第46話 土地神カヤ

 ルルミヤに背をむけ、あたしは聖遺物で地を突いた。

 今のあたしの二倍ほどの長さがあるそれは、細い錆びた物干し竿ーーと言った感じだ。


 不思議と重さを全く感じない。

 空に向かった錆びた頂点の塊は一見汚いだけだけど、あたしは魂が震えるのを感じた。


 蛇ーー神様が、あたしの胸元で蠢く。

 襟をひっぱって中を覗くと、とぐろを巻いて目を閉じていた。神様も限界みたいだ。

 周りの喧騒が遠くなっていく。

 心が研ぎ澄まされていくのを感じる。


 そうだ。あたしはシャーレーン。

 前世も今も、同じ金髪でふわふわの髪で、手足の形も、顔の形もそのままだ。

 眩い夕日を掬い取ったようなオレンジの瞳が綺麗だと、神様には毎日言われてきた。

 何度言われてもちっとも飽きることはなかった。

 あたしはあたしで生まれて、あたしで死んでーーまた、ここに生まれ変わった。

 世界はクソみたいで、理不尽で、大好きな場所だなんて決して言えたものじゃないけれど。

 あたしはその生き方しか知らなくて、その生き方以外は要らなくて。

 そして何度も、あたしは同じ神様を愛していく。


 ーー記憶が全て戻った訳じゃない、けれど絶対的な確信が心を満たしていく。


 気がつけば聖遺物はきらきらと輝く儀礼剣になっていた。柄には白磁にささやかに金の装飾と蛇の模様が絡みつき、まっすぐな刀身には初代聖女の名が刻まれている。


 SHARLENE HIRAETH。

 今のあたし、そのままの名前だった。


 あたしは神様が入っている胸元に左手を添え、右手で強く、杖を空に掲げた。愛しさが溢れる。次に何が起こるのか、知っている。


「神様。あんたに会いたくてあたしはあたしとして帰ってきたよ。次は早くあんたの本当の姿……見せてよ」


 ーーカヤ。

 あたしが名前を口にした次の瞬間、あたしの足の下から地響きが聞こえ始めた。

 人々がどよめく。


「な、なんだ!?」


 地面が割れ、光が溢れる。そして突然だった。

 轟音を立てて、光り輝く銀の霊泉の湯柱が、空に一直線に伸びていく。

 あたたかな飛沫をあたり一面に撒き散らしながら、虹を貫くように、高く、高く伸びていく水流。心地よく天にのぼる透き通ったそれは、大きな龍だった。


「……カヤ……」


 胸元で蠢いていた蛇は消えていた。

 あたしはただただ、本当の姿を取り戻した神様を見上げて惚けていた。

 あたしの手のひらの中でボロボロと聖遺物の剣が崩れて消えていく。

 それは神様にとって、湯ーーその体を貫き丘の上に縫い付ける、楔だった。


「初代筆頭聖女との契約も終わって……国から解き放たれて……本当の姿に戻れたな」


 蛇の姿も神様にとっては弱体化した姿だった。

 彼の本当の姿は、大陸の地下深くを満たす霊泉そのものが神となった龍だった。


 神様の咆哮で、剣は全て震えて消える。

 神様の流し目だけでオークは消滅し、聖堂はそのものが蒸発し消えた。

 神様から降り注ぐ霊泉の飛沫で、傷ついた人々は次々と治癒されていく。燃えていた建物や破壊された建物もあるべき姿に戻る。

 ふと、視界が高くなっていることに気づく。


 あたしは18歳のシャーレーンの姿に戻っていた。纏っている服も、体に合わせたものになっている。見たこともない艶々とした真っ白な生地の服だ。


「って……これ、神様がいつも着てるやつのおそろいじゃん。色違いの」


 着脱できるような縫い目が全くない。人間なら絶対作らないような構造だ。ーー神様の見様見真似を思って、つい笑みがこぼれてしまう。きっと筆頭聖女の装束を真似してくれたんだろう。

