第39話 何度でもあなたを好きになる

 辺境伯領で過ごすのも、この夜が最後だ。

 あたしは神様と二人、窓辺に置かれたラグに寝そべり夜空を眺めていた。新月の夜は星が綺麗で、黙って眺めているといくつもの流れ星を楽しむことができた。


「……明日は王都に出発だね、神様」


 あたしは空を見上げたまま、腕枕をする神様に呟く。神様は沈黙で返す。

 空気感がなんだか居心地が良くて、あたしは急に感傷的な気持ちになった。


 今も王都では酷いことが起きているし、起きようとしている。

 あたしを殺そうとした連中。国を崩壊させようとしている思惑。

 その他、蔓延る欲望と打算とこれから対峙しなければならない。

 だからこそーーあたしは今こうして、神様と一緒に穏やかな夜を過ごす時間を噛み締めていた。


「神様……色々あったけどさ。神様と一緒に過ごした毎日、すっごく楽しかったよ」

「これからも俺は傍にいるが」

「それはわかってるよ」


 あたしは笑う。

 そして神様の大きな手に頬をすり寄せた。


「神様、あたしね……こうして心からくつろいだ時間を過ごすことなんて、もう二度と来ないと思ってたんだ。父さんと母さんと一緒に同じ小さなベッドでぎゅうぎゅうに寝てた時間や、父さんと二人で寝て、母さんのいない寂しさを分かち合った夜とかさ……あの時は真っ当に幸せで、順当に悲しかった。はは、悲しいのが順当ってのも、ちょっとへんだけどさ」


 日々を断ち切るように攫われて、教会で聖女シャーレーンとなって。

 元のあたしが自分でも見えなくなるまで塗りつぶされて、笑い方も、本音も思い出せなくなって。そんな日々の唯一の慰めだったのが、聖堂の霊泉の沐浴で神様と二人きりになる時間だった。

 あの時はそこに本当に神様がいるとは思わなかった。

 だから本音もたくさん話した。思い出せないような泣き言もたくさん言った。

 呼べばすぐ来てくれるなんて、思わなかった。

 そして一緒にこんな騒々しい日常を、半年近く過ごすことになるなんて思わなかった。


「呼んだとき、来てくれてありがとう」

「……あの時は俺がもっと」

「おっと。その後悔は無しだぜ」


 あたしは身を起こし、神様の唇に指を当てる。

 驚いた顔をする神様の前髪を撫で、額を出し、あたしは額を寄せて目を閉じた。

 冷たい額が、あたしの体温で温かくなっていく。


「あたしが父さんと引き離されて、辛かった日々を支えてくれてありがとう。死にそうで怖くて痛くて悲しかった時、助けてくれてありがとう。……たくさんいろんな面白いことに付き合ってくれてありがとう。言いにくい秘密を打ち明けてくれて、傍にいてくれて……土地神としての在り方を変えてくれてまで、前世のあたしに生まれ変わる力をくれてありがとう」

「シャーレーン……」

「ねえ神様。あたしが前世の記憶がないの、多分必然だと思うんだ。……わざとなんだよ」

「……どういうことだ?」

「前世のあたしも、今のあたしとよく似てんだろ?」

「似ている。……もはや、どうして教会に来るまで気づかなかったのだろうと後悔するほど、あなたは前世そのものだ」

「多分、そのためだよ」


 そのため?

 神様は首を傾げる。あたしはなんとなく確信していた。

 前世のあたしがあたしならーーきっと、これはわざとだ。


「まず一つ。……子供(ガキ)の頃から前世の記憶があったらさ。きっとあたしは神様に再会するまでのあいだに経験を積んで、多少なりと別の人間になっちまってた。記憶があったらマセたガキになるのは当然だろ? そうなったら……神様に会ったときのあたしが、純然たる前世のあたしそのままじゃなくなる。ちゃんとで、神様の元に戻りたかったんだ」

「……なるほど」

「んで、もう一つだけど……ふふ、きっとこっちが本命かもな?」


 一人で含み笑いするあたしに、神様がきょとんとして首を傾げる。

 あたしはそのどこか人間らしくない表情に目を細めて笑ってみせた。


「神様にもう一度、最初から惚れ直したかったのさ」


 あたしは焦点が合う距離まで顔を離し、神様の頬を撫でながら確信する。

 こうして触れているだけで無性に落ち着くし、幸せな気持ちになる。恋愛感情ってのはあたしには正直まだよくわからない。でも……きっと多分、この心地よい苦しい気持ちに名前をつけるならば、それが一番適切だろう。


