第47話 あたし10歳だからわかんない
大陸歴732年をサイティシガ王国は『再臨年』とした。
土地神カヤが顕現し、奇跡を起こしたことに由来する。
その時現れた謎の聖女についても、さまざまな噂が飛び交った。
異世界から再び現れた先代筆頭聖女(シャーレーン)が、土地神カヤを呼び戻したとか。
国難に合わせて初代聖女が生まれ変わり、土地神カヤに祈りを捧げて国を救ったのだとか。
初代聖女が異世界転生したのち、改めてこの世界に降臨したのが先代筆頭聖女(シャーレーン)だったとか。
そもそも初代筆頭聖女も土地神カヤも同じ存在なのではないかとか。
いやいや土地神カヤも初代聖女も関係ない、土地神カヤの奇跡が起こる直前、あちこち走り回っていた幼女(こども)が、本来の神様なのではないか!? という新説まで。
話には尾鰭がついて、ああでもないこうでもないと日々宗教論争が続いている。
しかし彼らにも共通した認識はあった。
ーー我らの土地神は、自分たちを見捨てずにこの国を守ってくれたのだと。
「それが一番間違ってんだけどな」
あれこれと話を聞くたびに、あたしは苦笑いした。
人のことなんて知ったこっちゃない。神様はただ、シンプルに土地神であたしの伴侶(つがい)なだけだ。
ーー『再臨年』から2年が経過した。
◇◇◇
商業都市マケイド。
商店街から少し離れた一角、アパートメントの一階にある薬草茶(ハーブティ)の店。通りに面した窓辺以外には、一面に所狭しと薬草茶の商品が並んでいる。瓶の量り売りにすでに袋詰めにしたものから、近所のパン屋が時々置いていく日持ちするラスクまで、店の規模にしては結構な品揃えだ。元は喫茶店の居抜きなので、女性に人気が出るような、瀟洒なマホガニーの調度品でまとめられている。
昨日が店休日だったからか、朝から客足がなかなか途切れず、ようやく『休憩中』のドアプレートを下げられたのは昼下がり。
あたしは店内のキッチンに向かい、遅めの昼食の準備に取り掛かる。
軽く焼いたパンに目玉焼きとバターを溶かし、少しのはちみつに適当な葉物野菜を挟んでぎゅっとする。うっかり挟み忘れたソーセージは適当にお茶を淹れつつつまんで。元喫茶店の居抜き物件だから、キッチンが使いやすくて助かる。
キッチンの椅子に座っていると、白い小さな蛇がちょろちょろと舌を出しながらやってくる。
「食べるか?」
唇を舐めながら笑って見せると、蛇は興味なさそうにとぐろを巻く。そのまま蛇と二人で過ごしながら、黙って平らげたところでちょうどドアベルが鳴った。
「遅かったな……あ、ロバートソン商会長さん」
「ふふ、人違いでごめんね
商会長は片目を閉じて帽子をあげる。相変わらず足が長い色男だ。あたしはいつものハーブティの準備をした。
上着と帽子を従者に渡し、商会長は試飲用の席に腰を下ろす。彼が来ると蛇は姿を消していた。
「今はシャルテちゃん一人?」
「はい。夫はちょっと用事で」
「不用心じゃない?」
「あはは、大丈夫ですよ。ちゃんと見張りはいますので」
見張はいくらでもいる。天井裏とか、足元とか、あたしの袖の中とか。
なんなら今もあんたのことを見てるぜ? と思うけど、それは黙ってていい話だ。
「ちょっと王都に行ってきたからお土産と、お土産話をね」
商会長は時々、約束(アポ)なしにここにやってきてはちょっとした雑談とたくさんの買い物をしていってくれる。このテナントを取り継いでくれたのも商会長だ。
「シャルテちゃんもこっちに座りなよ。お茶してたんでしょ?」
「はは、ばれちゃいましたか」
商会長の好意に甘えて向かいの椅子に座ると、「はい、お土産」と紙袋に入れた角張ったものを渡してくる。開いてみて中をのぞいて、あたしは思わず顔を見た。
「これっ……!」
「あ、やっぱり知ってたんだ。最新版の薬草学の本。俺はよく知らないけどその筋では大人気らしいね」
「この国では教会総本山の図書館にも入ってなかった本なんです。……嬉しいなあ……」
この本を読めば、父の作っていた薬についてもわかるかもしれない。この国の薬草学とは全く違う体系の知識で薬師を営んでいたので、筆頭聖女時代に色々調べたけれど結局わからないことだらけだったのだ。
本を胸に抱き、あたしは心からお礼を言う。
「ありがとうございます」
商会長は満足げに目を細めると、足を組み直して遠い目をした。
「さあて、何から話そうかな。王都で話題になってる、最近の王位継承権騒動から話そうかな? ……」
彼はこうして時々ふらりと、新聞に載らない王都の事情をそれとなく話に来てくれた。
ーー再臨年といえば縁起はいいけれど、あの年からこっち二年間、国はもうめちゃくちゃだった。
宰相ホースウッド公爵の不祥事に不審死に始まり、いつの間にか
ルルミヤと第二王子と邪神が具体的にどうなった?
