第38話 別視点/ホースウッド公爵家の父娘 娘の絶頂
「ああ、間に合ってくれ、頼む……」
叫んで息切れした大神官は、よろよろと椅子に腰を下ろすと、補佐の手を借りて水と薬を口にした。深く何度か息をして、呼吸を保つ。
「大神官猊下。すでに広場に一般謁見を求める民衆が参集しておりますが……やはりお休みになったほうがよろしいのでは」
「ならん。今わしが出なければ、教会の威厳を失うことになる」
金の杖を突き、立ち上がったマウリシオは一歩一歩テラスへと向かう。教会の前に広がる大広場にて、毎月一度大神官が直接民衆の前に出て、彼らに説教をする行事だ。
土地神カヤを示す真っ白な絨毯を踏み締め、大神官は廊下を進んでテラスへと向かう。
もうすぐ民衆の前に姿を現すーーその時。
「お休みになっていてくださいまし、大神官猊下」
後ろからコツコツと靴音を鳴らしてやってきた女が、颯爽と大神官を追い抜いて去っていく。
筆頭聖女ルルミヤだ。補佐が声を震わせる。
「筆頭聖女、無礼であるぞ……!」
補佐の隣であっけに取られてルルミヤの背中を見ていた大神官だったが、彼女の手に持った長い杖のようなものを見てーー落ち窪んだ目を丸くし、そして叫んだ。
「なな、なんと……それは……初代聖女の……!!」
逆光の中振り返り、ルルミヤは目を細めて笑う。
「わたくしが代わって一般謁見をお務めいたしますわ。ゆっくりお休みになってくださいまし、猊下」
「ま、まて……!」
しかしルルミヤは眩い太陽の日差しを浴び、ついに大神官の代わりにテラスに姿を現す。
動揺でどよめく民衆。
「筆頭聖女、貴様……グッ……!!」
「猊下! しっかりなさってください! 興奮なさいますと危険です!」
「……ホースウッドの……小娘、め……」
神官達が集まり、大神官を支える。すぐに担架がやってきて大神官を乗せて寝室へと運ぶ。
「この国は……終わりだ……」
大神官は胸を抑え、朦朧とする意識の中ルルミヤの背中を睨み続けた。
◇◇◇
大神官を颯爽と置いていき、ルルミヤは興奮の絶頂のまま、聖遺物を握って一般謁見の場に姿を現した。よく晴れた日差しのもと、参集した民衆は数百名といったところか。大広場を埋め尽くす顔が、一斉にルルミヤを見上げている。
それだけでルルミヤは、迫り上がる興奮を抑えきれない。
(わたくしは立っている。シャーレーンでも立てなかった場所に)
人々は困惑した声をあげていた。
ルルミヤを罵倒する者もいれば、大神官が出なかったことに不安な顔をする者。そして意味もわからず、ルルミヤを呆けた顔でぽかんと見上げている者。
ルルミヤは魔術師による拡声魔法を使って朗々と名乗りを上げた。
「わたくしは筆頭聖女ルルミヤ・ホースウッド。本日はご病気の大神官猊下に代わりまして、皆様にご挨拶申し上げます」
ルルミヤの名を聞き、一部から強い反発の怒号が飛ぶ。
最近は民衆によるデモ活動が行われていることを知っている。護衛の聖騎士団も増員している。今の所大きな混乱は起きていないが、うかうかしているとルルミヤに興奮した人々の怒りの熱気が全体を飲み込んでしまうだろう。
(わたくしには勝算がある)
ルルミヤはおもむろに、傍に携えた錆だらけの杖を掲げた。
それはルルミヤの背丈よりも長く、直径はルルミヤの手で悠々と握れる太さ。先端には錆びて形がわからなくなった意匠がつけられている。金属の塊なので、当然ずっしりと重たい。しかしルルミヤは興奮しているので、その細腕で軽々と掲げることができた。
掲げたがらくたを見ても、誰も色良い反応はしない。そこまではルルミヤの想定内だ。これが特別なものであることは所持者のルルミヤにしか感じられない。ただの聖遺物ではない、手にとってこそわかる価値がある。
「皆様ーー」
民衆に対して笑顔を向けながら、ルルミヤはさらに言葉を続けた。
「わたくしどもの動向に不安を覚えていらっしゃるお声、重々深く受け止めております。不安にさせてしまっていることは、わたくしども教会総本部の落ち度。……本日はわたくし筆頭聖女ルルミヤが、皆様に心の安寧をもたらす奇跡をご覧にいれましょう」
ルルミヤは杖ーー初代聖女の聖遺物に意識を集中する。
まるで貧血を起こす瞬間のように、身体中の力が全て、杖に吸い上げられていくのを感じる。
「神よ、善き信仰者に治癒の祝福を!」
高らかに叫んだ瞬間。ルルミヤは一瞬意識を失う。
聖女護衛騎士(メイデンオーダー)が支えてくれる腕の中で、ルルミヤは広場の民衆の姿を見た。
彼らは皆一様に、己の体を見てざわついている。先ほどのような負の感情ではなく、動揺の声が上がった。
「傷が治った……どういうことだ?」
「関節の痛みがなくなった」
「咳が出ていたのが止まったわ」
「目が……見えるようになった!」
喜びの声はルルミヤの近くでも湧き上がる。神官達は顔を見合わせあい、己の体に起きた変化を口にする。
「……筆頭聖女の奇跡だ」
一人、ぽつりと口にする。
堰を切ったように泣き出す子供の声が響いた。
「おかあさんー! おててが治ったよ!! おててつなげるよ……!!!」
嬉し泣きの叫びは母親の号泣と重なり、広場に響き渡る。
次々と人々は、奇跡的な治癒を喜ぶ歓声をあげ始めた。
「やりましたね、ルルミヤ様」
ルルミヤを支える聖女護衛騎士(メイデンオーダー)が兜の奥から興奮した声を上げる。
しかしルルミヤは、それに答える余裕はなかった。
倒れた体に、力が入らない。がくがくと震える。失禁すらしているようだ。
(嘘……こんなに……力が、奪われるなんて、……)
ルルミヤは元々聖女異能が強い訳ではない。修行もあまりしていないので素質以上のことはできない。
初代筆頭聖女の聖遺物を使って最強になった。神に愛され、国の礎を築いた初代筆頭聖女……神が彼女に分け与えた神の力を使うことはできた。
しかし、ルルミヤの肉体が、その凄まじすぎる力に耐えられない。
(でも……わたくしは……やってみせた。奇跡を起こした……シャーレーンでさえできなかった、これだけの民衆に対する一斉治癒をやってのけた……大神官マウリシオの立つ場所を奪い、ついに、シャーレーンの聖女としての力も!)
「ふふ……あはは、あははは……はッ……!!」
ルルミヤは鼻血を出し、そのままガクンと気を失った。
壮絶な状態でありながらも、聖女護衛騎士に運ばれていく彼女は至極幸福そうな笑顔を浮かべていた。
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