第36話 色々と手遅れだった

 部屋を見渡す。

 細長い窓からの採光のみに青白く照らされた個室。部屋自体も縦に細長く、隠し部屋なのは明らかだ。使用人の住居かと思うほど部屋は狭いものの、家具は清潔で格式高い。


 後ずさり、距離を取るあたし。

 殿下は扉を背に影に入ったまま、追い詰めたあたしを見ていた。


「ここは叫んでも誰も来ない。壁紙の下に厚い防音材が仕込まれていてね。魔物や隣国との衝突など、有事に際して貴族が身を隠すために作った隠し部屋の一つさ」

「それはそれは……お城のご紹介をどうも」


 あたしは8歳児の媚を捨て、素顔で目を眇めて殿下を見た。これで不敬だなんだと言われるなら、最悪記憶を消しちまえばいいーー神様の暴力があたしにも移ったか?


「それで、殿下……。一体どうしたんですか? 8歳児との内緒のお話のエスコートにしちゃあじゃありませんか?」

「夫とは初夜をすませているか」


 唐突に何を聞いてくるんだ、こいつ。

 不快感を僅かに目元に浮かべ、あたしは言葉を返す。


「…………あたし合わないんですよね、その貴族の価値観。どうでもいいことはやれ『はしたない』、『淑女としてあるまじき』とひた隠しにこそこそお綺麗ぶりながら、初夜だなんだは庶民よりも明け透けにいつ何時何発やったか平気で人様に確認できるその感覚」

「子を為すのは我らの役目。そして子の出自は何よりも大事なんだ。よって純潔を確認するのは必要なことさ」

「左様ですか。しかし殿下は敬虔な土地神カヤの信者でいらっしゃるはずでは? ならば聖女に推薦されるあたしが純潔かどうかは自明の理では? 聖女異能だっていくらでも証明できますよ?」


 聖女は純潔でなければ異能が使えない。それが教会の教義だ。

 しかし殿下はくくく、と顔を覆って笑う。


「そんなもの嘘だ。現に、今の聖女寮は男を知った聖女で溢れている」

「な……」

「筆頭聖女ルルミヤが強制して、貴族や大商人相手に聖女たちにをさせていた。それを嫌がった聖女は遠方に飛ばされ、追放され、また心を病み何処かへ消えた」


 あまりの事実に、足元から冷たくなっていく。

 自分がいない間に、ルルミヤはーーなんてことを。


「で、君はどうなんだい。処女か否か」

「ハッ。どんな体でも聖女になれるんだったら、殿下が確認する必要はないのでは?」

「関係あるんだよ。別の意味でね」

「はあ?」


 殿下は口の端で嘲笑し、あたしに一歩ゆらりと近づく。

 銀髪から覗く目が据わっている。


「君を疑うわけではないよ、シャルテ。君を婚約者にするために必要な質問なんだ」

「……は?」

「君は婚約者シャーレーンによって、シャーレーンの代わりに遣わされた御使だろう? ならば王太子である僕と婚約するのが道理だろう」

「ま、待ってくださいよ殿下。……どういうことですか。殿下にはルルミヤ・ホースウッドがいるでしょう」

「婚約破棄を突きつけたよ」

「な……」

「父にも宰相にも誰にも相談していない。僕が、僕の判断で決めた」

「それ駄目じゃないですか」

「ねえ。僕は決めたんだ。君のように僕も自分で運命を選びたい。僕を立ち直らせてくれたのは……王太子として目覚めさせてくれたのは君だよ」


 殿下があたしをシャーレーンと呼ぶ。

 殿下はシャルテに、シャーレーンと呼びかけているのだーー気持ち悪い。

 寒気がして、あたしはまた一歩後ずさる。殿下は男の歩幅で二歩、距離を詰める。


「ねえシャルテ。君はシャーレーンになってほしい。肉体も見た目も、多少違っても平気さ。中身がシャーレーンなら、成長するまでには化粧なりでいくらでも整えられるはずだ。異世界に帰ったシャーレーンが、転生してシャルテになって戻ってきたってことにしよう、どうだい?」

