第16話 一日の終わり
(…………少し、びっくりしました)
ベッドの上。
エリクを抱き締めたまま、ヒストリカは心の中で呟く。
先ほど、エリクの方から抱き締められた感覚が今もなお背中に残っていた。
そもそも異性とこのように密着するなんて初めての経験だったので、少し感情が乱れてしまったことは否定できない。
とはいえ治療行為という当初の目的は変わっていない。
エリクを抱擁するという行為に対しヒストリカは至極真面目な姿勢で、すぐに平静を取り戻した。
「……エリク様?」
尋ねるも、返ってくる言葉は無い。
代わりに、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。
(……眠ってしまわれましたか)
ほっと、ヒストリカは小さく息をついた。
随分な荒療治だったが、無事エリクの中で副交感神経が優位になってくれたらしい。
普段、眠りに入るまでどのくらいかかるのかはわからないが、随分と早い入眠に思えた。
ここ一週間は碌に寝れていないと言ってたし、目元に深く刻まれた濃いクマから察するに相当疲れが溜まっていたのだろう。
自分の腕の中で無防備に眠るエリクを感じると、不思議と胸の辺りが温かくなる感覚がした。
それがどんな感情なのか、ヒストリカにはわからない。
(細い……)
エリクの身体を抱き締めていて、改めて思う。
女である自分としてもちょっぴり嫉妬してしまうそうなほど、エリクの身体は細い。
悪く言うと、頼りなかった。
だがエリクの身体の華奢さが、仕事に追われて食べる間も無かった故の結果だと思うと笑い事ではない。
食生活は健康な身体を形作る大事な要素だ。
こんなにもボロボロになるような食生活は、明らかに健全とは思えなかった。
(エリク様の食生活の見直しも、目下の課題ですね……)
そんな事を思った。
このままの体勢で朝まで過ごすのは、体力に自信があるヒストリカでも流石に腰周りが爆発してしまうので、エリクをベッドに寝かせる事にする。
身体を少し後ろに下げて、エリクの頭がちょうど自分の肩にもたれかかる体勢に。
それからそーっと、エリクを少しずつ自分の身体から離してベッドに横たえた。
エリクは一瞬、「ぅん……」と眉を顰めたが、やがて何事もなかったように寝息を再開する。
どうやらまだ、寝入りが浅いようだった。
エリクに毛布をかけたあと、静かにベッドから降りる。
それからそろりそろりと部屋を回って、明かりを落とした。
エリクの睡眠を邪魔しないよう、そのまま部屋に戻るという選択肢が頭に浮かんだが、一緒に寝ると言った上に、夫婦になったにも関わらず一緒に寝ないというのもおかしな話だ。
部屋を分けたのは、不眠で睡眠を滅多に取れないエリクなりの気遣いか何かだろうとヒストリカは察した。
真っ暗闇の中ベッドに戻り、エリクの隣に潜り込むヒストリカ。
間近で自分以外の寝息がするというのは、なんとも不思議な感覚だった。
身を横たえると、程よい疲労感と眠気が訪れる。
(今日は、色々な事がありました……)
ぼんやりとした思考の中で、思い返す。
実家を出て、あれよあれよのうちにエリクの屋敷に来て。
醜悪公爵と嫌煙されるエリクと顔を合わせて、あの日助けた男性だと知って。
噂とは違う、彼の人となりをこの目で見た。
少なくとも、悪い人ではないとは思う。
だがヒストリカの内心はまだ警戒を緩めていない。
この国の男尊女卑の風潮で酷い目に遭ったヒストリカは、出来る限り前に出ようとはせず、エリクの二歩ほど後ろに下がっていようと思っていた。
エリクと過ごした時間はまだ二十四時間にも満たない。
人間には裏表があって、エリクもいつ裏の部分──ハリーが持っていたような側面を出してくるかはわからない。
自分の身を守るため、警戒するに越した事はなかった。
といった、ネガティブな心境はありつつも。
(エリク様は、私と同じ……)
周りの環境に、あまり恵まれなかったのかもしれない。
そんなシンパシーも抱く自分もいた。
そうこう考えているうちに、いつの間にかヒストリカは眠ってしまっていた。
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