第35話 王太子殿下は病んでいる
「なんていうことだ! まさにシャーレーンが降臨(おり)ていた……。君は僕が隠していたシャーレーンの真実も知っているし、口調も仕草もシャーレーンだ! ああ、神様……シャルテ、君はすごいな、本物だ。君は本物の『シャーレーンの御使』だ」
「あ、あの……?」
この人は話を聞いているのか? あたしは訝しんだ。
あたしはもう一度、できるだけわかりやすく端的に、噛み砕いて要点だけ伝える。
「殿下。あたしはシャーレーン本人です」
「うん」
「聖女護衛騎士団(メイデンオーダー)の姿をした正体不明の謎の連中に殺されかけましたが、生きてます」
「うんうん、わかるよ」
「体が幼いのは神の奇跡で治癒してもらった副作用です」
「わかっている。シャルテはシャーレーンにそう言うように言われたのだろう?」
「…………」
思い込みが激しい。あたしは頭が痛い。
いや、神の力で奇跡的に癒やされ、体が縮みました! ……の方が、よほど嘘っぽいけれど。
「君は確かにシャーレーンの真似が上手い。でもわかるんだ僕には……シャーレーンのことは8歳の頃から知っているからね。あの頃のシャーレーンとは似ても似つかないよ、シャルテは」
「はあ」
「シャルテは可愛らしいけれど、シャーレーンはもっと鋭く、刺すような目つきをしていた」
「そ、それは……以前殿下とお会いした時は、親と引き離されてすぐでしたので」
「本当にいろんなことを聞かされているんだね? ……よかった。本当に……」
殿下は涙を拭い、ふふ、と笑みを漏らす。感情の起伏がーー率直に。怖い。病みすぎじゃねえのか。
その時、服の中で神様の蛇がうねうねと威嚇するように動く。
襟元から声が聞こえた。神様の声で蛇が尋ねてくる。
「記憶を消すか?」
「……今はやめとこう。危ないけど、まあ……もう少しあたしの力でやってみる」
あたしは改めて殿下を見た。ショッキングな別れ方をしてしまったシャーレーンを記憶の中で美化して信仰対象にして縁(よすが)にして、王太子は罪悪感から逃れ、心を保っているのだろう。
今は仮初(かりそめ)の元気だろうが、元気でいてくれた方が色々都合がいい。
あたしたちのヒソヒソ話を耳に入れないまま、殿下は天に向かって祈りのポーズを捧げる。
「シャーレーンは死んでもなお、国のために尽くしてくれているんだね」
「……そういう訳ではないですが」
冗談きついぜ。と思ってしまったので、つい反射で口答えをしてしまう。
あたしはあくまで、自分の納得のためにやっているだけだ。国のために尽くしているなんて、とても言えない。
あたしを見ているようで見ていない王太子の態度に、薄気味悪さを感じてくる。
案の定殿下はあたしの話を無視し、一方的に思いの丈をぶつけてくる。
「僕はシャーレーンを失って気づいた。彼女が苦悩を抱えながら、必死に聖女として尽くしてきたことを。……彼女が教会の綻びを繕い、なんとか立て直そうとしてくれていたことを。いろんな人に支持されていたことを」
「……お褒めいただき光栄です」
王太子は背筋を伸ばす。そして改めて、あたしに向き直った。
「感情的になってすまない。驚かせてしまっただろう。シャルテ、一度腰を落ち着けてじっくり話をしよう。君の知ること、シャーレーンから聞かされた事を教えてくれ。そして僕も、なぜ母上のところに来たのか君に話そう」
シャーレーンを異常に神聖化しているのはともかく。
今の王都の状況を把握するためにも、あたしの持っている情報と国の危機を共有するには、王太子殿下はまたとない協力者になる。
◇◇◇
その後、あたしと殿下は東屋にて人払いをし、お互いの情報を共有した。彼はあたしの素性も、殺しの件も知っている。神様の厚い信仰者なのは神様のお墨付きなので他の神の介入の心配もない。
シャルテ(あたし)をシャーレーンと信じてくれないことと、神様に気づいていないこと以外は、話を安心して共有できる相手で助かった。その点だけにおいては。
「……なるほど。他国の力が教会に侵入し、シャーレーンを殺害した。そして神の妻であるシャーレーンが殺されることで国は神の加護を失い、霊泉が枯渇した。そればかりか結界の破壊までもたらしてしまったと……」
たくさん喋ったので8歳児の相応に喉が渇く。あたしは紅茶を飲みながら頷く。
「殿下。まずは早急にホースウッド公爵の交友関係を洗うべきかと存じます」
「早速信頼できる手の者に魔術鳩を飛ばそう。明日には着手できる。他には?」
「はい。教会ですが……あたしをどうか教会総本山の聖堂にお連れください。筆頭聖女にしか入れない聖堂の霊泉にある、初代聖女の聖遺物にシャーレーンの力を捧げれば、神は力を取り戻し、霊泉は復活するでしょう」
「君が辺境伯領でもたらした奇跡のように、王都でもできるということか?」
「はい」
「なるほど」
殿下は真面目な顔をして、あたしをじっと見つめる。庭園の東屋で二人でティーセットを囲んでいると、まるで婚約者時代を思い出すようだ。殿下は独り言のように呟いた。
「……君は、シャーレーンがもたらしてくれた『
「今はそのご認識で結構です。とにかく早急に手を打たなければ混乱は拡大するでしょう」
「わかった。父の病状についても他国の毒が使われているかもしれない、すぐに調査する……しかし」
「しかし?」
「……どこから、異国の神の手が入ったというのだ。異国、しかもストレリティカ連合王国に通じている者など弟のケイゼンくらいしかいない」
あたしは弾かれるように殿下を見た。
