第34話 脱ぎ捨てたハリボテはいらない

「もちろん構わないわ」


 王妃様はにこやかに頷く。


「ちょうど会わせようと思っていたのよ。あなたが辺境伯領(ここ)に来てくれて助かったわ」

「じゃあ二人になれる部屋に行こう。おいで、シャルテ」

「あ……」


 突然の展開にあたしは戸惑う。王太子殿下の意図が、全く読めないからだ。

 あたしがシャーレーンだと気づいているのか。

 単に『シャーレーンの御使』だから話したいのか。

 王妃に近づいた胡散臭い8歳児だから話したいのか。

 ーーあたしを消そうとしているのか。


「あ、あの……」

「ん? どうしたんだいシャルテ」


 不敬にならないように気をつけつつ、あたしは神様に代弁してもらう。


「『殿下。恐れながら申し上げます。シャルテはまだ幼いので失礼もありましょう。私が夫として同行してよろしいでしょうか』」


 神様の申し出に信憑性を与えるように。あたしは神様の腕にちょんと甘えるように触れながら、あたしは上目遣いで問いかける。


「殿下……わたしは『シャーレーン様の御使』のお勤めの時はいつも夫と一緒なんです。……一緒では、だめですか……?」


 あたしの言葉に殿下が固まる。

 夫。と、声に出さずに反芻する。


「夫……? 夫と言ったのかい? 君は……この男が?」

「はい」


 あたしはこくこくと頷く。


「……」


 殿下はあたしを穴が開きそうなほど凝視してきたのち、母である王妃を見た。


「あの……僕は意味がよくわからなく……既婚の聖女は認められていないのでは?」

「夫とはいえシャルテは8歳。その年齢だから婚約者相当とみなしているわ」

「なるほど。……市井を生きるには結婚という形にしたほうが定住や職探しに都合の良いこともあるらしい。そう言うことですね」


(『神様、絶対違うって言うなよ! 色々面倒なことがあるからな! 黙っててくれよ!』)


「…………」


 あたしが心中から訴える懇願に、神様が眉間に皺を寄せつつ頷く。

 殿下はにっこりと、しかしはっきりと神様に言う。


「僕は彼女と話がしたいんだ。大人がいれば子供はどうしても、大人の顔色を窺うことになる。懐いているなら尚更だ。……構いませんよね? お母様」

「そうね。二人で話しなさい。シャルテも気後れしている場合ではないわよ? 王都で聖女になるのなら、いつも夫についていてもらうわけにはいかないのだから」


 王妃様の言葉は正論だ。


「はい……かしこまりました」


 神妙に頭を下げつつ。あたしは神様に尋ねた。


(『神様。殿下はどう思う? あやしいか?』)

(少なくとも魂は正しくこの国の人間だ。他の神の匂いは感じない)

(『そうか』)

(……それに、シャーレーンに馴れ馴れしいが、は敵ではないと思う)

(『なぜ?』)


 王太子殿下をこれと呼ぶ神様の言い方に内心苦笑しつつ、あたしは尋ねる。

 神様ははっきりとした口ぶりでこう言い切った。


(ここに来るまでの間に、『神(俺)』に祈っていた。シャーレーンを守れなかったことに対する贖罪を。……近くで敬虔に祈られている声は、俺に聞こえるから)


 あたしは思わず殿下の顔を見た。

 殿下は真剣な眼差しで、シャルテあたしを見つめていた。


◇◇◇


 その後しばらく時間をあけて、アフタヌーンティの時間に合わせ、あたしは殿下と庭で会うことになった。


 結局あたしは一人で、神様同伴の代わりに、ドレスの中に神様の蛇が絡み付いている。

 くすぐったいなあと思いつつ、あたしは殿下の前で緊張ではうう……な8歳児のふりをする。


「やあ。僕のことはただのお兄さんと思って、楽にしてくれて構わない。僕は花が好きなんだ。一緒に花を眺めながらゆっくり東屋に向かおう」

「はい」


 ただのお兄さんは自分をただのお兄さんと言わないと思う。それはともかく、先を行く王太子の足は軽い。


(以前より少し吹っ切れたのか? なんだか元気になったな)