「年齢設定ぐちゃぐちゃじゃないですか」

「異世界から来たのだから、時間軸など年齢など、捏造はどうとでもできる。この国はそもそも異世界から来たという名目で、ほんの子供でしかないシャーレーンを担ぎ上げてちやほやと利用した国なんだ……君がシャーレーンとして振る舞い、聖女異能で人々を幸せにすれば、細かいことなど誰も気にしなくなる。ううん、僕がさせない。だって僕は王太子だ。……父上亡き後は、僕が国王に即位するのだから」


 最悪の国王が爆誕してしまう。

 あたしは口を引き結び、思考をフル回転させる。

 こうなっちまった人間に説得は効かない。かといって、殿下の暴走に付き合うなんて死んでも御免だ。

 だが戦略的撤退も選択肢にはない。ここで逃げてしまえば教会総本山に乗り込む道が閉ざされるーー。


 いよいよ追い詰められ、あたしは壁に背をつける。殿下はあたしを壁に追い詰める。

 お腹の蛇が、自分に頼れと言わんばかりに蠢く。あたしは「もう少し待ってくれ」と思いを込めて服越しに蛇を撫でる。


 いよいよ芝居がかった大袈裟な所作で、殿下は訴える。

 

「シャルテ……どうか、シャーレーンになってくれ」


 愚かな王太子は片膝をつき、抵抗するあたしの両手を強引に掴み、懇願する。


「頼む……僕を救ってくれ。導いてくれ。僕は君なしでは、もう……」


 ーー自分勝手なことばっかり言いやがって。

 言いようもない寒気と怒りがないまぜになって、あたしの体を駆け巡った。


……」


 そのまま腕に抱き込まれそうになった瞬間ーーあたしの中で、何かの限界を超えた。


『爆風霧散(エンディ)』


 呟いた瞬間、王太子が紙のように部屋の端まで吹っ飛ぶ。豪奢な絵のかかった額にぶつかり、床にぐしゃりと倒れ込む。爆風で家具も吹っ飛ぶ。


「え……」


 何が起きたのかわからないまま、呆然と殿下は身を起こす。

 あたしはそのボケたツラした殿下につかつかと近づき、グイッと襟を掴んだ。


「なあ。弱い子供に対して、閉じ込めて力で無理やり押し切るってのはこういうことだぜ、王太子殿下ーー『火炎(ト・マク)』」

 

 空いた手の方で火炎の魔術を展開しすると、殿下は顔をこわばらせた。


「あたしはこのまま殿下をぐちゃぐちゃにだってできる。散々いたぶったその後、聖女異能で綺麗さっぱり証拠隠滅することだって可能さ。首んとこのニキビ痕だって消してやろうか? ……なあ怖いだろ。追い詰めて、似たようなことやってんだよ、わかってんのか」

「……ッ」


 殿下は声も上げられない。

 あたしは炎を消し、殿下を睨む。


「8歳のガキを保護者から引き剥がして閉じ込めて、どうか僕のためにシャーレーン違う女になってくれ、だあ? ふざけんじゃねえ、口説くなら正攻法で口説け、閉じ込めて恐怖で支配すんな、そもそも神(ひと)の女に手を出すな、他の女の代替品にするなんて相手(あたし)に失礼だとは思わねえのか。それでいいのかあんたは。王太子としてじゃなく、ルイスっていう一人の人間としてだ。どうなんだ」


 不敬罪で300回くらい処刑されてもおかしくないことを言いながら、あたしは王太子の胸ぐらを掴んで言う。しょせん腕力は8歳女児なので、むしろこっちの腕が痺れてダメージだ。

 あたしにされるがまま、王太子は呆然としていた。


「なあ、あんた啖呵切ったよな? 自分で運命を選びたいって。自分で運命を選ぶのは立派なもんだし歓迎さ、あんたは国王陛下になる男なんだからな。だが行動することと野放図にやりっぱなしに暴走すんのは別だ。自分で考えろ、影響を考えろ、責任も自分(てめえ)で始末つける覚悟を持て。いつまでもシャーレーンの亡霊にしがみつくな。辛くて泣くのも死んだ女を心の支えにするのも、心を守るためなら勝手にしたらいい、だが新たな生贄を作って逃げるのは許さねえ。あたしが許さなくても、いずれあんたが許されなくなる。そして……あんたが許されなくなった時は、国もあんたと心中してオシマイさ」


