第26話 阿呆共


 アブソリュート学園の職員室で、一人の新人先生が頭を抱えていた。


「シノ先生……どうするのかしら?」

「可哀想よね……今年の入学試験を担当をしたばっかりに」


 茶髪に、僅かに糸目をした新任先生の名は、シノ・フォレイスタード。

 若くして名門のアブソリュート学園の魔法植物学講師になった優秀な人物であった。

 

 人当たりがよく、特に上司や年上に気に入られやすい立ち回りをする。媚びをよく売り、早い昇進を望んでいた彼にとって、今回の入学試験は間違いなく出世コースの簡単な道であった。


 『○○先生の代で入ってきた○○くんは、とても優秀ですな。流石、彼を入学させたあなたの審美眼は素晴らしい』


 そういう評価を得られやすい立場になるはずだった。


 しかし、今のシノは机に突っ伏し、落ち込んでいた。

 シノが呟く。


「どーなっとんねんこれ……儂、どう校長先生に伝えりゃええんや……」


 試験の内容は至って単純で、四日間の間に指定された鍵を入手すること。その鍵を上手に入手出来た者が好成績を得られる。


 また、その速度や手腕も見られるため、実技試験としてはかなり優秀だった。


 難しいのは鍵を持っている者だ。


 実施された土地で、【獰猛な猪モースアス】という魔物が鍵を持っている。死ぬことはないものの、学生では正面から太刀打ちすることは不可能だ。その魔物から逃れ、夜や罠を仕掛けて上手に鍵を取る。


 こういう試験だった。


 歴代の中で最も優秀と言われる現校長が生み出した試験────のはずだった。


 上半身裸の生徒にぶち壊されるまでは。


「ハハ……校長になんて言えばええんや、四日の試験が一日で終わりましたって言えばええんか。殺されるぞ」

 

 裸の生徒……その人物の名簿を見る。

 

「ノア・フランシス……悪行貴族じゃないんか。いや、儂にとっちゃ悪行やな。なんでこいつまともに受験しとるねん、裏金で入ってこいや」


 不正を堂々と推奨するシノは、ため息を漏らす。


 ノアのせいで、今年の生徒の合格率は過去最高のものだった。

 これを機に裏ではノアに感謝する生徒が増え……一部の界隈ではゴッド・ノアなどという異名が付き始めていた。


「儂には筋肉が人の形をしているようにしか見えんなぁ……はぁ、校長先生に伝えに行くかねぇ」


 胃腸薬の植物を手に持ち、気だるげになりながら校長室に向かう。


 コンコン……とノックをした。


「なんだい」

「シノです~。今年の試験の報告に来ました~」

「ほう、入れ」


 タバコの煙が校長室を充満する。


 校長は魔法帽子を深くかぶり、堀の深い顔つきは少々怖さを感じる。自身の魔法の杖を喫煙パイプに改造するほどの大のタバコ好きであった。


 シノが事情を伝えると、声が響いた。


「はぁ!? 四日の試験が一日で終わった!?」

「へ、へい……そうなんすよ。だから、ほら、合格者も過去最高の人数ですよ」


 校長が唖然としてタバコを落とす。


「なんで止めなかったんだい!!」

「と、止められなかったんすよ~……」


 シノが僅かに涙目になる。

 

 徐々にシノは、試験の事を思い出していく。


(あぁ……泣きたい……もうやだ、あの裸の筋肉)


 ……

 …


 儂が初めてノアを見たのは、試験の日だった。 

 悪行貴族と名高い人物が、まともに試験を受けるなんて珍しいなぁ……と思った。でも、流石に誰か分からないだろうと、探すのに苦労するかなと思ったけれど、簡単に見つかった。


 一人だけ裸の男がいる。絶対あれだ。なぜか直感がそう告げている。


「アイツがノア・フランシスかいな。筆記試験でひたすら筋肉について語っとった……あれ読んだ先生が一人発狂しとったぞ、可哀想やったなぁ」


 まぁ、どうせすぐ落ちるやろ。

 貴族のボンボンが正面から挑んでクリアできるほど、この実技試験は簡単じゃない。うちの学園が平民も貴族も分け隔てがないのは、平民は実力があるから、貴族は金があるから。


 その差がなくなってしまえば、学園の均衡は保てへん。


「おっ、ほらさっそくや。【獰猛な猪モースアス】がノアに突進していきおった」


 こりゃあ終わったなぁ。

 正面からまともに喰ろうたら、立ってすら居られへん。


「モフゥゥゥッ!」


 裸のノアへ、【獰猛な猪モースアス】が衝突した。


 衝撃音が響き渡り、周囲の受験者たちが「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」と叫んでいた。


 少ししてから、それを見ていた儂は首を傾げる。

 それと同様に、ノアと【獰猛な猪モースアス】も首を傾げていた。


「ありゃ?」

「ん?」

「モフッ?」

 

 え……なんであいつ、ビクとも動いとらんねん。

 どういうこと?