さあな。
あたしは10歳だからわからないし、神様もあたしに教えてくれないけれど……あの日あの力を持つ神様も世間も、まあ許すわけないよね。
第二王子はあれから姿を消したらしく、鏡は全て灰になっていたらしい。
ストレリティカ連合王国は表向き関係ないことになっているらしいけれどーーあの国の神様マガイが神様になったつもりで第二王子を拐かし、乗り込んできたのは間違いないらしい。国交はほぼ断絶状態。それ以上の神の事情は、今んところは足を突っ込みたくないかな。
ルルミヤは歴代筆頭聖女からも抹消。後ろ盾も何もかもうしなった彼女は「口に出してはならない人」として社会的に抹殺されているらしい。生きてるのかだけ神様に聞くと、神様はいつもの真っ黒い瞳を細くして、聞かなかったことにしてくる。……そこまで言いたくないようなことになってんの?
ま、あたし10歳だからわかんないや。
「いやあ、今王都の貴族や神官聖女は大変だろうね。王太子殿下なんてぬくぬくお坊ちゃんしてたかと思ったら、今では騎士団の一番過酷と言われる魔物討伐隊で精神修行だって。王妃様もよくやるよねえ」
「大変ですねえ」
「まあ大変な人も多いだろうけど、俺はいろいろ儲けさせてもらってるから助かるけどね」
「あはははは……」
教会内部のルルミヤ派と癒着していた有力者は呆気なく没落した。代わりに台頭したのは目の前のロバートソン商会長も所属する対抗勢力だ。彼らは聖女シャーレーンが筆頭聖女だった時代を「希望の十年」と銘打ち、『異世界に帰還した聖女シャーレーンの思いを引き継いだ社会活動』を大義名ぶ……モットーに、ガタガタになった国内にどんどん勢力を広げているようだ。あたしただの10歳の子供だからわかんないけど。
「そうそう。シャルテちゃん。良い缶屋さんと仲良くなったから、今度うちの紹介で顔つなぎしてあげる。茶葉を入れる缶を探してるって言ってたでしょ?」
「ありがとうございます。でも何度も言いますけど、そういうお仕事の話は主人に言ったほうがいいんじゃ?」
「ふふふ、そうかな?」
「ふふふ、だってわたし10歳ですし? お店の主人は夫ですよお」
「ふふふふ、そうだね」
「ふふふふふふ」
あたしたちは当たり障りのない笑顔で笑いあう。
あたしが『シャーレーンの御使』として活動していたことは、当時の協力者だったロバートソン商会長や教会関係者だけの秘密だ。あれから筆頭聖女に祭り上げられようとして、ちょっとした面倒な騒動になったからだ。
『はうう、わたし、あれからもう二度とシャーレーン様の声も聞こえなくなったんですよお〜』
で誤魔化して(たまにしつこい奴はやむを得ず記憶をいじったりしながら)なんとか、平穏な薬草茶屋(ハーブティショップ)の幼妻という立場を手に入れている。店はもちろん、神様(カインズ)の店という名目で。
みんな、あたしのことをただのごく普通の子供に戻ったと思ってくれたーーけど。
ロバートソン商会長だけは、なぜか、妙にあたしのことを大人扱いしてくる時がある。
今後の安全を考慮すると、記憶をいじったほうがいい相手かもしれないが、今はそのままにしている。身元のあやしい神様とあたしの身元保証人として何かと世話してくれるし、何かあった時の後ろ盾として頼りになるからだ。
どうやら王宮や教会の目からも、あたしと神様を陰ながら庇ってくれているようだ。何を考えているのかわからないけれどーー今のところはありがたく甘えて、そのままにしている。
頼むからこれ以上踏み込まないでいてくれることを願う。
ようじょだからわかんない、で誤魔化させてほしい。
そうそう。教会は良い意味で元に戻ったらしい。聖女たちは慎ましやかに人々を癒し、神官たちも神の聖域を守る。筆頭聖女という職業は無くなった。永久欠番で筆頭聖女は初代聖女のみ、ということになったからだ。
しばらく雑談や茶葉の仕入れについて話したところで、ロバートソン商会長は時計を見て立ち上がる。
「そろそろ行こうかな。旦那さんがいる時にまた来るよ」
「お待ちしてますね」
「商談も彼がいるときにね。……もちろん、シャルテちゃんも一緒にいるよね?」
「さあ、どうでしょうか?」
お茶を飲み終えると立ち上がり、先ほどからピシリと立っていた従者に上着を着せられる。そしていつものようにあれこれと茶葉を買い求め、次の納品の発注をしてくれる。
「ありがとうございました」
「あ、そういえば」
外で吸うつもりなのだろう、煙草を口に咥えながら商会長はドアを出る前に振り返った。
「もうすぐ夏祭りだよ。今年は外国の行商人も色々やってくるんだ。今ももう街に結構見かけない感じの商人がいるんじゃないかな?」
「へー」
「もうすでに露店では珍しいお店が出始めてるから見てみるといいよ。もちろん、知らない人には気をつけるんだよ」
「はーい」
「シャルテちゃんもまた出店したかったら言ってね」
「ありがとうございます。商会長さんもお気をつけて!」
あたしの頭をポンと撫でてにこりと微笑むと、商会長は馬車に乗って去っていった。
その後ろ姿を見送って店に戻ると、神様がすでに席に座っていた。
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