第32話 別視点9 /傀儡 ※微ざまぁ

 ルルミヤは我に返り、すぐに令嬢の辞儀をする。第二王子は気を害していない様子だった。


「大変失礼いたしました。ご無礼をお詫び申し上げます」

「構わないよ、筆頭聖女ルルミヤ。ここに僕がいるなんて誰も思わないだろうからね」

「お早いお帰り、嬉しく存じます」

「僕が留学している連合王国は魔道具開発が活発なんだ。転移装置さえ置いておけば、遠隔地に行くのも容易い……人数制限はあるし魔力充填にも時間がかかるから、ひと月に一人が精一杯だけれど」

「存じ上げませんでした。……連合王国でたくさん学ばれていらっしゃるのですね。見苦しい姿で申し訳ございません」


 声変わりしたての声で饒舌に語る第二王子ケイゼンは堂々としていた。

 ルルミヤが枝でボロボロになった聖女装束を整えていると、ケイゼンは微笑み、皮の分厚い鍛えた手でルルミヤの髪のごみを払った。


「ルルミヤは泣いていたようだけれど、大丈夫かい? ……筆頭聖女の君が襲撃されてはならないと思って急いでここにやってきたんだ。教会の中は最近何かと物騒なようだからね」

「ご心配をおかけしてしまいましたね。大丈夫ですわ」

「でも泣いていただろう? ……僕に何か、できることはないかい?」


 ケイゼンは年下とは思えない包容力のある笑みを浮かべ、ルルミヤの顔を覗きこむ。

 ルルミヤは顔をそむけて恥じらうふりをしながら考える。


(……王太子が使えなくなった今、こちらに乗り換えるべきよね。あちらが婚約破棄の手続きを踏んでいる間に、……既成事実を作ってしまえば)


 ルルミヤは胸に隠し持った小瓶に触れる。これは薬師に作らせ持ち歩いている媚薬だ。

 この媚薬を飲ませれば、大抵の男はダメになる。


(第二王子もしっかりしているとはいえ、まだ15歳。どんなに優秀な王子としても、わたくしならば)


 そうと決めるや否や、ルルミヤはわっと顔をおおって泣き出した。


「申し訳ありません……わたくしが至らぬばかりに、王太子殿下の不興を買ってしまって……」

「ルルミヤ、そうなのかい」

「たくさんの誤解をされて申し訳なくて、恥ずかしくて、悲しくて……いっそ、この池に飛び込んでしまいたいと思っておりました」


 ルルミヤは泣きながら池を見る。勝ち筋がきらめいた気がした。


(自殺なんて冗談じゃない。でもシチュエーションは都合がいいわ。人払をして泣きながら池のほとりにいた……最高じゃない!)


「そうか。君も辛かったね。……かわいそうに」

「殿下のその御言葉に救われます。婚約破棄が成立するまで、精一杯王太子殿下の婚約者としての役目、はたしますわ」

「……婚約破棄、なんてひどい……。兄上がまさか、そんなこと」


(そうよ。王太子を酷いと思って。わたくしに同情して。このまま兄を蹴落とすのよ)


 しばらく考え込んだ様子のケイゼンは、ルルミヤに向き直って言った。


「いい考えがある。兄上も皆もあっと驚く、君の力を示す方法が思いついた」

「まあ、それはなんですの?」


 意図的にパッと顔を輝かせ、ルルミヤは祈るように指を組んでケイゼンをみる。

 谷間が深くなる角度を意識しながら見つめるルルミヤの両肩に手を置き、ケイゼンは澄んだ瞳で言った。


「君が筆頭聖女として、最強になればいいんだ。なりたいかい?」

「えっ……もちろんです。わたくしになれるのでしたら、是非」

「霊泉にある初代聖女の聖遺物を君が手に入れればいい。君ならできるよ」


 意外な提案だった。ルルミヤはあっけに取られてしまう。

 初代聖女の聖遺物と呼ばれるものは、ただ一つ。聖堂での沐浴のたびに嫌でも目につく、湯口に突き刺さっている錆びついた長い棒のことだ。


(あんな錆びついたガラクタの棒なんか引っこ抜いてどうするのよ、殿下)


 困惑を隠しながらも、ルルミヤは意図を尋ねる。


「よくご存知でいらっしゃいますね。霊泉には確かに……聖遺物がございますが……あれはただの飾りではないのですか?」

「飾りではないよ。聖遺物を引き抜けば、初代筆頭聖女の力を引き継げるんだ。……神に愛され、国の礎を築いた初代筆頭聖女……神が彼女に分け与えた神の力が、あそこには眠っているんだ」