 あたしの記憶にある王太子は、いつも物憂げで神経質っぽくて、鬱々とした感じの殿下だった。負の感情をぶつけてくるようなタイプではなく、内内に込めるタイプで筆頭聖女シャーレーン(婚約者)としても、淡々と当たり障りのない対応をしておけば御の字、という印象だった。


 殿下は二人きりになると早速、あたしの『シャーレーンの御使』としての能力に切り込んできた。


「シャーレーンの声が聞こえるのだと聞いたよ。……いつ頃から聞こえるのかい?」

「はい。シャーレーン様が『異世界に帰還』なさった頃からです」

「……そうか。異世界に帰還、か」


 殿下は言葉を噛み締めるように言う。

 あたしは殿下の持つ情報について考えた。


 殿下は知っているのだろうか、あたしが殺されかけたことを。

 まだ、ここに生きていることを。

 慎重に相槌を打たなければーーそう思ったあたしは、少し探ってみることにする。


「シャーレーン様は確かに…………なさったんですよね?」


 考えこむように言葉を反芻すると、殿下は眉を顰めて食いついてくる。


「どういう意味だい? ……シャーレーンが、御使の君に違うことを言うのかい? 異世界以外に帰ったとか……それとも」


 真剣な顔をしてつかつかと詰め寄られるので、あたしは慌てて首を横に振る。


「あ、いえ……王妃様にも、『声が聞こえるのは異世界から?』と聞かれたので……その……」

「ああそうか」


 ほっとしたように、殿下の表情が緩む。


「同じことを聞けば気になるよね。……意味はないさ」


 そしてまた、機嫌良く先を歩いていく。

 いまいち何を考えているか読めない。


(……殿下はあたしに、シャーレーンのことを暴露するつもりはないんだな。素性とか、死んだかどうかとか)


 殿下は王妃様と違ってシャーレーンの素性を知っている。

 ーーしかし。シャルテあたしにシャーレーンの正体を暴露しないのはなぜだ?


(シャルテが本物の『シャーレーンの御使』か見定めたいのか……?)


 あたしが訝しみながらついていっていると「ところで」と話を切り出される。


「君は花は好きかい? 僕はよくシャーレーンと温室で会っていたんだ」


 殿下は花を眺めながら先を行きつつ、あたしに話しかける。


「そうですね……わたしも好きです」


 あたしはふと、視界の端によぎった花に目を留める。金盞花(カレンデュラ)だ。


「ああ、この花も、わたし好きです。わたしの目の色とにているから」


 殿下は瞠目してこちらを見ていた。


「……殿下?」

「君は……」


 殿下は一瞬泣き出しそうな顔をして、急いで顔を背ける。

 驚くあたしに背を向けたまま、殿下はうめくように言った。


「君はシャーレーンと似ている」

「そ、そうですか?」


 ヒヤリとするーーとりあえず、まだ正体はバレていないようだ。


「僕は……シャーレーンともっと話しておけばよかった」


 殿下の肩が震えている。


「僕とシャーレーンが婚約者だったのは知っているだろう?」

「はい」

「僕は……シャーレーンと親しくしていなかった」


 彼はあたしに近づいてくると金盞花(カレンデュラ)にそっと触れ、打ち明け話の声音で、ぽつぽつと吐露し始めた。


「僕はシャーレーンのことを、最後まで『政略結婚だから結婚する相手』としか思っていなかった。もっと彼女をよく見て、彼女と親しくなる努力をするべきだった。彼女に婚約破棄のひどい言葉を向けた、僕が言えることではないけれど……」

「そんなことがあったんですね」

「……僕は、身も心も傀儡だった。自分でものを考えることをせずに」


 あたしの返事なんて期待していないかのように、殿下は語り続ける。その横顔は懺悔室で首を垂れる告解者によく似ていた。


「ちゃんと向き合ってみなければ、シャーレーンがどんな人だったのかわからないのに。会話もろくにせず、僕は彼女を上辺だけで判断して、侮って、上滑りした事実だけを悪く取って……嫌な別れ方をした」

「……殿下……」


 あたしは彼の言葉に戸惑っていた。

 シャーレーンとしてもシャルテとしても、どう受け止めればいいのか。


 確かにあたしは一方的に別れを告げられていたけれど、そもそもあたしが(極めて不本意かつ、勝手に決められた『異世界の聖女』という嘘だったとしても)殿下を騙していた側だ。

