母の思い出

@mia

第1話

 僕のお母さんは僕のために人を殺した、と教えられてきました。

 今から五十二年前、僕が一歳三ヶ月の時でした。

 当時は両親と僕の三人で、父親の実家の近くの借家に住んでいました。近所には空き地や畑があるような町でした。

 その日の朝、お母さんはゴミ捨てに行きました。家を出て二軒先の十字路を曲がったところにゴミの集積所があったのです。

 その時、家の鍵を閉めないで行ったのです。

 そう聞くと、無用心だとお母さんのことを非難する人もいるかもしれません。でも、当時はそれが普通だったのです。ゴミ捨てなどの短い時間だけではなく、買い物に行くときも鍵を閉めない人もいました。買い物から帰ってくると玄関の内側におすそわけの野菜が置いてあった、などと言うことは珍しくありませんでした。そんな町だったのです。

 お母さんがゴミ捨てから帰ってくると、女が家の中にいて僕を抱き上げようとしていました。僕がぐずっていたので、気を取られ女は後ろにいたお母さんに気がつきませんでした。

 お母さんは包丁でその女を刺しました。女が倒れてうつ伏せになってからも、何回も背中を刺しました。

 僕がお母さんを見たのは、それが最後でした。

 お母さんは捕まりましたが、世間で同情が集まりました。

 ある週刊誌の記事が原因でした。

 お母さんは二十五歳という年齢の割には、童顔で小柄でした。高校生に間違えられることもあったそうです。

 僕を連れ去ろうとした女はその反対で、大柄な女でした。学生時代には格闘技をやっていて、大会で入賞したこともあるような女でした。

 「殺らなきゃ殺られる」みたいな記事だったので、お母さんに同情が集まったようです。

 今なら見た目で判断するような記事が世に出ることはないかもしれませんが、当時は違ったのでしょう。

 その女は結婚して夫の両親と同居するようになり、なかなか子どもができないことを責められていたようです。ノイローゼになり僕を誘拐しようとしたらしいです。愚痴を言えるような親しい友人も身近にいなかったそうです。もちろん殺すなどやりすぎだという意見もあったようですが、誘拐できなければ僕に何をするかわからない、僕の命がかかっていたのですから、僕はやりすぎだと思いません。

 それにもし誘拐が成功していたとしても僕は安全だったか分かりません。女の同居家族がまともだったら女を自首させ僕を家に返すと思いますが、まともでなければどうなったでしょう。僕という証拠を消してしまえばいい、と思うような家族だったら。お母さんは僕を救ってくれたのです。

 そんなお母さんに、父親は離婚を迫ったそうです。

 その数日後、お母さんは自殺しました。父親と離婚することではなく、僕と離れることを苦にしたのだと僕は思っています。


 僕のために人を殺してしまったお母さん。

 でも僕は、あの時のお母さんの顔を覚えています。

 あの女の背中を何回も刺しているお母さんは、とても楽しそうでした。

 僕はよくあの時のお母さんの楽しそうな顔を思い出します。

 そして思うのです。お母さんは僕のお母さんであり、僕はお母さんの息子であると。

 今も刑務作業の合間に、思い出しています。 

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