「第二王子ケイゼン殿下の留学先はストレリティカ連合王国だったのですか?」
「知らなかったのか?」
あたしの驚きが意外な様子で、殿下はきょとんと目を丸くする。
顎に手を添えすぐに、彼は「ああそうか」と自己解決する。
「安全上の問題で、そのことを知るのは一部の王侯貴族だけだった。狭い関係の中でしか交流がないから、すっかり秘密だと忘れていたよ……。ルルミヤと違って教会の規則を厳守して暮らしていたシャーレーンの耳には入らなかっただろう」
「そう、なんですね……」
あたしは呆然としながら、テーブルを彩るティーフーズを見つめる。
(……第二王子の立場ならば……遠くからでも堂々と国内の中枢部に介入できる。特に国王に溺愛されている王子だ)
第二王子が怪しい。しかし、疑いを口にはできない。
(第二王子は正真正銘、国王と王妃様の間に生まれた実子だ。その土地で生まれた魂ではないのだから、土地神の力で洗脳めいたことできないはず)
神様の話では、そういうことだった。
(つまり第二王子を洗脳することは、ストレリティカ連合王国の神にはできない。……洗脳なしに自分の母国をメチャクチャになんて、するわけないだろ……? 怪しいけれど……ううん、まだ第二王子以外にも、国外と縁がある貴族なんて山ほどいる。疑念を口にはできない)
その後は話題も途切れ、当たり障りのない会話に終始した。
ティーフーズも綺麗に空になり、8歳児の体がおねむを訴え始めた頃、殿下は納得した様子で立ち上がった。
「ありがとう、良い時間だったよ。僕はこれから母に今後のことを話してくる」
「こちらこそ、お話をできて嬉しかったです。ありがとうございました殿下」
「……またね、シャルテ」
王太子はしばらくあたしをじっと見下ろしていたが、フ、と口元で笑って背を向ける。
意味ありげな表情に「ん?」と思ったものの、あたしは第二王子の懸念のことで頭がいっぱいで。
ーーその時、殿下が何を考えているのか、ちっともわかっていなかった。
◇◇◇
その日の夕方。
食事と入浴を終えたあたしは神様と一緒に部屋にいた。
ベッドの上、仰向けになった神様の上に寝そべって、あたしたちは昼間の殿下との話について語った。神様は蛇を通じて話を全部聞いてくれているので話が早い。
「この距離で第二王子への疑念を口にしても、何も打つ手は無いだろう」
「だよなあ。変に弟を疑うようなことを言って、殿下の不興を買うわけにもいかねえし……」
あたしは神様の胸板に頬を寄せ、精神的にぐったりとした体を休める。ひんやりとしていた神様の胸が、思い出したように熱を持ち、とく、とく、と鼓動を鳴らす。あたしはつい笑った。
「神様神様、そこじゃ心臓が胃袋になっちまう」
「ん。……ここか?」
「そこそこ。……って、無理して人間らしくしなくていいよ神様」
「シャーレーンにとって違和感のない人間の男(オス)の姿を保ちたいから」
「そこにこだわりはないけどなあ〜。でも気遣いしてくれて嬉しいよ、ありがと」
「……シャーレーン」
神様は悩むあたしの髪に指を通しながら言う。
「あの男は気をつけろ」
「殿下のことか?」
「ああ」
「神様の信者だから大丈夫なんだろ? 昼間と話、違ってないか?」
「……信者としては安心だ。だが……」
神様は不快なものを見たかのように顰め、低く呟いた。
「男(オス)の匂いがする。発情している年頃の男(オス)の匂いだ……気をつけたほうがいい」
「は、発情」
神様のあけすけな言い方には慣れているものの、あたしは驚きのあまりに復唱してしまう。
「冗談きついぜ神様。あたしはこの通り、ただの8歳児だぜ? 可愛いと愛でるならともかく、女として見るなんて無理だろ」
「無理じゃない人間がいることは、シャーレーンなら知っているだろう」
「……まー、知らねえって程でもねえけど」
あたしは神様に撫でられるまま目を閉じる。
確かに歓楽街暮らしの頃は、そういう手の奴も見た(あたしの場合はチンピラ崩れの薬師が父さんだったから、おいそれと誰も手を出さなかったけれど)。
「でも、相手は王太子殿下サマだぜ? そんな変態趣味があるか? あのお綺麗な顔をして?」
「……シャーレーンはわかっていない。あれは危険だ」
神様は嫉妬深いけれど、嘘はつかない。言うということはイコール、懸念の根拠はあると言うことだ。
「わかった、気をつける。……ただしばらくは殿下といい関係でいなきゃいけねえから、露骨に警戒心剥き出しにはできないから、そこのところは呑んでくれよ」
「仕方ない」
「……心配かけないようにするよ、神様(ダーリン)」
あたしは頭を上げ、神様に乗ったままにっこりと笑う。
神様は表情を少し緩め、目を細めてあたしの額に口付けた。
◇◇◇◇◇◇
そして。いきなり翌日。
神様の懸念は本当のことになってしまう。
王太子殿下が、朝食時の隙をついてあたしを個室に引っ張り込んだのだ。
王族向けの隠し部屋なのだろう。廊下を歩いているところでポッと引っ張り込まれたので、あたしは一人きりだ。
後ろ手にガチャリ、と鍵をかけ。王太子は銀髪の前髪の間から、淀んだ碧瞳を細めて笑う。
「シャルテ……」
「殿下! こ、これは一体……!」
「君はシャーレーンとして生きていくことはできないのかい? ……僕の婚約者として」
あたしはグッとお腹に力を入れる。そこにはもちろん神様と意識を繋げた蛇がいるーー厳密に言えば、あたしは一人ではない。けれど、慎重にならなければ。
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