「で、ですが……あれを引き抜いてしまえば、さすがの大神官猊下もお怒りになるのでは」

「怒るわけがないだろう。あれは大神官猊下でも引き抜くことはできない。筆頭聖女として認められた、ルルミヤだからこそ抜けるんだ」

「わたくし……だからこそ、ですか?」

「そう。周りの誰がなんと言おうとも、筆頭聖女ルルミヤ・ホースウッドが神に愛されているという奇跡を示せば誰も逆らえない。これは誰にもできないこと、違うか?」

「…………わたくしが……奇跡を……」

「そもそも君はもうすでに一度大神官猊下を退けたと聞いている。あれほどの権威を持つ猊下をもってしても君を解任できないほど、君は特別なんだ」

「……」

「僕の言葉、信じられないかい?」

「いえ……おっしゃる通りだと存じます、殿下」


 第二王子に肩を掴まれ、強く朗々と訴えられれば、ルルミヤの胸の奥は自然と熱くなった。勇気が湧いてくる。そして第二王子の次の言葉は、ルルミヤに禁忌を冒させるには十分だった。


「そう。それに聖遺物を手にして初代筆頭聖女の力を示すのは……姿、無責任な前筆頭聖女シャーレーン・ヒラエスにもできなかったことだ」


 体の奥から興奮の震えが沸き立つのを、ルルミヤは抑えられなかった。

 ゾクゾクするーーシャーレーンをついに越えられると思うと、ルルミヤは叫び出したくなった。

 ルルミヤの顔を見て手応えを得たのだろう。第二王子は微笑むと、おもむろにイヤーカフを外してルルミヤの手のひらの中に握り込ませた。


「君に怖いものはないよ、ルルミヤ。このイヤーカフは僕の大切なものだ。僕の後ろ盾を示す。……これが僕の本心だ。わかるね?」


 ルルミヤは感極まって、そのイヤーカフを自らつける。

 かちりと音を鳴らして耳に装着した瞬間、第二王子は満足げに目を細めた。


「王家の紋章が入っている。ただ君を矢面に立たせるばかりの王太子あにうえとは違う。僕はちゃんと君を守るよ……ルルミヤ」


 第二王子は手の甲に口付けを落とし、ルルミヤの元から立ち去った。

 ルルミヤは胸がいっぱいになりながら、彼の背中をいつまでも見送っていた。

 荒れ狂い、薬草を荒らし、号泣していたルルミヤの姿はもうないーー第二王子の傀儡になった幸福なルルミヤがそこにいた。


ーールルミヤは気づいていないし、気づいたとしても気にしないだろう。

 第二王子が「姿を消してしまった、無責任な前筆頭聖女」と洩らしたことについて。


 異世界に帰ったとも、殺されたとも言わずに、

 『姿を消してしまった』と口にした、その意味を。


◇◇◇


 その頃、時を同じくして大神官マウリシオは王都に集まった数万の民衆に頭を抱えていた。

 民衆は教会の前で集まりデモを開いていた。

 現行法では貴族議会もしくは王宮の命でのみ騎士の出動を要請できる。

 しかしーー教会に対するデモに対し、貴族議会も王宮も沈黙を貫いていた。

 王都の治安維持を目的として商人の出資で組織された守備隊すら、デモに参加している始末だ。


 全国各地で起きる霊泉の枯渇や聖女無料治療会にまつわる諸問題、有力貴族と教会の癒着。

 どこからネタを掴んだのか、複数の新聞社が聞きつけて疑惑を焚き上げ大騒動になっていたのだ。


「どれもこれも、あの筆頭聖女ルルミヤが蒔いた種ではないか……ッ!」


 心臓の薬を飲み、青ざめた顔でうめくマウリシオ。

 常に聖女の責任だと押し付けるのは、相変わらず変わらなかった。

 補佐が背中を撫でながら尋ねる。


「いかがなさいますか、騎士団出動を要請してもよろしいのでは……」

「ならん! 貴族議会や王宮に、庶民如きの暴動で借りを作ってはならぬ……!」


 教会の神官たちは怯えて教会に閉じ籠り、聖女たちは震えて泣いている。

 それでも大神官はデモが一旦落ち着くまで、表に出ることはなかった。

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