 あたしは王太子から手を離し、部屋の中を見る。


 『短期再生(リカリス)』


 部屋が巻き戻るように、家具が整然と整えられていく。全てを元に戻したところで改めて殿下を見下ろした。


「悪いけど、あたしはもう神様(ひと)の妻(おんな)なんだ。あんたの聖女様にはなれない。ちょっとだけ『シャーレーン』の言葉を降ろせるだけで、あんたの心にいるシャーレーン・ヒラエスとも別人だ。見ただろう? シャーレーンには使えない魔術を使って、あんたを返り討ちにして、こうやって罵倒する育ちの悪いガキなんだよ」

「……シャルテ」


 名前をつぶやく殿下を、あたしは目を眇めて見た。


「……シャーレーンみたいだ」

「あ? ……だからぁ、あたしは違うって」

「いいや。……本物のシャーレーンもきっと……僕を……こんなふうに叱ったと思う」


 殿下は力無く笑う。そして天を仰ぎ、感情に整理をつけるように黙り込んだ。


「すまない、時間をくれ……落ち着くまで」

「……いいよ」


 あたしはその辺の椅子に座り、殿下をじっと見守っていた。


 すると部屋に神様がやってくる。ドアを開ける時にバキッと音がしたけれど気にしないことにしておこう。

 神様は黙ってあたしに近づき、膝をついてあたしを抱きしめる。背中に腕を回して温もりを感じていると、殿下が力の抜けた顔であたしたちをみていた。

 そしてぽつぽつと呟いた。


「……シャーレーンが戻ってきたと思うと……僕は……。君は君の夫もいるのに。重ねて本当に悪かった」

「こちらこそ、数々のご無礼を陳謝いたします。処断は謹んでお受けいたします」

「ガラッと態度を変えられるんだね。そこもシャーレーンに似てる」


 頭を下げるあたしに、殿下は肩をすくめる。

 そして疲れているもののすっきりとした顔で、彼は深く深呼吸をして、あたしに頭を下げた。


「僕こそ、君に心からの非礼を詫びよう。……僕はどうかしていた。当然君を処断なんてできない。むしろ目を覚させてくれてありがとう」

「殿下……」

「君を王都に迎えるように、すぐに辺境伯家に働きかける。信用できないと思うけれど、今だけでも信じてほしい」

「また同じ事やったらただじゃおかねえからな」

「もちろんだ。これからは君に恥じないよう、いつも燃やされることを考えながら職務に当たる」

「それもそれであまり嬉しくない」

「殴られたり蹴られたりすることを考える方がいいだろうか」

「……」

「いや……それなら、全くお仕置きにならないな……それなら……」

「……オーケー神様、


 神様があたしを背に隠す。

 次の瞬間ーー王太子の目がぐるぐるになり、バターン、と倒れた。


「記憶は消していない。……おそらく二度と間違いは起こさないだろう」

「……ああ、ありがとな神様……」

「すこし……は上げておいたが」


 神様が手でちょこっと、を示す。あたしは半眼で呆れた。


「……『脅して言うこと聞かせるのはダメだろ』って叱った側がやったらまずくねえか?」

「俺の妻に手を出そうとした間男だ。本来なら切っていた」

「何をだよ」

「秘密」

「秘密はなしなんじゃねえのか、神様(ダーリン)」

「シャーレーンは知らなくていい」

「……ま、しょうがないか。多少は脅しておくのも……シャルテちゃんとしてしばらく付き合わなきゃ行けないしな」


 あたしたちは顔を見合わせた。ドッと疲れた。

 ともあれ翌日には、あたしたちは最高級の精霊馬で王都に発てる算段がついたのだった。


◇◇◇


 その頃。王都ではついに取り返しのつかない事態に陥ろうとしていた。

 ホースウッド公爵が第二王子ケイゼンに呼び出され、王宮の廊下を歩いていた。

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