 あたしは空を見上げた。


「……あんた、こんなに綺麗だったんだな」


 空を浮かぶ神様は、あまりに神々しい存在だった。

 見ているだけではっきりと、第二王子を惑わした例の神と格が違うのがわかる。

 荘厳で、夢のような光景だった。


 きっと王国のどこからでも、この美しいものは見えているだろう。揺らいでいた信仰心は戻るに違いない。きっとまた、神様は人々の心の支えになっていく。


「……そうだよね、あたしだけの神様(ひと)じゃないよね、神様は……」


 あたしは清々しい気持ちで神様を見つめていた。

 なんだか、このままーー神様とは離れてしまうのだろうなと、淡いさみしい予感のようなものを感じながら。


「さよなら、あたしだけの神様」


 そう呟いた瞬間。

 空の神様が、グルンとこちらを見た。金の双眸が、恐怖の勢いで迫ってくる。


「ひ……!?」


 視界いっぱい、神様の眼球になったと思ったところで、パンッと神様の姿が湯に戻って弾ける。空から、水飛沫を纏いながらいつもの神様が自由落下で降ってきた。真顔で。


「ひええええ」


 ぶつかる! あたしは身構えて目を閉じる。


 しばらくしても水の落ちる衝撃も重たい音も聞こえなかった。

 気がつけば、あたしはぎゅっと神様に抱きしめられていた。


「シャーレーン」

「……か、神様……」


 顔が近い。そう思ったところで、あたしも18歳の姿に戻っていたことを思い出す。

 女にしては背が高い方のあたしより高い位置から、神様が金色の双眸でこちらをじっと見ていた。笑っていない。ぎゅっと強い腕に力を込めて、神様は低い声で言う。


「俺はあなたの夫だと言ったはずだ。呼べば行くし、俺はあなたの傍にいる」

「わ、わかってるって」

「じゃあなぜ」

「ひ」

「教えてほしい。さよならの意図を、それを口にした心情を」

「そ、それはさあ、ほら、みんなの神様だし、遠慮というかさ」

「シャーレーンは俺から離れたいのか」

「だって! あ、あんなすごく強くてかっこよくて綺麗な姿みちゃあ、気後れするじゃねえか! 人間(あたし)一人の夫(おとこ)にしていいのかってさあ!」

「……」

「照れてんのか?」

「少し」

「可愛い」

「……俺はシャーレーンの夫で、伴侶(つがい)だ。それだけが絶対の真実で、俺のたった一つの願いだ」

「……わかったよ。負けたよ。ずっとあたしだけの神様でいてよ」


 面と向かって言うのは少し照れる。あたしは少し言葉を切って、続けた。


「好きだよ、神様」

「……嬉しい」


 神様が薄く微笑むと、瞳がいつもの真っ黒な瞳に戻る。

 お互いに、あるべき場所に帰ってきた。言葉にはできないけれど、そんな腑に落ちるような心地がして、あたしは背伸びしてキスをした。神様が、ぴくっとみじろぎする。


「いいのか」


 驚いた顔をする神様に、あたしは目を眇めて笑う。


「やっとあたしからキスできた。幼女(ガキ)のまんまじゃあれだからな?」

「……」

「ふふ、驚いただろ」

「シャーレーン……」

「愛してる。大好きだよ神様(カヤ)。あたしが死のうが生きようが生まれ変わろうが、どんな姿になってもさ、傍にいて。いつまでも」


 幼女の姿の時には言えなかった告白とキスをして。

 あたしはきつく抱きしめる神様に、体を委ねて目を閉じた。



 ーー周りはめちゃくちゃのまま?

 ーー第二王子はどうなった? マウリシオは? ルルミヤは? 国は? 教会は?


 知らねえよ。

 聖女としての勤めは果たしたんだから、後始末はえらい連中のオシゴトさ。

 あたしは育ちの悪いハリボテの聖女。あとはそっちで頑張れよ。

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