第60話 救われた者の気持ち


 俺はフランシス家にある地下室へ足を踏み込む。


 まだここへ入ったことのないフレイシア先生からは『筋肉の牢獄』だの、地獄だのと、散々な言われようだったが、もちろんそんな用途ではない。

 ここは、隠したい人がいる場合に使う。


 地下室内の一つは病室のようになっており、【十二の魔法使い】のリーダーであるオリヴィアを匿い、治療している。


 扉が開いていたため、コンコンとノックをすると、オリヴィアがこちらを向く。

 

「……お前か」

「入ってもいい?」

「好きにしろ」


 口調は変化なし。

 オリヴィアは魔族と一体化していた影響で、体の一部は元には戻っていない。人間ではない部分は包帯で隠している。

 

 人によっては痛々しい、と思うかも。

 

「医者の話だと、体の一部は元通りには戻らないかもってさ。俺も出来る限りは頑張ってみるけど……」

「なぜだ」


 俺の話を遮り、オリヴィアは疑問をぶつけてきた。


「なぜ私を助けた」

「なぜって……助けちゃまずいか?」


 ミネルバとの約束もあったし。


「私は極悪人だ。多くの人を傷つけ、苦しめてきた。その悪行は、命を狙われたお前が一番分かっているはずだ」


 そうだ。

 彼らがやってきた悪行は、人から恨みを買うことばかりだ。

 だから、この世界において明確な悪役の立場に立っている。


 オリヴィアは、倒すべき悪である。


 本人もそれを理解していた。


「あれは聖遺物の暴走だろ。思考を歪められ、歪んだ正義で行動していたに過ぎない」


 【太陽の槍ブリューナク】。これが何かに汚染されていた。歪んでしまった正義は、間違った方法で世界を変えようとした。

 正義はやり方を間違えれば、悪になってしまう。ゲーム内では、それを主人公ことアーサーに伝えていた。

 そうして、アーサーにとっての正義とは何か、を考えるようになった。


 まぁ今のアーサーを見ていると、難しい話かもしれないな。アーサーにとっての正義ってなんだ? と問いかけて見たら、どう返すかな。

 ……ちょっと考えたくないな。

 

 ともかく、槍が何によって汚染されていたのか。

 誰も汚染に気付かず、代々受け継がれてしまったこと。

 それらの要因が重なったことで、オリヴィアは槍に操られていただけだ。


 強制させられていた。

 逃げられない状況で、自分の意思ではどうすることもできなかった。


 だから、仕方のないことなんだ。

 優しい人間であれば、『気にすることはない』と声を掛けただろう。


 だが、その言葉は、今のオリヴィアにとって最も辛い言葉だ。


「私は自らの意思で魔法教会を抜け出した。自らの手で、【十二の魔法使い】を作った……」

「……そうか」


 正常な人間ならば、オリヴィアを匿うのではなく、王国やそういう罪人を取り締まる機関に突き出すべきなのだろう。


 もしも突き出せば、俺は国際的指名手配である【十二の魔法使い】をたった一人で討伐した英雄として賞賛され、褒美や地位の繰り上げが起こるはずだ。


 その代わり────オリヴィアが死ぬ。


 俺はそんな道を選ぶために、彼女を救ったのではない。


 オリヴィアがシーツをギュッと握りしめた。


「お前は、私を救うのではなく殺すべきだった」


 間髪入れずに断言する。


「それはない。絶対にない」


 その道を選ぶことは簡単だ。


「辞めることや死ぬことは、責任を取ることじゃない」


 よく現代でもあった。

 問題が発生したので、責任を取って辞めます。


 だけど、いやいやダメでしょ、と思ってしまう。


 せめて、問題を片付けてから辞めていけ。

 死ぬなら────自らが犯した罪を償ってからだ。


 他人に尻ぬぐいをさせるな。自分でやれ。


 それが俺の持っている考えだ。


 オリヴィアが辛そうな面持ちで告げる。


「なら、私はどう生きればいい。どうすればいい……」

 

 オリヴィアの目的であった、自分の信じる正義を執行すること。 

 それを俺は打ち破った。


 この世界でも、正しさとは常に勝者が決める。

 

 目的を失った彼女にとって、残りの人生は贖罪となる。

 

「オリヴィアが犯した罪を少しでも軽くしたいのなら、その道を選べばいい。逃げたいのなら、逃げれば良い」


 まぁ、後者は真面目なオリヴィアじゃ絶対にないな。

 目的とは、自分で見つけるものだ。


 他人に決められた目的なんて、脆くて容易く見失ってしまう。


 自分で見つけることが、大切なんだ。


 オリヴィアが俯く。

 決められないんだ。

 

 贖罪が、本当に罪を軽くできるのか。

 大衆の前に出て、罪を償うことが正しい贖罪なのではないのか。

 

 正義を見失ったオリヴィアは、何が正しいのか分からないんだ。 

 

