。難しい言語。ムムさんがしゃべるものとは違う。ムムさんは理解しているみたいだ。すごい。

「てぃーぽいんとかーどをよみとりました」

 機械がしゃべった。このコンビニなる店には、機械工学に精通した魔導使い、いわゆる〝魔の研究者〟がいるのか。すごい。

 帰ってきたムムさんが「ツナマヨおにぎり」と「緑茶」という商品をくれた。緑茶は頼んでいない。どうして。

「これ……」

「おにぎりにあう飲み物といえば、お茶だろ。早く行くぞ」

 ムムさんは、間違いなく優しい人。玻璃王国に帰れたら、この人に盛大にお礼をしなくちゃ。そのためにもまずは、お手伝いをがんばろう。


 ムムさんに連れて行かれたところは、とてもせまかった。どこかの施設の倉庫らしい。大きな茶色い箱がいくつも積まれ、奥に追いやられている。灰色の長机には、大量の本が積まれている。そういえば、この施設に入ったときにも大量の本を見かけた。たくさんの棚に、本がぎっしりつまっている光景。

「もしかしてここは、図書館ですか?」

「どう見ても図書館だろ」

 机の上を片づけながら、ムムさんが呆れたようにいった。本を隣の机に追いやり、さらに積み重ね、塔のようにしている。片付けるのが苦手なのかな。

「おにぎりを食べながら待っていてくれ」

 ムムさんがイスをすすめてくれた。何を待つのかわからないけれど、とりあえずお腹が空いているわたしは遠慮なく、ぱくぱくと食べはじめる。もぐ、ちょっと待って。なんておいしいの。かたちが丸いので、玻璃王国にある伝統料理。生地のなかに水生生物を入れて丸く焼きあげる〝燦々さんさん〟のようなものかと思ったら、まったく違う。この国の料理、奥が深い。気づいたら、一瞬でなくなっていた。ごきゅごきゅと緑茶を飲みながら、余韻に浸るわたし。

「ずいぶん、小さな図書館なんですね」

「たしかに県内では図書館のランキングに入ってないけど、蔵書数も少なくはないし、これでもがんばってるほうなんだがーっ?」

「す、すみません。わたしがよく通っていた図書館は、壁一面が本で埋めつくされていて、ふきぬけの天井まで続く階段を登りながら本を探すような広さだったので。手の届かない本はハシゴや、翼の生えた司書さんにお願いして……」

「あった、あった。いっしょに奥に追いやっちまってた。玻璃くん。この本、ざっと目を通してくれるか」

 それは、絵本だった。表紙に大きく「ぺこぺこうさぎさん」という文字がならんでいる。どういう意味なのかはわからないが、長い耳の生えた動物が描かれている。玻璃図書館にも、たくさんの絵本がある。子どもの本のコーナーには、いくつものソファや寝転んで読めるよう絨毯もしいてあり、常連の子から初めて来た子まで、あたたかく包みこむような居心地のいい空間が作られている。わたしも小さなころから何度も通っている、大好きな図書館だ。

 でも、なんでわたしに、この絵本を?

「この絵本の朗読をしてほしい。今からこれの人形劇をやるんだが、読み手の司書が風邪を引いちゃってね。代役も立てられず、困っていたんだよ。……どうかな」

 そういうことだったんだ。でも、どうしよう。わたしは、この国の文字が読めない。話す言葉が伝わるからか、ムムさんはすっかり、わたしがこの国の住民だと思っているみたい。

「えーと。あと、どのくらいのゆうよがあるんでしょうか」

「悪い。あと、二十分しかないんだ。連絡がぎりぎりだったもんでね」

 ムムさんが、壁の丸い飾りを指さす。止まっている長い針の上を、短い針がゆっくりと進んで行く。時の流れを示す、壁飾りのようだ。玻璃王国にはなかった文化なので、「二十分」が、どのくらいのゆうよなのかわからないけれど、時間がないのだけはわかる。まずいよ。

