第13話 不眠症
「今日はもう寝ますと、お約束したはずですが?」
エリクが手に持つ書類と思しき羊皮紙を見て、ヒストリカは温度の低い声で尋ねる。
「えっと、これはだね……!!」
明らかに挙動不審なエリクを、じーっと目を細めて見るヒストリカ。
「た、たまたま書類が寝室に落ちていたから、拾おうとしたんだ。ほら、紙が床に落ちてたら、滑って危ないだろう?」
じー。
「だから、決して仕事をしようと思ったわけでは無いというか、なんというか……」
じーーーーーー。
「…………はい、仕事しようとしてました。ごめんなさい」
「素直でよろしいです」
すっと、ヒストリカが目に込めていた圧を緩めた。
「しかし、この期に及んでまだ仕事をしようとするのは、感心しませんね。ソフィからも注意を受けたでしょう?」
「す、すまない……もう今日は仕事をしないと思ったはいいものの、身体が勝手に動いてしまって……」
弁明するエリクはまるで、怒られてしょんぼりする子供のよう。
そんな彼の仕草を、ヒストリカはなんだか可愛らしいと思ってしまう。
「まあ、いいです。今までの習慣として身体に染み付いているのでしょうから、急に変えろと言われても自分の意志だけでは難しいものがありますよね。私の配慮不足でした、大変申し訳ございません」
「そんな、君が謝る事じゃないよ。むしろすまない、約束を反故してしまって……」
申し訳なさそうに目を伏せ謝罪の言葉を口にするエリク。
どこぞの婚約者と違って、しっかりと自分の非を認めるあたり誠実な人なんだなと思った。
「……怒ったかい?」
無言のヒストリカに、エリクが恐る恐る尋ねる。
逆です、感心していましたと言うのも上から目線になりそうと判断し、ヒストリカは言葉を続ける。
「全く怒ってませんので、ご心配なく。ですが、私が来たからには今日はもう、就寝するしか選択肢はないと思ってください」
「そう、だね……そうなんだろうけど……」
肯定しつつも歯切れの悪いエリクに、ヒストリカは眉を寄せる。
何か隠しているような、言いたい事はあるけど言い出せない、みたいな。
そんな気配を感じ取った。
ただ、これ以上エリクを起こしておくわけにはいかない。
「ほら、早くベッドに行きますよ」
ヒストリカが促す。
しかし、エリクが動く様子はない。
「エリク様?」
「……寝れないんだ」
ぽつりと、エリクが言葉を溢す。
「寝れない、とは。文字通りの意味ですか?」
「ああ」
こくりと、エリクが力無く頷く。
「実はもう、かれこれ一週間ほどずっと起きっぱなしなんだ。ベッドに寝転がっても、布団に包まっても、眠りに落ちない。最後に寝たのは仕事中の机の上だ。寝た、と言うよりも気絶に近いかもしれないけどね」
どこか自嘲気味に話すエリクに、ヒストリカは真面目な顔で尋ねる。
「元々、寝れない体質、という事ですか?」
「そういうわけではないかな。元々は人並みに寝ていたんだ。仕事が忙しくなって、寝る暇がなくなって、エネルゲン・ドリンクを飲んで無理やり起きていたら、だんだん寝れなくなっていった。仕事が落ち着いて時間が出来ても、ずっと目が冴え渡っていて、寝れなくて……」
「なるほど」
ふむ、と顎に手を添えてヒストリカが考え込む。
「寝る、という話をしているときに、何やら気まずそうだったのはそれが原因だったのですね」
言うと、エリクは居心地悪げに目を逸らした。
「だから、本当に申し訳ないのだけれど……仕事をさせくれないかな? 流石に眠れないのにボーッとしているのは、時間が勿体無いからさ」
「わかりました」
「わかってくれたのなら、何よ……」
改めて書類に伸ばそうとするエリクの手を、ヒストリカがペシッと叩いた。
「ヒストリカ?」
「支度してきますので、少々お待ちを」
「支度……?」
そそくさと退室するヒストリカ。
彼女の意図がわからず、エリクが頭上に疑問符を浮かべていると。
「ただいま戻りました」
「…………は?」
しゅびっと戻ってきたヒストリカを見て、エリクは思わず抜けた声を漏らした。
ヒストリカの脇に、どーんと大きな枕が挟まれていたからだ。
「もしかして……」
エリクが汗を垂らして呟くと同時に、ヒストリカはなんの澱みのない表情で言った。
「一緒に寝ますよ、エリク様」
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