 でもさ、失ってしまったのなら、また探せばいいんだ。


「決められないなら、俺と来い」

「え?」

「セシルがさ、言ってたんだ。『ノアならきっと、多くの人を救える』って」


 いつ言われたかは、忘れてしまったけれど、確かにそう言っていた。

 俺はそんな大層なことをする人間じゃないんだけどなー……と思って聞き流していた気がする。


「なら、俺の傍に居れば、きっと多くの人を救えると思う」

「だが、お前に迷惑が……」

「今更一人増えたところで、大したことじゃないよ」


 もう多くの人を抱えている。

 セシル、リオン先生、ミネルバ、キアラ……一人ひとり、とても大事な人だ。


 彼らの悲しい顔を見るのが嫌だ。


「決められないんだろ? 今後、どう生きるべきか」

「……ああ」

「決まるまで傍にいれば良い。その上できちんと、ちゃんと罪を償うんだ」


 救ったからには責任を取る。

 いつもやっていることだ。もう慣れている。


「……良いのか」

「そういうところも、原因だったんじゃないか?」

「むっ、どういう意味だ」

「もっと人に甘えようってことだよ。何かを他人に相談したこともないんでしょ。だから、一人で考えて突っ走って……」


 オリヴィアがどんどん落ち込んでいく。

 あれ、むっちゃ泣きそうな顔になってる……。


 俗にいう事実陳列罪って奴だろうか。


「ご、ごめん……」

「いや、お前が正しい」


 あら、やけに素直。


「……お前は、私が出会ってきた人々の中でも、一番優しいな」


 えっ。

 そんなことないけど……結構厳しいですよ、俺。


 そう思ったが、口にすることはできなかった。

 とても安堵した声音で、オリヴィアが告げたからだった。


 *

 

 地下室を出ると、スオが居た。

 

「あれ? 何してるの」

「待っていたのだろうが」

「なんでさ」

「ゲームの相手がおらぬのだ。人型でなければ、うまく駒を動かせぬ」


 あぁ、そういうこと。

 てか、スオの正体を知っているのは俺以外にも何人かいると思うけど……。


 まぁ、誘ってくれるのは嬉しいかな。


「じゃあ、ゲーム部屋に行こうか」

「うむ」

 

 スオが九官鳥になり、俺の頭に乗る。

 その道中で、俺は気になったことを問いかけた。

 

「ねぇ。スオってさ、今、楽しい?」


 俺は先ほどのオリヴィアを見て、考えてしまった。

 俺はずっと、救う立場にいた。


 救われた人の気持ちを、考えたことがなかった。

 

「我は楽しいぞ。魔王時代に敗北し、そこからは屈辱的な日々を過ごしていたからな」


 あぁ、そういえば、現魔王に負けたって言ってたよね。力の衰弱や返り咲くために苦汁を飲んだって言っていた。


「そこから我を救い出したのはノアであろう」

「そうなの?」

「まったく、ノアはたまに鈍感だぞ」


 ぶっちゃけ、スオは頭がいい。

 俺の相棒としてはかなり心強い存在だ。


 だからこそ、疑問だった。なぜ俺の傍に居てくれるのか。


 スオを救ったとはいえ、屋敷に縛り付けているんだ。


「我は知ったのだ。圧倒的なカリスマ、力、権力……それだけ備えていても、いつか我のように落ちぶれる。重要なのは……ノアのように立ち止まることではないか?」


 確かに、誰かと衝突すれば、俺は足を止めて手を差し伸べてきたっけ。


 でもそれは、俺じゃなくてもできることだ。

 例えば、アーサーもできるはずなんだ。


「現魔王は、救われた人の気持ちなど考えぬぞ。だから、我は少しノアに驚いた。救われた人の気持ちに寄り添っておる。なぜだ?」

「なぜって聞かれましても、それが俺の当たり前なだけだよ」

「ふむ……優しさという奴か」


 あっ、それ言われたの今日で二回目。

 オリヴィアとスオから優しいと言われた。


 俺、もしかして優しい?

 ちょっと嬉しいかも。


「ノアよ、お前は確かに我を救った。感謝もしておる。それは他にもおろう、例えばだな、ほら、窓の外……いや、違う所の方がいいな」

「なんで急に視線を逸らしたのさ」

「筋肉集団が目に入ったのだ。あれは我をササミにしようとしてくるのでな」

「あぁ、うん」

 

 スオが「まぁ良い。それよりも」と続けて、パタパタと羽を動かした。


「早くゲームだ! 今日はオセロをやるのだ!」

「はいはい……」


 救ったことを間違いではない、とスオは言ってくれた。

 ふと、俺は言う。


「ありがとう、スオ」

「ふんっ……」


 かなり遠回しに、『救ってくれてありがとう』、と言われたことがどれだけ嬉しかったか、きっとスオは気付かないのだろうけど……教えないでおこう。詳しく言うのも恥ずかしいし。


 そうして、怪我も治ったし学園に戻れるかな……と呑気に俺は考えていた。

 

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