 でも、断りたくない。おにぎりのご恩もあるし。なにより、ムムさんががっかりした顔を、見たくない……。

 トントン。倉庫の扉が、音を奏でた。突然のことに、ぎょっとしてしまう。

「か、勝手に扉が。妖精が扉にいたずらしています」

「……玻璃くん。ノックが鳴ったくらいで、ずいぶんとメルヘンなことを考えるんだな。さすが、熱心な図書館ユーザーだ」

 ムムさんが笑いながら、倉庫の扉を開けた。

「あれ、ずいぶんと可愛らしい助っ人さんだね」

 倉庫に入ってきたのは、美しい丸メガネの女の人。ゆったりとしたスカートをゆらしながら、あたたかな笑顔を浮かべている。

「こんにちは。わたしは、六幻むげんねるね。玻璃ちゃん、ムムさんから聞いたわ。いきなり、ごめんね」

「いえいえ……」

「でも、助けに来てくれて、本当に助かるの。この絵本をそのまま読んでくれればいいからね」

「は、はい」

「短いお話だから、すぐに終わるよ。一回、わたしが読んでみるね」

 ねるねさんは絵本を開くと、すらすらと物語を読みはじめた。


 ぺこぺこうさぎさんは いつもはらぺこ

 ぺこぺこぺっこり すみません

 ぞうさんに あたまをぺっこり します

 そのケーキ わけてもらえませんか

 どうぞ いっしょに たべましょう

 わあ ぞうさん ありがとう


 続いて、きりんさん、かめさん、最後にくじらさんに食べ物をわけてもらう、うさぎさん。聞いたことがない動物ばかりだったけれど、とても可愛い絵で描かれている。かめさんというのが一番、不思議な造形だ。

 ねるねさんの声ははきはきとしていて、聞き取りやすかった。まるでお玻璃さまのような聞き心地。わたしなんかよりも、ねるねさんのほうがいいんじゃないかなと思ったけれど、他に仕事があるんだろう。ねるねさんみたいに、読めるようにがんばらなくちゃ。

「ちょうど時間だ。玻璃くん、準備いいかな。絵本をそのまま読んでくれたらいいよ」

 ムムさんが時の流れをしるす壁飾りを見あげ、いった。わたしは、うなずく。ねるねさんのおかげで、内容は頭に入った。子ども向けだからか、シンプルな内容だったし、言語の流れもリズミカルで覚えやすい。よし、いける。


 玻璃図書館に比べて、規模はだいぶ劣るけれど、南風図書館の良さは別のところにあるようだった。壁のはり紙になんとなく目をやっていたら、ねるねさんが「読み聞かせは毎週日曜日だよ」と、指さしながら教えてくれた。他にも「こっちはブックピクニックのお知らせ。マルシェや、おもちゃ病院、古本市や、工作教室もやるよ。今度、ぜひ来てほしいな」「ここ、南風市はえしの歴史講演会も、うちの二階でやるんだよ」とはり紙の内容を教えてくれた。小さいぶん、利用者さんとのつながりも強いんだろうな。すてきな図書館だ。

 あれ。今、ねるねさん、なんていった? この国の名前、南風市はえしって呼んでたよね。

 そんな国、地図で見たことない。どこかの国の地方かな? いや、やっぱり思い当たらないよ。ほむら国でも、斜陽しゃよう国でも泡沫うたかた国でもない。

 まさかここは、わたしがいた世界とは、別の世界なんじゃ……。

「玻璃ちゃん。準備はいいかな」

「は、はい」

 すでに何組かの親子が、カラフルなマットの上に集まっていた。いよいよだ。気になることはたくさんある。でも今は、こっちに集中しなくちゃ。

 初めての舞台、わたしの鼓動がどんどん早くなっていく。玻璃王国のヴィードロ教会では、毎年花の季節になると「芽吹きの感謝の鐘」を鳴らす。花の芽吹きをイメージした、早鐘だ。ドクドク、ドクドク。私の心臓も早鐘のようにドクドクと、せわしく鳴っている。うう、緊張する。