 そして殿下も、ルルミヤや大神官といった連中の思惑に翻弄されただけ。


「っ……殿下、泣いていらっしゃるのですか……?」


 彼はいつの間にか嗚咽を漏らしていた。涙が頬を濡らし、上等な服にしみを作っている。涙が次から次へと溢れる。

 あたしはあっけに取られていたーー殿下は、こんなに感情を出す人だったのかと。


「僕は彼女が……初めて……僕が誠実さを欠いていたことに気づいた……。もう何もかも遅いのに、彼女は」


 殿下は座り込んで、たまらないと言ったふうに地にくずおれた。あたしはハンカチを差し出して背中を撫でる。

 真っ赤になった目で、殿下はあたしを見上げた。


「君はシャーレーンに聞いているのかい?」

「何をでしょうか?」

「……シャーレーンが本当の意味を、彼女から」

「それは……本当の、意味とは……」


 襲撃の件を言いたいのだろう。

 シャルテとしてどう答えるべきか悩んでいると、殿下はすぐに首を横に振る。


「いいよ、知っていようがいまいが。ただ……聞いて欲しいのは……僕は婚約者だったのに彼女を守れなかったということだけさ。彼女は…………」


 彼は泣きじゃくりながらも、けっしてシャルテという一人の子供に興醒めになるような現実を暴露しなかった。殿下はいくらでも、シャルテあたしに真実を伝えることはできるのだ。


 シャーレーンは、底辺育ちのハリボテ聖女だったんだ。

 異世界に去ったのではなく追放され、その後に殺され(かけ)たんだぞ、と。


 けれど王太子殿下は、あたしのことを『異世界に去った』と貫いてくれている。


「殿下……」


 あたしは迷っていた。

 あたしは偽りシャルテの姿で自分シャーレーンから逃げるのか?

 騙していたあたしの名誉を守りながら、号泣までしてくれている殿下にまた嘘をつくのか?


「あたしは嘘をつけないよ、殿下にはもう」


 あたしは髪をかきあげ、笑って覚悟を決める。


「……シャルテ?」

「違います」


 殿下は目を見開きあたしを見つめていた。応えるようにあたしはシャーレーンあたしの笑顔を見せる。


「あたしのようなハリボテ聖女のために、泣かれるのはもったいないですよ殿下」


 あたしは髪を撫で、生活魔術で髪をストレートにする。

 片目を隠すように前髪を寄せて、背筋を伸ばす。


「君は……」


 気づけば殿下が泣き止んで、信じられないものを見る顔でこちらをみていた。

 あたしは深く淑女の辞儀をした。


「シャーレーン・ヒラエスです。二度も殿下に嘘の身分でお会いして大変申し訳ございません」


 殿下は固まっていた。涙も枯れている。

 あーあー、バラしちまった。

 でも流石に、あたしの死に号泣する殿下に嘘はつき続けたくなかったから仕方ない。

 さあて、こっからどうするかな。


 殿下は信じられないとばかりに、あたしを上から下まで眺める。


「君は本当にシャーレーンなのかい? 随分と僕の知っているシャーレーンより小さいのだけれど……」

「殿下、あたしが死にかけたことはご存知です?」

「ああ。……随分ひどい目に遭わされたようだったね」

「そこでまあ……筆頭聖女の、神の奇跡により回復することができました。体は縮みましたが」

「『神に愛されし聖女』の通り名は伊達じゃないね」

「しかし聖女を解職され聖女護衛騎士団(メイデンオーダー)の姿をした何者かにより襲われましたゆえ、立場上教会に訴えることもできず……。その後王都の危機を王族の方にお伝えするため、こちらに潜伏し機会を窺っておりました」

「それで、母の下にいたのか。なるほど……考えたな。そうか……」


 殿下は微笑み、そしてあたしの目を見て言った。


「すごいな。つまり君は本当にシャーレーンを降臨(おろ)しているってことなんだな!!!」


 曇りなき瞳で、殿下は元気に言った。


 ーーあれ?

 あたし、何か言い方間違えてたっけ……?

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