「神様と何度でも初めての出会いを繰り返したかったのかなって。生まれ変わっても何度でも、惚れ直したかったんだ」

「…………その考えはなかった。でも……あなたらしい」

「だろ? あたしってば冴えてんな」


 声に出して笑いながら、あたしは神様に抱きしめられる。

 神様が微笑んでいる気配を感じる。神様もきっと腑に落ちたのだろう。


「俺はずっと気掛かりだった。なぜ十分な神の力をあなたに渡したのに、あなたが記憶を失って転生しているのかと。本当に……どこからどこまでもあなたのままなのに、なぜうまくいかなかったのか、と。……俺が、あなたを愛したことがいけなかったのかと思っていた」


 顔を上げると、神様は珍しく表情を崩して切なそうに眉を寄せていた。

 大丈夫だよと伝えたくて、あたしは黙って首を横に振る。


「……愛してる、シャーレーン。……こういうとき、言葉で……どんな風に言えばいいのか、俺は……わからない。でも好きだ」

「好きって言えてんじゃねえか」

「好きって言葉でも足りない。愛してるの言葉でも足りない。飲み込みたいほど苦しいこの気持ちはなんだろう」

「わかった、わかったから飲み込まないでくれよ。……そういや口に入れるまではやったんだよな? 前世のあたしを」

「何度か」

「何度か!?」


 復唱して、だんだんおかしくなって、あたしは声をあげて笑ってしまった。

 あたしを見て神様も幸せそうに微笑んでいる。その顔が愛おしくなって、あたしはちょっとだけ、その食べちゃいたいくらい好きだ、の意味がわかるような気がしなくもなった。


 夜はそのまま、楽しく幸福にふけていった。

 王都に戻るというのに、不思議と恐怖だとか怒りだとか恐れだとかとは無縁の夜だった。


 ーー神様は、前世のあたしを口に入れたことがある。

 この言葉がうっすらと示していた意味を、後日あたしは王都で知ることになる。


◇◇◇


 早朝、夜明け前。

 身支度を終えたあたしたちを、王妃様と辺境伯家の方々がずらりと揃って見送ってくれた。

 朝は冷えるからと、ふかふかのコートを着せてくれた王妃様があたしの目を見て言う。


「我が国の命運は貴方の肩にかかっています、『シャーレーンの御使』聖女シャルテ。武運を」

「ありがとう存じます、王妃様。ご期待に添えるように勤めます」

「……こちらにいる間に、すっかり見違えるほど大人の顔をするようになったわね、シャルテ」

 

 寂しいような、切ないような顔で言われ、あたしは内心ごめんなさいの気持ちになる。さすがに8歳児の媚びを続けられない場面が増えてボロが出てしまっただけだけれど、王妃様はシャルテちゃんが責任を帯びて大人びたのだと思ってくれているようだ。


「大切な息子ーー王太子殿下の身柄は、この辺境伯家でお守りします。私たちも状況を見て王都に向かいましょう」


 王太子殿下は国の危機ということもあり、辺境伯領の強固な守りの中で過ごすことになった。

 話題に出していたちょうどそのとき、王太子殿下も見送りにやってきた。

 あたしを見て、王太子様はビクッと青ざめたり、頬を染めたりしている。

 しかし衆目を集めると自然と背筋を伸ばして真っ当な王太子殿下の表情になり、一同の辞儀を受け取り堂々と頷いて返した。それは一つの成長だろう。


「聖女シャルテ。精霊馬には魔術師の魔力を限界まで注いでおいた。シャルテの魔力を継続的に与え続ければ、三日後には王都に着くだろう。宿場町にはすでに連絡はつけている……すまない、これが我が国で準備できる最高速度だ」

「ありがとう存じます。ご期待に応えます」

「王宮を……国を頼んだ、シャーレーン」


 精霊御者が精霊馬を連れてくる。

 白く透き通るような肌をした白馬で、鬣(たてがみ)は風もないのにゆらめき、プリズムの光で発光している。魔力充填バッチリだ。

 乗馬用の馬具が設られているーーそう。帰路は馬車ではなく、馬に乗って向かうのだ。

 

「では……行ってまいります」


 見送りの視線を浴びながら、馬に乗った神様に続いてあたしも神様の前に乗る。

 神様が精霊馬の耳に何かを囁くと、馬がぶるりと震え、ぱかぱかと滑らかに出立した。


 激励の声で見送られ、あたしたちは朝焼けを浴びながら王都へ向かう。

 見送りの姿が見えなくなった頃、神様があたしにこっそりと言う。


「シャーレーン。実は言ってなかったことがある」

「なんだ」

「シャーレーンの魔力と俺の力があれば、この馬は飛べる」

「……えっ!?」

「飛んだら明日の昼前には着くんじゃないだろうか」


 あたしは思わず神様の顔を見あげた。

 真顔で頷くその顔はーー全く、冗談を言っている顔ではなかった。


◇◇◇


 その頃。

 王宮に置かれた魔鏡が不穏な輝きを見せていた。

 ーー一枚の魔鏡を介して、また一枚、新たな魔鏡が運ばれているのだ。

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