「はーい。では、時間になりました。はじめましょう」

 ねるねさんが、マットの上に乗る。それに続いて、ムムさんも。わたしも、わけもわからないまま、ふたりに続いた。

「今日は、うさぎさんのお人形劇です。みんな、うさぎさんは好きですかー」

 子どもたちが元気よく、手をあげる。緊張で見えていなかったけれど、ねるねさんたちの後ろには、腰くらいの高さのしきりがあった。茶色い布がかぶせてある。そうか、人形劇って、こんなんだった。わたしも、子どものころに見たことあったっけ。

 玻璃図書館の倉庫に迷いこんだとき。こんなしきりといっしょに、たくさんの人形がしまわれていた。三角耳で茶色い毛なみのペリキュル、くるりと曲がったツノがかっこいいブテイユ、丸くて白いふわふわのフィオル。懐かしいな。可愛い人形に見とれていたら、司書のフラムに見つかってしまったんだよね。

「トモリさま。またいたずらですか。ともあろうものが」

 そのときのフラム、北風のような大きなため息をついていたっけ。

「露店でよく買い物もしているようですね。大臣たちが嘆いていましたよ。おひとりで市街など行かれて、暴漢にでも襲われたらどうするんです。自分が王族の人間だという自覚を持ってください」

 まだまだ説教を続けようとしているフラムの口が、ぴたりと止まる。わたしが手に持っていた人形。それが、ビイドロさまの人形だったから。

「……また、いわれたんですか。玻璃王国の姫なのだから、お玻璃さまのような声になれと」

 フラムはその大きな手を、わたしの頭の上に乗せた。

「どうか、気になさらないで。あなたはそのままで、すばらしい。なぜなら、その声はちっとも弱弱しくなんてないのだから。ガラスのように美しく、力強い声ですよ」

 ガラスが強いわけない、すぐ割れてしまうじゃない、というとフラムは「ふふ」と笑う。

「強いですよ。なぜか知りたいのなら、もっと本を読みなさい」

 わたしはビイドロさまの人形を見つめ、「強いわけない」とくり返した。わたしのか細い声に、ビイドロさまの人形がこてんと首を傾げていた。

 わたしの声は、ビイドロさま。でも、今日だけは……お玻璃さまのようにならなくちゃ。玻璃王国では変われなかったけれど、誰もわたしのことを知らないこの場所でなら、わたしは変われるはず。ポジティブにがんばれば、この声だって、変えられるはず。わたしはこっそりと胸を叩いて、不安玉を吐き出した。

「それじゃあ、お人形劇のはじまり、はじまりーっ」

 パチパチパチ、と小さな手が拍手をしてくれる。ムムさんとねるねさんがわたしと目を合わせて、同時にうなずいた。わたしは落ち着いて、絵本のページを開く。


 ぺこぺこうさぎさんは いつもはらぺこ

 ぺこぺこぺっこり すみません

 ぞうさんに あたまをぺっこり します

 そのケーキ わけてもらえませんか

 どうぞ いっしょに たべましょう

 わあ ぞうさん ありがとう


 ムムさんとねるねさんの人形操作にあわせ、わたしは声を出す。子どもたちは目をきらきらと輝かせて、うさぎさんとぞうさんをジッと見つめている。わたしの声、大丈夫かな。子どもたちは気にしていないみたいだけれど、そのお母さまやお父さまたちは、気にしていないだろうか。わたしのおばあさまは、わたしの声を特に気にしていた。

「こんなにいい子なのにねえ。声だけがねえ……」

 そんなに、変かな。わたしは全然、そんなふうに思わないのに。でも、みんなにいわれればいわれるほど、自分の声が嫌いになっていく。

「かわいいーっ」

 パチパチパチパチ!