 

「人にいきなり突進してきちゃ、ダメでしょ!」

「モフゥッ!」


 な、殴って気絶させた!?

 殴って気絶するもんか? あ、あぁ、いや……きっとあのモースは子どもだったんや。そうや、だから正面から受けても……。


 すると、大型の違う【獰猛な猪モースアス】が突進してくる。


「モフゥゥゥッ!(モフ助の仇ぃぃぃっ!)」

「あかん! あの大きさは流石に危ない! 儂が止めにゃ……!」


 ノアが「はぁ……」と息を溜め、大胸筋を膨らませていく。

 足を踏み込んで、地面が僅かに凹む。

 

「来いっ!」

「モフゥゥゥッ!」


 バァァァンッ! と衝撃音が走ると、砂煙が舞う。

 なっ……! アイツ、正面から受けおった……! なんて奴じゃ!


 でも、流石にあれは……もう。救護班呼ぶかのぉ。


 ようやく土埃が収まると、気絶した大型の【獰猛な猪モースアス】が居た。


「は……はぁ!?」


 なんでアイツ無傷なんじゃ!? 凄すぎじゃろ!

 

 それは受験者たちも思ったようで、一同に声を合わせた。


「す、すげえ……! すげえよ!」

「ああやって攻略するんだ……! よし、俺たちも続こうぜ!」

「行くぞー! うおおおっ!」


 あかーん! それダメや! 真似しちゃあかんやつ! 

 絶対何か狂ってる奴だからアレ!


 その時の実技会場は、歴史上最も狂った絵面であった。

 本来は罠を仕掛けたり、寝込みを襲ったりして鍵を奪うはずの試験が、正面から挑んで力技で攻略していく────脳筋のような戦法だった。


「みんなで【獰猛な猪モースアス】を受け止めるぞー!」

「モフゥゥゥッ!」

「「「うわぁぁぁっ!!」」」


 なんでコイツら、自分たちでダメージ負っとるんや……頭おかしいとちゃうんか。

 いや、元凶のせいや……!


 その元凶は……と言えば。

 儂は視線を移す。

 

「違うよみんな! こうやるんだ! 筋肉!」

「おぉぉっ! 筋肉か!」

「そう! 筋肉!」


 ノアは先導して、受験者たちと【獰猛な猪】を狩っている。素手で。

 おかしい……何かがこの会場を支配している。何かが狂っている。


 しばらくして、会場にいた【獰猛な猪モースアス】はすべて素手で倒され、全滅した。

 受験者たち全員は、喝采をあげる。それは勝利の宣言に近かった。


「「「筋肉! 筋肉! 筋肉!」」」


 なんか儂、違う世界に迷い込んだんか。危ない宗教団体の集まりにしか見えんぞこれ。

 あぁ……もういいや。見なかったことにしよ。


 そうして、試験はぶち壊された。筋肉の手によって。


「よっと……【獰猛な猪】を一か所に集めたね。よし、じゃあみんな……やるぞ!」


 受験者たちは狩った【獰猛な猪】を一か所に集め、バーベキューを始めた。


 ……

 …


「バ、バーベキュー……」

「そうなんすよ……なんか、最後はみんなで肉食べて幸せそうでしたっすよ」


 そう言って、儂は校長にその時に撮った記念写真を渡す。

 全員、満面の笑みだった。


「……なんでシノまで写ってるんだい?」

「いやぁ、うまそうだったんで。つい、一緒に食べちゃいました」


 儂は校長に叩かれ、頬を抓られる。

 ぼ、暴力反対ですぜ!


「なんでお前まで混ざってるんだい……? お前は試験官だろう?」

「いやだって……! 一日中何も食べてなくて、美味そうだったんすよ!」

「減給」

「そ、そんなぁ~!」

 

 うう……酷いっすよぉ。後日にちゃんと新しい【獰猛な猪】を配属するよう手配したのに。

 儂が半泣きになっとると、校長が溜め息を漏らした。


「はぁ……とんでもない奴が入学か……不安だよ……」

「まぁまぁ、大丈夫っすよ。勇者もいるんですから」


 そうそう、誰かは分からなかったけど、今年は大金星の勇者が居る。彼の実力は折り紙つきで王国騎士団長から鍛えられた人だ。


 きっと、儂の代の生徒は、勇者が導いてくれるじゃろ。


 勇者、と聞いて校長が顔を引きつらせる。


「……その勇者だが、王都への道を外れて迷子になった」

「えっ……」

「試験受けてないそうだ……」


 数分の沈黙が、校長室を包み込んだ。

 


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