 星がはじけるような、たくさんの拍手。子どもたちも、そのご両親も、両手を鳴らしてくれている。

「これで、お人形劇はおしまいです。みんな、この後も図書館でゆっくりしていってくださいねー」

 ムムさんが、ぞうさんの人形をふりながらいう。ねるねさんも、うさぎさんの右手をふっていた。子どもたちがわいわいと絵本の棚へと駆けていく。

 ムムさんとねるねさんが、人形劇の用意を片づけはじめたので、わたしも手伝う。

「いやあ、玻璃くん。助かったよ。初めてとは思えない、堂々とした態度だったな」

「一応、人前で話すのは慣れているんです。こういう場では、初めてでしたけど」

「えー、そうだったんだ。すてきな偶然! どういう場所で特訓してたの?」

 ねるねさんに、うりうりと尋ねられたので、わたしは正直に答えた。

「他国との謁見のときに、父さまに発言しろといわれたときや、誕生日パーティーでの挨拶などですかね。まだまだ、緊張しますけど……」

 わたしがいうと、ムムさんとねるねさんは顔を見あわせ、困ったような顔をした。玻璃王国の姫だってこと、ついにいっちゃった。五グラスしか持っていない人間が他国の姫だなんて、信じられないだろうけど。

「そうなのか。まあ、よくわからんけど、でもいい朗読だったよ。ありがとうな」

「うんうん。一度もつっかえなかったしね。それに、絵本のほうを一回も見なかったよね! わたしたちの人形のタイミングに合わせて、読んでくれてた! まさか、あの一瞬でお話の内容を暗記したの?」

 わたしは、うなずいた。ねるねさんとムムさんが驚いている。この国の文字をわたしは知らない。だから、ねるねさんが読んでくれたときに、覚えるしかなかった。パーティーのときに覚える挨拶文の量に比べたら、大したことじゃない。

「玻璃くん。また、助っ人に来てくれよ。おれはその、きみの鈴みたいな声が気に入ったんだ」

 ムムさんが、図書館のカギにつけられた、丸いものを「リン」と鳴らした。この音色は、玻璃王国でも聞いたことがある。家の窓辺に飾られる、ガラスの鳴りもの〝玻璃玉〟。風に吹かれると、リン、となる玻璃王国が誇る工芸品だ。

 わたしの声が、その音色に似てるだなんて……嬉しいに決まってる!

 玻璃王国に帰れる日まで、ここでお手伝いするのも、ありかもしれない。でも、わたし、これからどうやって暮らしていけばいいんだろう。お財布には、五グラスしかないしなあ。

「あ、あのう」

 わたしは意を決した。ドキドキする心臓をおさえながら。

「家に帰れないんです」

 ムムさんとねるねさんは、不思議そうにわたしを見つめた。

「ここ、わたしのいた国とは……いえ、わたしのいた世界とは……どうも違うような気がして……」

 またしても不安がたまったのか、わたしはつい、トンと胸のあたりを叩いた。喉の奥から、ポコンと不安玉が出る。透明のガラス玉という〝かたち〟となって。

「え」

 それは、コロコロと転がり、ムムさんの革靴のつま先で止まった。

「(これは……?)」

 ムムさんが何かをいった。なのに、それを理解できない。わたしは混乱した。嘘。この土地の言語がわからなくなってる!

 あのガラス玉に、翻訳魔法がかかっているんだ。だから、初めて来たこの国でも言葉が理解できていた。いったい誰が、何の目的でこんなことを。

「そうだ。ようやく思い出した」

 わたしはここに来る前、玻璃図書館に併設されたカフェで、フラムとお茶をしていた。しかし、ハーブティーを一口飲んだ瞬間、わたしは眠りについてしまった。意識が遠のくなかで、フラムがいっていたことを思い出す。

「トモリさま。どうか、玻璃王国とは違う、異世界の価値観を学んで来てください。そうすれば、あなたは一回りも二回りも成長なさるでしょう。異世界であなたが滞在する予定の国のというものをあなたに送ります。〝可愛い子には旅をさせよ〟。どうです。今のあなたにぴったりの言葉でしょう」

 わたしは頭を抱えた。ガラスの翻訳玉を手に、わなわなと震え出す。

「異世界で旅って……いくらなんでも、遠すぎでしょっ!」

 でも、今の声。

 私の人生のなかで、一番好き……かもしれない。


 おわり

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